閑話1-9


「さて、どの色にしましょうか」
 DIOの食事を用意し、アイスの夕飯を作り終えたテレンスはようやく暇になったこの時間を待ち望んでいた。
 以前から考えていた人形服の制作に取りかかるこの至福のひととき。
 無茶ばかりいう上司と変態で愚痴の多い同僚がいないこの時間を有意義に使いたい。
 針と糸を用意し、うきうきした表情で布を手にした時だった。
「テレンス! テレンス!」
 名を呼ばれたテレンスはがくりと項垂れる。それでも無視していると主はここを嗅ぎつけてやってきた。
「ここにいたのか、テレンス! ちょっと来てくれ!」
「何ですか、DIO様。トイレでも詰まらせたんですか? すみませんが自分で解決して下さい」
「違う! いいから来い!」
 DIOは無理矢理引っ張って自分の寝室へテレンスを押し込んだ。
「何です? 私にはアイスのような趣味はないのですが……」
 何かと言えばDIOをストーカーしたがる同僚のヴァニラ・アイスを思い出してテレンスは顔をしかめた。
「いいから見てみろ、これを」
 DIOはベッドの上で眠りこけている一人の女を指差す。
「また連れ込んだのですか? お盛んですねぇ。ではこれで失礼」
 踵を返すテレンスの服をがしっと掴む。
「待て待て。この女、いつの間にか居たのだ。私の名前まで知っていたぞ」
「へぇ、そうですか。確かにここら辺では見ない顔ですね」
「だろう? 食事の女達とは違うのだ」
「はぁ」
「どうしたらいい?」
 主に真剣に聞かれてテレンスは眉を寄せる。
「いつものように召し上がればよろしいのでは? これくらいの年頃が好みでしょう?」
「いやまぁ、それはそうだが……」
 そう言ったきりDIOは女の顔とテレンスの顔を何度も往復させる。その困り具合にテレンスは首をひねった。
「何を迷っておられるのです?」
 DIOは心の読めるテレンスの前でだけ素の顔を見せる。
 テレンスとしてはカリスマ性溢れるDIOの、このような一面はあまり見たくはなかったのだが……
 まぁ、これも心を許してもらっていると思えば喜ばしいことなのだろう。
「この女、ここに住まわせてはどうかと思うのだ」
「食事の代わりはいっぱいいますけど」
「私のご飯としてではなく、だな……」
 テレンスはぴんときた。
「ああ、気に入られたんですね?」
「う、うむ」
 前もそう言って美人の女を一人囲ったことがある。
 それがあまりに手のつけようがないほど性悪で金使いが荒く、図に乗ってあれこれ指図しだしたのでキレたアイスがうっかり始末してしまったのだが……懲りない方だ。
 あなたについてくるような女は大抵が自殺願望か金目当ての痴女ですよ、と言ってやりたいのを我慢した。
「また前みたいな女だと困りますので、そのときは……いいですね?」
「わかった」
 捨て猫を拾った子供が親に飼っていいよと許しをもらったときのように、DIOは喜色満面の笑顔を浮かべた。
(やれやれ)
「起きたら言って下さい。どうせその人の食事も用意しなければいけないのですから」
「WRY、任せろ」
 テレンスは嬉しそうに女の隣へ潜り込むDIOを置いてさっさとキッチンへ戻る。
 慣れた手つきでぱぱっと食材の下ごしらえをした後、彼はようやく自分の時間を取り戻した。


▼閑話2
「はじめまして。夢主です」
 テレンスが用意した食事を前に、勇敢にもDIOのベッドに潜り込んだ彼女がぺこりと頭を下げる。
「ああ……これはどうも。はじめまして、テレンス・T・ダービーです。この館の執事を務めさせていただいております」
 第一印象はかなりよい。ありあわせの食事で申し訳ないと言えば、いえいえ、そんなと謙遜する。
 実に初々しい。この館でようやくまともな人間に会えた気がする。
「どうだ、私の目に狂いはなかろう」
 DIOはふんぞり返って言う。
 テレンスは献立を考えていたので、主人の言葉にそーですねと適当に答えた。
「私の側に居たいそうだ。なかなか可愛いことを言うだろう? それにな、相手がどんなスタンド能力を持っているか分かるらしい。いい女だとは思わんか?」
「それは便利ですね。確かに可愛らしいお嬢さんでしたし、優しそうな雰囲気でこちらも和みます」
「そうだろう、そうだろう。やはり私は正しかった!」
 わははと笑うDIOにテレンスは肩を竦める。
「まぁ、猫を被ってるだけかもしれませんけど……」
「何を言う。素直でいい子そうじゃないか!」
「わかりましたから、もう寝室へ帰って下さいよ。私、これでも忙しいんですから」
 この後、まだ洗濯物が待っているのだ。これでは執事と言うよりも家政婦のような気がしてならない。
「何でしたら彼女を家政婦にしたらどうですか」
「さっき客人扱いするとアイスの前で誓ってしまったぞ」
「……」
 ああ、また私の仕事が増える……テレンスはため息をついた。


▼閑話3
 客人のもてなしを、と言われたのでテレンスはぴかぴかに磨いた銀食器を夢主の朝食時に使った。
 彼女はテーブルマナーをこなすのに四苦八苦している様子だ。どこからどう見ても一般人にしか見えない。
 彼女はどうやってDIOの寝室に辿り着いたのだろう? 警備役のアイスはもちろん、ペットショップがこの館を常に見張っているというのに……
「お味はいかがですか?」
「とっても美味しいです! テレンスさん、どうもありがとう」
 デザートを食べながらにこにこと笑顔を返される。彼女の心の中はYES!で一杯だった。
 彼女が何故潜り込んできたのか、それに大した意味はないのだと気付く。
 少し観察すればその理由が分かる。
 まず、敵ではない。これがもしジョースター側のスパイだとしたらよほどの知恵者か、人材不足かのどちらかだが、彼女は後者だ。ごく普通の家庭で育ってきた事が真逆の環境で育った自分だからこそよく分かる。
 柔和な笑顔がテレンスの心を暖かく灯していくようだ。
(そんな彼女が悪の巣窟のようなここにいること自体、おかしいのですが……)
 彼女は何がしたいのだろう。単にDIOに惹かれただけなのだろうか。
(あの方は天性の女たらしの顔を持っていますからね)
 厄介な男に引っかかった彼女が可哀想ではあるが、餌にされないだけ幸運なのだろう。
 朝食を終えた夢主が去るや、今度はDIOがフラリと姿を見せた。
「いかがされました? デザートのプリンなら冷蔵庫ですよ」
「そうか。後で食べよう。それよりもテレンス、夢主の服をどうにかしてやりたいのだが」
「確かに……ちょっと大きすぎるようですね」
 ぶかぶかの服を着た彼女は歩きにくそうにしていた。その仕草が可愛くてつい眺めてしまうほどに。
「私は忙しいので無理ですよ。マライアでも呼んで、女性同士で買い物に行かせればいいじゃないですか。それが一番手っ取り早いと思いますけど」
「おお、それはいい。うむ、そうしよう。金庫から金を出してくれ」
 前の女の教訓からか、テレンスはお金を金庫にきちんと納めるようにした。そこら辺に転がっている宝石類を現金化したものだ。
 テレンスはふと考えた後、分厚い札束をDIOに手渡す。主人は特に何も考えずに足取り軽く出ていった。
「さて、あれほどの金額を使い切ってしまうようなら少し考えた方がいいかもしれませんね」
 ああ見えて実は金使いが荒いのかもしれない。
 金はDIOがどこからか持ってくるので特に困るようなこともないのだが、組織である以上、潤沢な方がいいに決まっている。スタンド使いをスカウトするにも金は何よりもモノを言うのだから。
 DIOの女と言うだけであれこれ買って散財してもらっては他の部下に示しがつかないのだ。
 そうはいっても、アイスの暗黒世界に飲み込まれる夢主を想像すると少し気分が悪くなった。


「テレンス!」
 テレンスは浴槽を洗う手を止めてバスルームに飛び込んできたDIOを振り返った。
「……今度は何ですか?」
 ピンク色のゴム手袋をはめたテレンスは、さっさと終わらせてしまいたい気持ちをありありと滲ませながらスポンジ片手に向き直る。
「さっきエンヤが夢主を占ったのだ。そうしたら何と、私のラッキースターらしい」
「……今日の運勢の話ですか?」
 何のことだか分からないテレンスは不可解そうに眉を寄せる。
「いやいや、このDIOにとっての光明らしい。さらなる高みを目指すためには重要な鍵とも言っていたぞ」
 テレンスにはさっぱり意味が分からない。大体、彼は占いのような不確かなものを信用してないのだ。
「一時も離すなといわれてな。私もそうしようと思う」
 エンヤの言葉を借りてお気に入りの彼女を部下の承諾の元、堂々と囲うことができたのがよほど嬉しかったのだろう。
 ということは今頃、DIO信者のアイスやミドラーあたりはかなり荒れているのではないかとテレンスはますます眉を寄せた。
「あのエンヤ婆がそう言うのならそうなのでしょう。しかしDIO様……」
「ん、何だ?」
 にやけているDIOの顔を見返すと、
「一時もと言いながらすでに離れているではありませんか。彼女はマライアと買い物でしょう? いいのですか?」
「……あ」
「今、外は真昼ですよ」
 追いかけても無駄だということを先に言っておく。
「さぁ、もう泡を流すので濡れたくなければ外に出て下さい」
 唸りながら出て行くDIOを見届けてテレンスはシャワーを勢いよく出した。


「テレンス、待って」
 夢主が買ってきた日用品を両手に抱えて二階の衣装室へ向かっていると、背後からマライアが声をかけてきた。
「何か?」
「お釣りよ。はいこれ」
 ほとんど減ってないように見える札束が無造作に突っ返される。
「おや」
「あの子、何でここにいるの? って思うほど普通なのね」
「……みたいですね」
 テレンスは苦笑する。
「なかなか面白いお嬢さんのようで……」
「そうねぇ……私も久しぶりに利害抜きの女の子の会話ができたわ」
 肩を竦める彼女にテレンスはおや、と思う。
「調子狂っちゃう。DIO様も変わり者が好きね」
 ふふっと笑ってマライアは去っていく。
(あの人自体が変わり者ですからね。それにしても……)
「やはり見たままの人でしたね」
 素直で可愛く、謙虚で倹約家。言うことなしの合格点だ。
(DIO様にはもったいないような気もしますけど……暗黒世界にバラまかずに済んで本当によかった)
 テレンスは夢主の服を片付けながらホッと一息ついた。
 そんな彼がダイニングに戻り、軽食を食べたらしい夢主の後片付けをしていた時のことだ。
 バーに置かれたソファーの上で夢主が無防備に寝入っている。
「おやおや……」
 声をかければ飛び起きた夢主だがどうも様子がおかしい。
 ふらふらとした足取りでそのうち床に座り込んでしまった。どうやら疲れから来る発熱のようだ。
 肝心なときにDIOがいないので、抱きかかえようとすれば思い切り拒否られてしまった。
「そんなテレンスさんに悪いですから、私、重いし……いえ本当に!」
 顔が真っ赤だ。思わずこちらもときめいてしまったではないか。
 仕方なくソファーで待っていてもらい、テレンスは薬と氷を用意しにキッチンへ向かった。
「……マライアの言うとおり彼女には調子が狂わされます」
 それでも嫌な感じではない。
「女運がないと思っていましたけど、DIO様もようやく女を見るレベルが上がったようですね」
 テレンスが氷のうと解熱剤をトレーに乗せ、夢主の元に戻ってあれこれ世話を焼いているとDIOが姿を現す。
 執事として主のDIOと夢主の会話を邪魔するわけに行かず、すぐさま退出する。
 とはいえ……あの状態の夢主をDIOはどうするのかと気になってしまった。あのままソファーで寝かしては熱は下がるどころか余計に高くなり、具合は悪くなってしまうだろう。
 ……しかしそれは要らぬ心配だったようだ。
 少しして夢主を抱えたDIOが部屋から出てきたからだ。自分の時はあれほど嫌がったくせにDIOに対しては渋々とはいえ、大人しく腕の中に収まっている。
 なかなか二人は上手くやっているようだった。
(まぁ別にいいですけどね……何ですか、DIO様。やめて下さい、そのドヤ顔)
 影から様子を窺っていたテレンスに向けてDIOはフフンと楽しげに笑ってみせる。
 まるでテレンスが抱きかかえようとして夢主に拒否られたのを知っているかのようだ。
(フフ、DIO様もなかなかどうして可愛らしい嫉妬をするものだ。あなたのお気に入りを横から取って食べたりなんかしませんよ。行儀の悪いアイスじゃあるまいし)
 アイスが聞いたら怒り出しそうだが、そこら辺の身の安全はしっかりとわきまえているテレンスはもちろん声になんて出さなかった。


▼閑話4
 ああ、静かだ……趣味の時間を満喫するのは何日ぶりだろう。
 彼女には悪いですが、もうずっと病気のままでもいいんじゃないですか?
 テレンスは針を布に通しながらそんなことを思う。
 熱で伏せった彼女の看病は自分の女だからということでDIOが引き受けた。おかげでテレンスはDIOにむやみやたらに呼ばれることがなくなり、平穏な日々を過ごしている。
「正直、惜しいですけどね……」
 夢主の着替えを手伝うときのDIOの何とも言えない顔といったら……思い出すだけで笑いがこみ上げてくる。
 まだ彼女がDIOに肌身を許していないというのも驚きだが、DIOの方も我慢しているというのだから見上げたものだ。
「何故、さっさとモノにしないんですか。あなたらしくもない。前の女の時は速攻でしたよね?」
「そうはいってもな、夢主は生娘だぞ? 処女だぞ? 泣かせたくはないだろう?」
 DIOはテレンスが用意した紅茶を飲みながらどうしたものかと悩んでいる。
 夢主は処女と聞いてテレンスは思わず咳込んでしまった。
「なら、優しくしてやればいいでしょう。何を今更……」
 この館に処女がいるはずもない。目の前の夜の帝王が片っ端から味見していくからだ。
 大体においてDIOに抱かれたいと思う女は経験済みばかりだし、相手も金とDIOの体が目的の大人の関係だから問題はなかった。
 恋愛ごっこでも楽しむつもりなのかと思えば、
「好きな女に泣かれたくないのだ……」
 なんてしょんぼりと呟いている。
(ンドゥールがいう悪の救世主がする顔じゃないですよ)
 テレンスは密かにため息をつく。
「キスをしたら泥水で口をすすがれた者の気持ちがわかるか?」
「一体、どのようなキスをすればそんな事になるんですか。にしても、よっぽど嫌だったのですね。その方」
「……wry」
 DIOは背中を丸めて凹んでしまった。どうやらまだ癒えぬ傷口を深くえぐってしまったようだ。
「そ、それはそうとして……では、ええっと、そうですね……」
 吸血鬼の血がそうさせるのか快感を追っているうちに興奮が抑えられなくなり、そのまま命まで取ってしまうというのが過去に何度かあった。
 あの可愛い夢主がその犠牲にならないためにも、ここは言っておいた方がいいだろう。
「幸い、女なら他にもいるんです。今のうちに他の処女でも何でも味見をしておいたらどうですか」
「ううむ……そんなことをして嫌われないだろうか?」
「DIO様の性癖はご承知でしょうから大丈夫ですよ。いい人を見つけましたね。公認で浮気ができるなんて、あなたくらいです」
 テレンスは適当に言った。DIOは
「そうか?」
 と満更でもない様子なので呆れてしまう。
(嫌われたら私がもらって差し上げますから、どうぞお気になさらず)
 にこりと微笑むとDIOはその案でいこうと晴れやかに言った。


▼閑話5
 外から帰ってきたかと思うと上機嫌でワインをご所望された。
 テレンスは言いつけ通りにそれを用意したが、ワイン好きなら泣いて喜ぶ年代物を我が主は水かジュースのようにがぶがぶと飲んでいる。何度見ても呆れる飲み方だ。
 一方、夢主と言えばそれほど飲んでいないにもかかわらず、すでに顔が赤い。
(お酒には弱いほうでしたか)
 せっかく持ってきたつまみもすべてDIOの口の中に消えてしまっては意味がない。
 そのうち酔いつぶれた夢主はソファーに体を預けてすうすうと寝入ってしまった。
(本当にこの人は無防備ですねぇ……)
 ここがどこか、本当に理解しているのだろうか?
 目の前には飢えた吸血鬼がいるんですよ?
 靴を脱いでだらりと投げ出した素足が見ていられず、テレンスは薄布を持ってきてその体に掛けてやる。
 穏やかな寝顔に思わずこちらも微笑んでしまった。
 そんな夢主をこのような場で寝かせるのは居たたまれない。
「夢主様を寝室にお運びしておきましょうか?」
 この前は恥ずかしいからと断られたが、寝ている今なら文句は言われないだろう。
 しかし、その申し出はDIOによって却下された。
(……他の男に触れさせたくないということですかね。本当に独占欲の強い方だ)
 自分が出て行ったその後、夢主を抱えて寝室へ戻っていくDIOの浮き立った背中を扉の影から確認する。
 テレンスは苦笑してさっさとワイングラスを片付けた。


 翌朝、どうも夢主の様子がおかしい。おもむろに振り上げたフォークを手に刺している。
 驚きはしたが、よくできた執事のテレンスは見て見ぬふりをした。昨夜、余程のことがあったのだろう。
(もしや……とうとうお手を出された? ではもう彼女は処女ではないということに?)
 そんな邪推をした時だった。
 ドアを壊す勢いで開け放った先に立っていたのは、DIOを愛して止まないミドラーだ。
(ああ……来てしまいましたか)
 アイスの愚痴でも聞いたのだろう。ミドラーは怒りにまかせて夢主をなじっている。
 テレンスは口喧しいミドラーを諫めながら彼女はDIO様の『客人』ということを強調した。ここでDIO様お気に入りの女とでも言おうものなら、すぐさま夢主の首が飛びかねない。
 しかしそれでもミドラーの気に障ったようだ。
 まさかスタンドを出して攻撃するとは思わなかったテレンスは、一歩出遅れてしまった。
 夢主の血を見て青くなっていると、ふとその場に見慣れぬ造形のスタンドが揺らめいているのが見えた。
 DIOに声を掛けられた瞬間、それはかき消えてしまう。
(どのようなスタンドかもう少し見てみたかったですね)
 彼女のスタンドはまだ薄くボンヤリとしていた。これから成長するのだろう。能力は何か興味が湧く。
 いや、それよりも夢主を傷つけられて怒りを見せたDIOの姿には驚いてしまった。
(結構、本気なんですね……)
 同じベッドで寝起きを共にしながら二人は未だ清い関係のようだ。よくDIOが襲わないものだと思う。
 今までの女関係を見てきたテレンスにとって、それは意外なことだった。
 夢主を見るDIO目が何となく優しく、それでいて慈愛に満ちているような……
(別にそれはいいです。部下に示しがつきさえすればあなた方の恋愛がどうなろうと)
 それよりも……
「テレンス! 客人って何よ、どういうことよッ!!」
 意味深な言葉に聞こえたのかミドラーは悔しそうに歯がみして叫んでいる。
 まったく……ああ、本当に煩い。


▼閑話6
「DIO様には相応しくない」
 そう言い切ったのは同僚のヴァニラ・アイスだ。
 テレンスは針と糸で人形の服を作りながら、子供が見たらまず間違いなく泣き喚かれるだろう、そんな形相の彼をちらりと見る。
「ではどのような方なら相応しいのです?」
「それはもちろん、気品正しく、知性があって気が利いて、DIO様の横にいても見劣りしないような、そんなお方だ!」
 そんな人どこに存在するんです? あなたの頭の中だけですよ。
 テレンスはそう言ってアイスの夢を思いっきりぶち壊してやりたく思う。
 大体、DIOの好みはアイスだって分かっているはずだ。若くて新鮮な生き血を持ち、淫乱で強欲な女が好みときている。それは好みと言うよりも、血の渇きと性欲が同時に解消されるからであって本当の意味ではない。
 DIOが求める女性像などテレンスやアイスにだって本当のところは知らないのだ。
「夢主様は気遣いが出来る、なかなか良くできた人ですよ」
 この裏切り者が! と言わんばかりのアイスの鋭い目をかわしテレンスは人形に話しかける。
「ねぇ、あなたもそう思うでしょう? ソニア」
 美しく着飾った人形が呻いてテレンスの名を呼び続けている。そんな彼の趣味が理解できないアイスは不快そうに眉を寄せた。
「夢主様が相応しいか、相応しくないかはDIO様が決めること。それよりもあなたの前でDIO様は約束なされた。そのことに誇りを持つべきです」
「お前に言われずとも分かっているッ!」
 苦々しい口調でアイスは言い捨てた。
「彼女のどこが気に入らないのか私にはさっぱりわかりませんね」
 肩を竦めるテレンスをもう一睨みして、アイスはスタンドの口の中へ飛び込んだ。


 夢主がこの館に来てからというもの彼は常に不機嫌だ。
 DIOに取り入り、マライアとエンヤに好かれ、テレンスをも懐柔してしまった。この調子だと他の者も簡単に操られてしまうだろう。
 アイスの信者ぶりはすでに狂気に近い。
 夢主にスタンド能力を知られていることが気にくわないのもあるが、何より一番嫌なのはあのエンヤの言葉だ。
『この者はDIO様にとっての光明、光り輝く希望の星じゃ。きっとあなた様をあるべき高みまで押し上げてくれましょうぞ……!』
 思い出すだけでも腹立たしい。
(あのクソババアッ!)
 アイスは占いなど信じない。信じるべきはDIO様のみ! という思いこんだら一途な性格だった。
 しかし主人はエンヤ婆の言葉を信じたらしく、夢主を誰よりも近くに置き、誰よりも心を許しているようだ。
 二人が並ぶその姿は……認めたくはないが……まるで恋人か夫婦のようにすら見えてくる。
(くっ、こんな事があって良いのか!)
 頼りなげな小娘に何が出来るというのだ。大事にはその身を挺してDIO様をお守りする事も出来やしないだろう。あんな貧弱な体ではジョースター達と満足に戦うことだって無理だ。
 とにかくアイスはふらりと現れた夢主のすべてが気に入らなかった。
 しかしDIOがアイスの前で誓ったあの約束は、主人が居ない間はアイスに全て任せるという意味でもあるのだ。アイスにとってその言葉は金よりも重く、夢主の身を守る事がDIOへの忠誠心に繋がるからこそ、彼は何の迷いもなく任務に就けた。
 だが、そうして影ながら夢主の身を守っていると、どうしても二人の様子に目がいってしまう。
 以前より笑う回数が多くなった、今夜もまた同じベッドで寝ている、など下世話な情報を一番目にしてしまうのもアイスであった。
(DIO様にはもっと相応しい方がいるはずだ。たとえ金使いが荒かろうと何だろうと……!)
 怒気も露わにアイスが廊下を歩いていると、不意に図書室から出てきた夢主とばったり出会った。
 まだ恐ろしい形相をしていたのだろう。夢主はアイスを見るなりびくりと震えて立ちすくむ。
「……何かご用がおありですか?」
 アイスは努めて冷静な声を出した。
「い、いえ。ちょっとビックリしただけです。ごめんなさい」
 足音もなく、暗がりからぬっと現れたアイスに夢主は度肝を抜かれたらしい。
「用がなければ……」
 失礼します、と言いかけた言葉を飲み込む。夢主の頭上に大きなナイフを持った腕がスゥと現れたからだ。彼女の頸椎を刺し貫ぬくまさにその寸前、アイスの太い腕が鋭い刃先を受け止める 。
「夢主様に害なす者は、誰一人許されぬ」
 アイスの一言に顔を歪めた女は絶叫を上げ、驚く夢主の首へ直接手を伸ばしてきた。
「どうしてこんな小娘なのよ! DIO様の隣にいるべきなのはこの私なのに! こんな、こんな、」
 不意にガオン! という音と共に声も姿もスタンドが作り出した暗黒空間へ呑み込まれていった。
「女の嫉妬は醜いモノだな」
 その光景を夢主に見せないよう肩を押さえていたアイスがふっと力を抜いた。
「ア、アイスさん……」
 今にもその場に崩れ落ちそうな夢主が情けない声を絞り出す。
「夢主様、ご無事ですか?」
「そ、それはこっちの台詞ですよ! アイスさんこそ大丈夫ですか……さ、刺さってますよ……?」
 ナイフの半分までが腕に突き刺さっている。女の妄執の果ての力というのは凄まじい。
「ああ……」
「ダメ! 血が出ちゃう!」
 ナイフを引き抜こうとするアイスの手を夢主は押しとどめる。
「テレンスさんっ! お願い、来て下さい!」
 夢主が大声で叫ぶと、地下の方からドアを開く音がした。続いてテレンスが勢いよく階段を駆け上がってくる足音が響く。
「何事ですか!?」
 夢主の必死な声を耳にしたからか、いつも冷静なテレンスも動揺が隠せないらしい。
「アイスさんがナイフで刺されて、それで、それで血が……」
 震える手でアイスの傷口をテレンスに見せる。
「餌の女の凶行だ。夢主様に襲いかかろうとしていた」
「なるほど……夢主様にお怪我は?」
「私がそんなヘマをするわけないだろう」
 ムッとしたアイスはテレンスを睨む。
「アイスさんが庇ってくれたから大丈夫です。それより早く手当を……」
「分かりました」
 すぐに戻りますと言ってテレンスは館の奥へ走っていく。
 テレンスが去ってしまうと心許ないのか、夢主はアイスの腕を見て蒼白な表情で取り乱している。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「? あなたが謝る必要はない。これはむしろ名誉の負傷です」
「名誉?」
「あなたを守れとDIO様からの命令を遂行したまで。お気になさらず」
 夢主はずいぶんと間抜けな顔でアイスを見上げてしまった。
「す、凄いですね。アイスさんの忠誠心は……それでこそDIOの右腕……」
 何だかやけに感心されているようで少し気恥ずかしい。
 だがアイスは今、聞き捨てならない言葉を耳にした。
「DIO様の右腕?」
「だってそうでしょう? アイスさんDIOの腹心でしょう?」
 何という素晴らしい響きだろうか……アイスは身に余る言葉に全身を震わせた。
「もったいないお言葉です」
「DIOも今まで出会った中で、アイスさんが最も優秀な部下だろうって……私も本当にそう思います」
(くっ……)
 嫌っていた夢主の口から最大級の褒め言葉をもらってアイスは堪らずに膝をついた。
「え?! 大丈夫ですか?」
(そうだテレンス……貴様に言われなくてもすでに理解している。DIO様はこんな小娘を求めておられる。エンヤ婆の占いよりも自ら望んで側に置いていることくらい、この私にも分かっている! ああだが、このような小娘に何が出来る? 先ほどの攻撃もかわせない無力な者だというのに……)
「どうしよう! 止血ってどうすれば……」
 傷ついた腕を気遣う夢主にアイスは苦笑しか出てこない。
(これは罰だ……以前、DIO様の言葉を無視し、事故に見せかけてこの世から消し去ってしまおうと考えた事に対しての罰なのだ。ならば、私はその罰を甘んじて受けねばならない)
 アイスはナイフの柄を掴みズブズブと根本まで押し入れた後、勢いよく引き抜いた。
 夢主が目を見張るその前でブシュウッと派手な音と共に大量の血が吹き出る。
「な、何で……? テレンスさん、お願い早く来て! アイスさんが死んじゃうっ!」
「これしきのことで私は死にません」
 冷静に言うアイスが夢主には信じられない。
「どうしました!? これは……アイス、夢主様の前で何と言うことを! 服が汚れてしまうでしょう!」
「そんなこといいから、もう、もう……」
 血塗れの廊下と壁を見て夢主はふらりと床に座り込んだ。
「夢主様? 大丈夫ですか?」
 顔色が真っ青だ。あまりの惨事を前に貧血を起こしたらしい。
「大丈夫ではなさそうですね……もう少しお待ち下さい。アイスの手当が終わり次第、DIO様をお呼びしますから」
「え?! いえ、わざわざ呼ばなくても平気ですから」
「しかしそのような具合で二階まで戻れますか?」
 夢主は壁に手をつきながらふらりと立ち上がる。失神しなかっただけ気丈ではあった。
「ほら、ね?」
 そう言って微笑む顔がどうにもぎこちない。足も震えているというのに。
「あ!」
 手にしていた本を持ち直そうとして上半身が揺れる。落ちていく本と夢主を抱えたのはその場にいなかったDIOだ。スタンドを使ったのか、誰の目にもそこへ突然姿を現したようにしか見えなかった。
「何事だ」
「! びっくりした!」
「本を借りるだけと言ったくせに、いつまで経っても帰ってこないからだ」
 DIOはすでに夢主の体を抱え上げている。床に流れたアイスの血とナイフ、背後に見えるクリームの破壊跡でDIOにはここで何があったか想像がついたらしい。
「アイス、見事だ。夢主を守ってくれた礼を言う」
「DIO様……勿体ないお言葉です」
「ごめんなさい、アイスさん。助けてくれてありがとう」
 夢主は素直なまでに頭を下げてくる。
 アイスが声もなく項垂れるのを見届けて、DIOは夢主と共に二階の寝室へ戻っていった。
「……終わりましたよ。手は動きますか? あなたも無茶をする人ですね。刺さったナイフを抜くなど……床の掃除はしておきますからさっさと休みなさい」
 テレンスは文句を言いながら応急手当の箱を抱える。
「私からもお礼を言っておきますよ。夢主様を守って下さってありがとうとね。それから今後とも彼女の警護を抜かりないようお願いします」
 まさかテレンスにまで感謝されるとは思っていなかった。
 主人が夢主を気に入っている以上、自分ごときが相応しい相応しくないと言うのはむしろDIOに対して不敬な事だとアイスは今更ながら気付く。
「夢主様を影ながら守るのが私の役目だ。今回の出来は良くない。あろう事か目の前で始末してしまった……」
「ええ、本当に。これをどうするつもりですか」
 テレンスはアイスがあけた大きな穴をさてどうやって埋めようかと思い悩む。
「DIO様に相応しいと誰もが思うようになっていただかねば……」
「は? ……何ですって?」
「テレンス、あのままでは駄目だ。夢主様をもっとDIO様の好みに近づけねば」
「はぁ? ついさっきまで相応しくないと散々言ってたのをもう忘れたんですか?」
「計画を立てるぞ。マライアにも協力してもらおう……」
 急に180度方向を転換したらしいアイスにテレンスは呆れるばかりだ。
「……何を言っても無駄なんでしょうね」
 彼のため息はDIO様一筋のアイスには聞こえないようであった。


▼閑話7
「初めまして。ンドゥールと申します」
「こちらこそはじめまして。夢主といいます」
 盲目のスタンド使いンドゥールから丁寧な挨拶を受けて夢主は同じく丁寧に返した。
 しかしその爽やかな挨拶とは裏腹に、夢主は今、ンドゥールを床に押し倒しているような状況だ。
 何故こうなったかと言えば……暗闇の中、光も持たずに歩いていた夢主が思わず階段を踏み外した先に彼が居たからだった。
 DIOへ挨拶をしに来たンドゥールは上階から悲鳴を上げて落ちてくる夢主を咄嗟に体で受け止めた。そうして彼らは踊り場で折り重なることになってしまった。
「ごめんなさい……」
「いえ、あなたが無事で何より」
 彼の閉じられた目と低い声に夢主は釘付けになった。 
 それでもいつまでもこうしているわけにはいかない。夢主がンドゥールの上から慌てて体を動かすとバキリッと何かが割れるような乾いた音が響いた。
「え?」
 手探りで夢主がそれを見つけ出せば、長い棒のようなものが真っ二つになっている。
 どうやら自分の体重で、彼の目の役割を持っている大事な杖を壊してしまったらしい。
「う、うそ……! ごめんなさい!」
 慌てふためく彼女をンドゥールは暗闇の中から見つめる。見えない目は相手の顔かたちが分からなくとも、その分、他のことがよく見えてしまう。
 夢主は今まで光の側でいた者だ。何も知らない一点の染みすらない存在。血飛沫と死体が転がる日常から、遠く離れた場所で生活していたことがンドゥールはよくわかった。そしてそれ故にこの館で異質な存在だということも。
「あなたが夢主様ですか」
「ンドゥールさん……本当にごめんなさい。ちょっと触っただけなのに……どうしよう……」
 面白いほどに動揺する彼女にンドゥールは笑いが込み上げてきた。DIO様が側に置きたがる女がいると部下の間でもっぱら噂になっていたが……それが彼女なのだろう。
「テレンスさんに聞いて代わりの杖を……でも同じようなものがあるとは思えないし、どうしたら……」
「どうか落ち着いて下さい。私はDIO様に挨拶に来ただけのこと。すぐに市場で買い直せばよろしいだけですから」
「そんな……! 私のせいなのに……それにどうやって市場まで……あっ!」
 名案とばかりに夢主は両手をぽんと打った。
「じゃあ私がこの杖の代わりになります」
 有無を言わさずに夢主はンドゥールの腕に自分の腕を巻き付けた。
「DIOに会うんですよね? こっちです。階段に気をつけて下さいね」
 その階段に気をつけなければならないのは夢主の方だ。先ほどそこから転げ落ちたことをもう忘れたのだろうか。
「はぁ……いえ、あの……」 
「さ、行きましょう」
 促されるままンドゥールは夢主に着いていくしかなかった。確かに杖がなければ彼は歩けない。
「DIO、ンドゥールさんが来たよ」
 そう言って部屋に入ってきた夢主にDIOが目を向ければ、彼女はンドゥールと仲良く腕を組んだ姿を見せた。
「……杖はどうした、ンドゥール」
 盲目の彼には必要な物だ。それの代わりが夢主なのだろうとは分かるが……
「私が壊しちゃった……」
 気まずそうに笑う夢主にDIOは微かに息を吐きながら読んでいた本をパタンと閉じた。
「だからあれほど明かりを持って行けと……そう言っただろう」
「うん……ンドゥールさんに悪いことしちゃった……だから今から一緒に市場に行って、新しい杖を買おうと思って」
 夢主の言葉に驚いたのはンドゥールだけではなかった。ンドゥールはDIOの雰囲気が険しい物に変化したことを察知する。噂の通り、彼女はDIOの寵愛を一身に受けているらしい。
「いえ、気になさらず。一人で行けますから」
「え……でも、私のせいだから弁償します。それに必要でしょう?」
 大丈夫ですから、いえ、でも、そんな……という会話が二人の間を何度か行き来した後、DIOがおもむろに口を開いた。
「道の分からぬお前がどう案内するというのだ?」
「うっ……そ、そうだけど……テレンスさんに地図書いてもらえば……」
「それこそ無駄だ。私が教える。二人とも着いてこい」
 ンドゥールと夢主は口を開けてその場に固まった。
 今、DIO様は何と言った?
「え、DIOも来てくれるの? いいの?」
 ンドゥールのところからパッと離れてDIOに駆け寄っていく。
「二度は言わん。さっさと支度してこい」
「はぁい。二人とも待っててね、すぐだから!」
 夢主は大急ぎで部屋を出て行く。残されたンドゥールはそろそろとDIOを伺い見た。
「よいか? ンドゥール」
「もちろんです……ですがDIO様のお手間を取らせる事を思うと……申し訳ない」
「いや、なに……気にするな。丁度、あれを外に連れ出したかった。きっかけが出来てむしろ好都合だ」
 DIOの声色が思いの外優しくて恐縮していたンドゥールは安堵する。
「それならば……よいのですが」
 数分も経たずに夢主は舞い戻ってきた。上着を着てンドゥールの腕を再び掴む。
「お待たせしました。行きましょうか」
「……しかし本当によろしいのでしょうか?」
「このDIOが共にでは不服か?」
「まさか! そのようなことは決してっ!」
「ンドゥールさんに意地悪いわないで」
 慌てるンドゥールを見て夢主が仲裁に入った。DIOの機嫌を損ねないように夢主は彼の腕も掴む。
 両端に男前が二人、真ん中に自分とこれではまるで……
「うふふ、ハーレムみたい。役得だね」
 なんて楽しそうに呟いている。
「フン……脳天気なやつだ。さっさと行くぞ」
 誰が本当に役得なのかはンドゥールが一番よく分かっていた。


「ねぇ、これは?」
「地味だ。却下」
「じゃあ、こっち」
「ンドゥールは男だぞ。そのような薔薇の花が付いたものを喜ぶと思うか?」
「そう? 可愛いのに……」
 ンドゥールが座る椅子の前で夢主とDIOがあれこれと言い合っている。
 壊した杖の代わりをなんとDIO自らが選んでくれと言うのだからンドゥールには恐れ多く、しかし一方で名誉に思う。
「夢主様、私は普通ので十分でございます」
「何を言うか、ンドゥール。私の部下であるお前が先ほどのような粗末な杖では駄目だ」
 DIOはあれこれと見ながらンドゥールの言葉を撥ね付けた。
「その御言葉だけで十分です」
 ンドゥールは敬愛するDIOと共に買い物が出来ただけでも嬉しい。杖など贈られたら自分は泣いてしまうかもしれない。
「あ……、これはどう? ほら飾りがとっても素敵」
「む……確かにいい素材で出来ている。強度も見た目もよいな」
 杖を手にとって眺めた後、DIOはさっさと会計を済ませる。
「ンドゥール、夢主の不注意でお前の杖を壊してしまった。すまなかったな」
「ンドゥールさん、本当にごめんなさい」
 二人に謝られながらンドゥールはDIOの手ずから真新しい杖を授かった。
 手の中で転がしてみると杖はぴたりと肌に馴染み、飾りと思われる宝石がいくつも付いている高級品だ。
「これは……このような高価な物を……」
 自分ごときが受け取っていいものか……ンドゥールは困惑した表情で二人を見る。
「このDIOがお前のために選んだ物だ、喜べ」
「よかったですね……って、壊した私が言うのも変だけど……」
 後に彼の墓標にもなるその杖をンドゥールはそっと胸に抱いた。
「ありがとうございます、DIO様。それから夢主様も……ありがたく大事に使わせていただきます」
 夢主はにこやかな笑顔でDIOを見上げた。DIOもわずかに微笑んでそれを見つめ返す。
 ンドゥールはそんな二人の様子を空気の流れで読み取った。
(ああ……この方たちに仕えることが出来て俺は本当に幸せだ)
 その後、ンドゥールは呼び止めたタクシーに乗り込み二人と別れた。これ以上、彼らの時間を邪魔することが心苦しかったからだ。
「ンドゥールさん。おやすみなさい」
 そう言った彼女はDIOの隣を歩いているのだろう。
 たとえ見えなくても、彼らが並び立って夜の街を散策する姿をンドゥールは容易に想像できた。


▼閑話8
 闇に閉ざされた館内は広く、またテレンスもあれこれと忙しいので掃除はごく簡単に済ませることになっている。
 大体、綺麗にしてもすぐに女の血や死体で汚していく人がいるのだから、掃除をしてもまったく追いつかない状況だ。
 それでもテレンスは目に付いたところは綺麗にしておきたいと思う真面目な執事であった。
「ん? これは……」
 そんな彼の足にコツンと何かが触れた。
 拾い上げてみるとそれはDIOが部下に買いに行かせたポラロイドカメラだった。
 念写能力のある茨のスタンドで叩くと見たい人物が見えるらしい。DIOに言われて買ってきた物だが、今はもう使われていないようだ。
 ポラロイドは高価なカメラだ。確か三万は軽くするはずで、こんな地面に置いていいはずの品物ではない。
「おや、まだフィルムが残ってますね……」
 中を開けて確認すると、あと数枚撮れるだけのフィルムがある。
「もったいない」
 テレンスはそこでふと考える。使わないのなら使ってしまおう。
「必要になればまたフィルムだけ買ってくればいいでしょう」
 テレンスは掃除を放棄し、カメラを片手に被写体を探すことに決めた。


 館をウロウロしながらその被写体を求めて歩いたが、なかなかいいものが見つからない。
 身近にいるアイスを撮してもテレンスは全く嬉しくない。むしろ嫌だ。どうせなら心安らぐ花や風景、それに見合うような人物が好ましい。エジプトにいるのでピラミッドでもいいが、もはやそれも今更という思いだった。
「DIO様が撮らせてくれるといいのですが……」
 彼なら被写体として十分すぎるだろう。DIOの麗しい姿はカリスマモデルも真っ青になるほどの神に愛された素晴らしい造形美だ。信者達に売りつけたらかなりの高値になるのでは、などと思ってしまう。
 どう言えば撮らせてくれるか悩みつつ歩いていると、植物園の方から話し声が聞こえてきた。
「ねぇ、これは何て言う花?」
 夢主が一つの可憐な花を指差してDIOを見上げている。
「ああ……何だったかな……」
 無邪気なまでの夢主を見下ろすDIOは月明かりに照らされて壮絶なまでに美しい。
(おお……これだ! お二人を撮しておきましょう……!)
「DIOでも知らないことがあるんだね」
「花の名を詳しく知ってどうする」
 微笑むDIOは夢主が指差した花を手折り、それを相手の胸に押しつける。
「花は花であればよい。名よりも存在に意味があるのだ」
 夢主は花を受け取ってDIOを見上げる。
「ふふ……そうだね」
 二人が語り合う様子を見ていたテレンスはドアの隙間からカメラを構え、静かにシャッターを押した。


 出てきた一枚の写真を見てテレンスは思わずほぅ……と息を吐いた。
 月に照らされたDIOが静かに微笑み、夢主を優しい眼差しで見下ろしている。胸に一輪の花を抱いた夢主は、太陽のような笑顔を浮かべて愛くるしくDIOを見上げていた。
 ……そんな一枚だ。
「これは……何と貴重な一瞬を……」
 テレンスはカメラを棚の上に戻した。もはや他に写真を撮る気が起きなかった。この一枚で十分ではないか。
「どこかに飾っておきましょう。美しい写真立てを探さなくては……」
 翌日、街へ赴いたテレンスは繊細な模様がついた写真立てを購入し、二人の写真をその中に飾った。
 とりあえずキッチンに立てかけておいたが……ふらりと現れたDIOがそれを手に持ち、食い入るように眺めている。
「DIO様、勝手に撮ってしまい申し訳ありません。ですがとてもいい写真でしょう?」
「フム……写真に撮るとあいつの笑顔はこうして写るのか……」
 妙なことを言う。写真は真実しか写さないのに。
「本物の方がもっといい表情をしていた」
(……ノロケですか)
 テレンスはやや呆れて肩を竦めた。カメラにだって限界はある。本物の方がそれはそれは、いいだろう。
「もらうぞ」
「ええ、もちろんです」
 むしろそのために写真立てを買ってきたのだ。
 テレンスが撮ったその写真は三階のさらに上、DIOの棺が置かれた本棚の中央へ飾られることになった。
 彼は本当に気に入った物はこの本棚に置くことにしている。しかしそこへ辿り着く者は限られており、入室を許されている夢主ですら黒い棺のあるそこへは近づこうとはしない。結局、彼女がその一枚の写真を見ることはなかった。
 後日、館を調べに来た承太郎が手に取るまで、二人が平和に暮らしていた思い出のそれは静かに埃を被り続けていく。


▼閑話9
 あれから何日が過ぎただろう……夜空の下にピラミッドが見える病室でテレンスは日数を数えてみた。
 承太郎に全身を殴られた後、気がついたときにはすでに二日が経過していた。館にやってきたスピードワゴン財団にテレンスはDIOの執事だったことで捕縛され、今はカイロ市内の病院で治療を受けている。スタンド能力を財団で生かして欲しい、その見返りは十分に用意する、というのが彼らの言い分だ。
「DIO様は……やはり亡くなられてしまったか……」
 治療を受けるテレンスを前に、財団の職員がこれまでの経過を全て語ってくれた。
「DIOはジョースターさん達が倒した。すでに日の光を浴び、灰になっている。抵抗しても無駄だ」
 テレンスはそれを聞いて愕然とした。捕まる気はなかったが逃げ出す気力を失ったのだ。
「あれほどに強い方を承太郎は倒したのか……」
 その事実にテレンスは戦いた。同じく病院に収容されたのはアイスとヌケサク、それからケニーGだが誰一人として生きている者はいなかった。自分は運が良かったのだろう。兄もこの病院に収容されたらしく、多少の精神破綻をきたしているので回復には時間がかかるそうだ。
「ああ……それよりも夢主様の事だ……」
 未だに「様」を付けて呼んでしまう執事根性に自分でも呆れてしまう。
 しかし、テレンスは彼女の笑顔までジョースター達が奪ったのかと思うと冷静ではいられなくなった。
 財団は優秀なスタンド使いを求めているらしい。では彼女も彼らの手に渡ったのだろうか。承太郎かジョセフか、他の誰かかは分からないが、彼らによってすでに囚われの身になっていると考えた方がいいだろう。数日後にはテレンスを見舞いに財団関係者が来ると言う。その際に駆け引きをして、夢主の居場所と今の状態を聞き出すことをテレンスは心に決めていた。それほどに彼は夢主のことが心配だったからだ。あの館で唯一の灯火だった彼女を未だに慕い、執事として胸を痛めている。
「苦しんでいないと良いのですが……」
 きっとDIOが居なくなって泣いているに違いない。下手をしたら後を追っているかも……考えたくはないがあり得ないことではなかった。
 テレンスが再びため息を吐いたとき廊下でドサリと物音がした。
 ハッと顔を上げてそちらを見ると外から掛けられている錠が外され、ドアが大きく開いていた。
 月明かりの下で、以前と変わらぬ美しい顔と逞しい体を持ったDIOが悠然と立っているではないか。
「ヒィイッ……!?」
 悲鳴を上げてテレンスはベッドから転がり落ちた。
「ゆ、幽霊!? うわぁ、成仏して下さい! そもそも出るところを間違ってますッ!」
 テレンスの前に出るよりもジョースター達の方が先のはずだ。
 しかし、怯えるテレンスの前で相手は不思議そうに首を傾げた。
「おい、何を言っている? テレンス、この私をよく見ろ」
 意外にもはっきりとした声だった。悪霊のようなおどろおどろしさはない。
「足は付いているぞ。私は生きている」
 ふんぞり返って言うDIOがテレンスは信じられなかった。
「ま……まさか……そんな……」
「まぁ、信じられぬのも無理はない……実際、私も死んだものだと思っていた」
 DIOは窓の向こうに見える夜空に向けて深いため息を吐いた。
「夢主が助けてくれたのだ。やはりあいつは私の幸運の星だったな……」
「夢主様が?」
 では彼女は生きているのか!
 いやまて、今……DIO様は……
「だった……? もしや彼女は……?」
 最悪のことを想像してしまいテレンスはごくりと喉を鳴らした。
「生きてはいる……。だが……私を救った後、自身のスタンドと共に眠りについた」
 DIOの言葉がテレンスには理解できない。眠りにつくとは一体どういう事なのだろうか?
「?」
「生きてはいるがスタンドと共に消えたのだ。私の目の前で……」
 DIOは今まで居たピラミッドをジッと見つめて言った。
 暗闇の中、消えゆく光にDIOは動かぬ手を伸ばしたが彼女たちは掴めなかった。
「理解できませんが……生きているのなら、もうそれだけで……」
「望めばまた再び巡り会うことができるらしい」
 床に座り込んだテレンスはDIOの静かな言葉に耳を傾ける。
「不思議ですね……私にはそれが必ず実現するように思いますよ」
「そう思うか?」
「ええ、もちろん。愛されていますねDIO様。よかったじゃないですか」
「そうだな……だが半身が空っぽのようだ……」
 慟哭を慰めるようにDIOは自身の体を撫でた。夢主が触れた温もりを忘れてしまいたくなかった。
 そのあまりに寂しい後ろ姿にテレンスまでもが胸を打たれて涙があふれそうになる。
「私はまた旅に出ようと思う。夢主を求めて、夢主の残した言葉を追って……あちこちを巡るつもりだ」
 館で取っ替え引っ替え、女達を食べては殺していた人の言葉とはとても思えなかった。
「テレンス、お前はどうする?」
「一命は取り留めたみたいなので、しばらくすれば動けますけど……」
 月明かりに照らされた美しい悪魔が昔と変わらぬ冷たい目でテレンスを見ている。
 しかしその外見とは裏腹に、胸の奥には熱く激しい感情の渦が流れているらしい。
「DIO様……もう少しだけ待ってもらえますか?」
 テレンスの言葉にDIOは瞬きをした。
「夢主様を捜すのは骨が折れるでしょう。ましてや吸血鬼のあなただ。暗闇の中、血を吸わずには生きていけないのだから。それに……私もあなたと夢主様が再び巡り会うその瞬間を共に分かち合いたいのです」
 執事として最期まで見届けたい。この二人がどうなるのかを。
「テレンス、お前……」
「え?」
 テレンスは今度こそ驚愕した。
 DIOが生きて目の前に現れたことにも驚いたが、これはさらにその上を行く驚きだ。
(あのDIO様が、あのDIO様が……! まさか涙を……)
「ちょっ……DIO様!?」
 夢主様、どうしてDIO様を残して行ったのですか。この方にはあなたがこれほど必要だというのに……。


“執事のテレンス・T・ダービーが財団の目を盗んで病室を抜け出し、どこかへ逃げ去った”
 ジョセフの元にそんな報告が入ったが、病から復帰した娘の祝いで忙しかった彼の記憶にはそう長く留まらなかったようだ。逃げ出したスタンド使いの後を追う者は誰もいなかった。
 一方、そのテレンスといえば……
 彼は再び主人に仕えることが出来、さらにはその恋人を探す旅に同行させてもらえて、執事人生の新たな幕開けを暗い夜の中で迎えているのだった。

 終




- ナノ -