空条家のお正月


 氷が張った池の上を冷たい寒風が走り抜け、趣ある日本庭園に植えられた松や竹の間を駆け抜けていく。渡り廊下を猫背で歩いていた仗助はその風をまともに受けて大きな体をぶるりと震わせながら呻いた。
「うー……! さ、さみぃ……!」
 こんな寒空の下に居るよりコタツに潜り込んでミカンを食べてる方が何倍もマシだと思う。しかし仗助はそれをぐっと我慢して、ジョルノが咲かせた見事な白梅の鉢を慎重に運ばねばならない。
「仗助、こっち! 早くしてよォー」
 廊下の奥から徐倫がひょいと顔を覗かせる。彼女はいつものクールな服を止めて落ち着いた赤地に蝶が舞う着物姿だ。まとめ上げた髪にもゴールドの蝶が飾られていて、華やかな雰囲気が徐倫らしさを引き立てていた。
「そう急かすなって」
 そんな仗助も今日ばかりは羽織と袴姿だ。唯一、変わらないのはこだわりのある髪型だけだろうか。
「承太郎さん、お茶の先生から電話がありました。もうすぐ着くそうです」
「ん、そうか……」
 いつもの白いコートと帽子を脱いだ承太郎は自ら着付けた袴姿で小さく頷いた。彼の前では淡い桃色に小さな桜が舞う着物姿の夢主が立っている。毎年の事とはいえ着慣れない和服が落ち着かないのか、それとも……背後にビデオカメラを構えた執事が立っているからなのか、彼女は少し緊張しているようだ。
「私のことはどうぞお構いなく」
 高性能、高画質の最新カメラを構えたテレンスはにこやかな笑顔を見せてくる。今日、ここに来られないDIOの目の代わりなのだろう。承太郎は呆れつつもとにかく玄関先に向かうことにした。
 新たな年を向かえた空条家は今年最初に行われる初釜茶会のためにいつもよりさらに騒がしくなる。風情ある庭と、滅多に使われることのない立派すぎる茶室を茶道教室に貸し出しているからだ。
 小さい時は面倒そうだと引っ込んでいた徐倫たちが大きくなるにつれて手伝い始めたのにも理由がある。それはお年玉という名のアルバイト料がたっぷりと転がり込むからであった。
「承太郎さん、こっちの準備は完璧ッスよ〜」
「何が完璧よ。さっき鉢を落としたくせに……」
「なっ! ……だ、大丈夫ッス! 俺のクレイジーダイアモンドできっちり直しておきましたから!」
 徐倫にバラされて仗助は慌てて取り繕う。その後ろで夢主がくすくすと笑うのを執事が撮っていた。
「何でもいいが……お前たちは裏方だと言うことを忘れるなよ」
 彼らはただの手伝いで茶を飲んだり点てたりはしない。ひたすら物を運ぶ地味な作業をするだけだ。
「もちろん分かってるわ」
 徐倫と仗助、夢主が頷くのを見下ろしながら承太郎は溜息が出そうになるのを飲み込んだ。これに生徒たちを色香で惑わせるディエゴやジョルノが加わらないだけ今年はマシなのだろう。
 今朝、ゴールド・エクスペリエンスが咲かせた福寿草に水仙、菊に葉牡丹に梅、色とりどりの花々が咲き誇る庭を眺めつつ承太郎は静かな足取りで玄関へと向かうのだった。



 タクシーから車椅子に乗り移ったジョニィはやけに華美された玄関周りを見て目を剥いた。辺り一面がまるで花畑のようだ。冬には咲かないはずの花まであっては驚かずにはいられなかった。
「……何これ? パーティでもあるの?」
「うわぁ……凄いね」
 背後で感嘆の声を上げたのは英国から息子の顔を見にやって来たジョナサンだ。彼がエリナにも見せたかったなぁ、と呟きながら車椅子を押していると犬に話しかける一人の男性に気付いた。
「なぁ頼むよ〜! そこ通してくれよ、イギー。俺らの仲だろォ?」
「あれ、ジョセフ?」
「ゲッ……!」
 ひくりと頬を歪めたのはジョースター家三男坊のジョセフだ。彼はコーヒーガムをちらつかせて、徐倫の飼い犬であり警備担当のイギーのご機嫌を伺っていたらしい。
「明けましておめでとう、ジョセフ。そんなところで何してるんだい?」
「僕には玄関からじゃなく、裏から入ろうとしてたように見えるけど……」
 ジョニィに指摘されてジョセフは頬を掻きながら愛想笑いを浮かべた。
「裏から?」
「い、いやぁ、これには色々とワケが……ほら、大人の都合っていうか……な?」
 ジリジリと後退するジョセフを見てジョナサンは厳しい顔付きで正面から射貫いた。
「ジョセフ、ちゃんと説明しないと僕には分からないよ」
 しばらく視線を彷徨わせていたジョセフだったが、ジョナサンとジョニィは無言でこちらを見続けてくる。とうとうその場の空気に耐えかねた彼はハァーと大きな溜息を吐いた。
「つまり……朝帰りつーか……シーザーと飲み比べしてたらいつの間にか酔い潰れててよぉ〜」
 ジョセフの言葉にジョニィは面白そうに背後のジョナサンを振り返る。
「へぇ、朝帰りだってさ」
「まったく……ジョセフ、君は」
 ジョナサンの長い説教が始まりそうになった時、不意にがらりと玄関が開いた。ジョナサンたちは戸口に立つ徐倫の姿に思わず口を開けて魅入ってしまう。
「あら、ジョナサンにジョニィ。早かったわね。……ジョセフは遅すぎるくらいだけど」
「悪い。つい盛り上がっちまって……いやぁしかし美人だな!」
「お世辞はいいから三人とも上がってよ。お茶会がお開きになるまで奥の座敷で待っててくれる?」
「あー、もうそんな時期か。お手伝いして偉いなぁ徐倫は」
 なんていいつつジョセフはいそいそと一番に空条家に上がり込んだ。
「親父ならいつもの部屋にいるわ。飲み物とかはジョセフに頼んでね。私、まだ手伝いが終わってないの」
「ああ、うん。大丈夫」
 慌ただしく去っていく徐倫にジョニィは片手を上げた。
「徐倫は本当に大きくなったねぇ……あっという間にお嫁に行っちゃうんだろうなぁ……」
 しみじみと語る父親の言葉にジョニィは何とも言えない苦笑をこぼした。


 窮屈だった足袋を脱ぎ捨てた仗助はようやくいつもの座敷に戻って来られたことを素直に喜んだ。
「あー、疲れた〜……!」
 脱ぎ捨てられた羽織を撮影係のテレンスが拾い上げ、皺にならないうちに手早く畳んでいく。仗助は冷えた足をコタツに突っ込んでその温もりに笑顔を浮かべた。
「お疲れ様、仗助」
「余ったお茶菓子でも食べる?」
 まだ着物姿の徐倫と夢主の二人がやってきて、彼の前に可愛らしい和菓子をいくつか置いた。
「やぁ、夢主。明けましておめでとう。久しぶりだね」
 承太郎と挨拶を交わしていたジョナサンとジョニィの親子も座敷に戻ってきて、隣に住む夢主の姿を見つけて話しかけてきた。夢主はジョナサンの顔を見るや、ぱっと華やいだ笑顔を見せて相手が広げた腕の中に飛び込んでいった。
「ジョナサン! いつ来たの? 今度は長く居られそう?」
「そうしたいところだけど二日後には大学に戻らないといけないんだ……ごめんよ」
 それを聞いて顔を曇らせる夢主にジョナサンは申し訳なさそうに謝った。大学では多くの学生たちがジョナサンの講義を待っているのだ。そうでなくても息子のジョニィと時間を割きたいところだろう。わがままを言うつもりはない夢主は慌てて首を横に振った。
「今日は夢主も徐倫もとっても綺麗だね」
「ふふ、そうでしょ?」
「ありがとう。ジョニィ」
 徐倫は得意げに胸を張り、夢主は少し照れながらジョニィの褒め言葉を受け止めた。
「ここにジャイロを連れてこなかったのは正解だったみたいだ」
「本当だな。アナスイが嫉妬して大惨事になるぞ」
 仗助は笑いながらミカンを一つ手に取る。アナスイと聞いて徐倫は思い出したかのように携帯を取り、その単語に眉を寄せたのはジョナサンたちに茶を運んできた承太郎だ。
「……慣れないだろうが座るといい」
 静かな声を聞いてジョナサンはジョニィをひょいと抱え上げ座椅子の上に降ろした。その横で仗助は密かに冷や汗を流しながらミカンを口に頬張る。
「後は私に任せて夢主様もおくつろぎ下さい」
 仗助の羽織を畳み終えたテレンスは部屋の隅に置いた三脚にビデオカメラを移動させ、それから夢主の居場所を作った。その言葉に従って夢主はジョニィの隣に腰掛ける。
「ジャイロは実家に? それともまだ寮?」
「厳しい親父さんに呼ばれて一度、実家に戻ったみたいだよ。今頃は兄弟たちの遊び相手になってるんじゃないかな?」
「兄弟がいたんだ……」
 いつもおどけて笑わせてくれる彼のことだ。きっと家族と愉快に過ごしているのだろう。
「それはそうと……いつも君に引っ付いている兄貴たちの姿が見えないけど?」
 三人一組で居るはずのジョルノとディエゴが居ない。ジョニィは珍しそうに夢主を見つめ返した。
「ディエゴは調子の悪い馬を見に行って、ジョルノは友人と遊びに出かけたし、パードレは今、海外なの」
「そうだったの? ディオのためにワインを持ってきたのに残念だなぁ」
 ジョナサンは荷物を引き寄せ、紙袋の中からいくつものワインボトルを取り出して見せた。
「おー! さすが兄貴」
 それに飛びついたのはジョセフだ。名だたる銘酒のそれらに笑顔を浮かべて抱きしめている。
「ジョセフ……君はまだ飲むつもりかい? 子供を置いて朝帰りだなんて……反省する気はあるのかな?」
「ジョナサンさん、別にいいッスよ。俺は気にしてねぇし」
 息子の仗助からの助け船にジョナサンとジョセフが意外な顔を見せた。
「飲むことも仕事の付き合いだって分かってますから。仕方ねぇッスよ」
「仗助くん……」
 彼にそう言われてしまうとジョナサンもこれ以上は強く咎めることが出来ない。ジョセフがじぃんと心を震わせたのも束の間、着物の合わせ目からアルバイト料の入った袋を仗助が意味ありげに見せてくるではないか。今年のお年玉はもう少し上乗せした方がよさそうだとジョセフは苦笑するしかなかった。
「いい子だね仗助くんは……。ところで、さん付けは止めてもらえると嬉しいな」
「あ、やっぱ“ジョナサンさん”は変ッスよね……」
「いや、君も正式にジョースター家に入ったことだし、あまり他人行儀なのもどうかなと思ってね」
 屈託のない笑顔を浮かべるジョナサンに仗助は曖昧な表情を浮かべた。ややこしい事情を抱えた自分が歴史あるジョースター家に入ってしまっていいのだろうか……そんな事をちらりと思う仗助に徐倫が明るい声で話しかけてくる。
「ねぇ、ところでお腹空かない? 私たち料理を運ぶだけ運んで一口も食べてないのよね……そうでしょ、仗助」
「ああ……そういえばそうだったなァ」
「夢主は何か食べたいものある?」
 徐倫に聞かれて夢主はしばらく考え込む。
「うーん……私は何でもいいけど……徐倫は?」
「そうね……今から作るのも出かけるのも面倒だし。これで済ませましょ」
 和洋中、その全てが揃った出前広告をコタツの上に広げて徐倫はにこりと笑って言った。



 いつでも遊びに来ていいわよ。と言われたのでエルメェスとF.Fは冬休みの宿題を片手に徐倫が暮らす空条家にやって来ている。やけに花が飾られた玄関先を不思議そうに眺めながらベルを押すと、徐倫ではなく夢主に出迎えられた。
「二人ともいらっしゃい」
「よぉ、遊びに来たぜ」
 エルメェスは片手を上げつつ夢主の姿に違和感を覚えた。
「何だァ? そんな格好して……旅館の女将修行でも始める気か?」
「え、マジで?」
 寒さが苦手なF.Fは分厚いコートに帽子、マフラーを巻いた姿で目を見開いて驚いた。
「ふふ、まさか。今日は朝からお茶会の手伝いをしてただけ」
 夢主は笑って二人にお客様用のスリッパを出した。エルメェスとF.Fはその説明に首をかしげつつ広い玄関に入って靴を脱ぐ。
「夢主と徐倫って……茶道部に入ってたっけ?」
「私らと毎日遊びながら帰ってるっつーのに、何でそー思うんだ?」
 F.Fの不思議そうな声にエルメェスは呆れ顔で返した。
「徐倫、エルメェスとF.Fが遊びに来たよ」
 夢主の後ろを着いて歩き、二人がそのまま座敷に顔を出すと徐倫の家族たちが待ち構えているではないか。
「あっ、またお前らか」
「やぁ、久しぶり」
 夏休みに高原で遊んだ仗助とジョニィだ。
「外は寒かっただろー? 遠いところよく遊びに来たなぁ」
 酒でも飲んでるのかやけに赤い顔をしたジョセフが笑いかけてくる。
「徐倫の友達かい? 初めまして。僕はジョナサン・ジョースター。ジョニィの父親だよ」
 人懐っこい笑顔を浮かべて握手を求めてくる大男はエルメェスもF.Fも初めて見る顔だった。
「徐倫が世話になってるな」
 最後に父親の承太郎にぽつりと言われてエルメェスは戸惑ってしまう。
「……私らもしかしてタイミング悪かった?」
「まっさかぁ。タイミングが悪いどころか最高よF.F」
 夢主と同じ着物姿の徐倫を見て二人は固まっている。
「出前を頼みすぎてお腹に入らなくて困ってたの! 良かったら二人とも食べて行って。さっき届いたばかりだからまだ熱々なハズよ」
 徐倫は苦しいお腹を押さえて宅配ピザの箱を二人に向けて開いて見せた。
「おー! うまそうッ!」
「馬鹿、F.F……お前、遠慮つーのを知らねぇのかよ……」
「遠慮しないでいいよ。さぁ二人ともこっちに来て座るといい」
 ジョナサンの言葉にエルメェスは横にいた夢主と徐倫をちらりと見つめる。
「マジで食べていって。私、もう無理だから」
「うん、私も」
 着物の帯にきつく締められていては入る物も入らないだろう。エルメェスとF.Fは二人に背を押されて大きなコタツの輪の中に加わることになった。
 承太郎とジョセフに仗助、ジョナサンとジョニィ、夢主と徐倫に新たにやってきたエルメェスとF.Fの二人が加わって広い座敷は人で一杯だ。食後のお茶を運んできたテレンスはその光景を見て追加の茶を用意しに台所へ戻っていった。
「何だよ言ってくれればよかったのに……」
 エルメェスは徐倫を恨めしそうに見つめる。家族の団らんを邪魔するつもりはほんの少しだってなかったのだ。
「別に気にしないで。もう見知った顔ばかりだし、今更でしょ?」
「まぁ、そうだけどよー……」
「あっ、これうまいっ!」
 すぐ隣からはF.Fののんきな声が聞こえてくる。エルメェスは気を遣っている自分が馬鹿らしくなって大口を開けてピザを食べた。
「それにしても茶会かぁ。夢主はまだ分かるとしても……徐倫にそんな趣味があるとはなァ」
「趣味じゃなくてただの手伝い。ここだけの話、アルバイト料がすごくいいの」
 声を落として囁いてくる徐倫にエルメェスはなるほどと頷いた。
「そっかぁ。今度のデートでアナスイと遊園地行くからそのための資金ってわけ?」
 F.Fの言葉を聞いて仗助は手の中のミカンを思わず握りしめてしまった。その果汁が向かい側に座るジョセフの目に飛び込んでいく。
「うぉ!?」
「わ、悪ぃ、親父……」
 仗助はジョセフの隣に座った承太郎の顔色を窺ってみる。夢主の父親のように表には出さないが、同じく娘を深く愛している彼は手に持った湯飲みに視線を落としたまま動かなくなっていた。
「ちょっと、F.F! それ秘密でしょ!」
「あ、そうだっけ? ごめん! でも別にいーじゃん。ただのデートだし」
「お前、親父さんの居る前で言うヤツがあるかよ……」
 クリスマスに彼らがキスをした時の事件を知っているだけにエルメェスはいたたまれない気持ちになる。
「徐倫、恋人が居るんだね! 承太郎は何も教えてくれないから驚いてしまったよ」
「そりゃあ……教えないと思うよ」
 ジョニィは隣に座る夢主と顔を見合わせて苦笑するばかりだ。
「紹介して欲しいけど会うのは無理かなぁ」
「あー、じゃあ写真見る?」
 F.Fがポケットから手帳を取り出すとそこに挟まれていたプリクラ写真をジョナサンに手渡した。徐倫とエルメェスが顔を覆う中、ジョナサンは笑顔でそれを受け取って徐倫の隣に並んだ男性に目を落とした。
 長髪に網目模様の服を来た彼は徐倫と一緒に挑発的な態度でポーズを決めている。
「……これは……」
 さすがのジョナサンも言葉に詰まったようだ。
「よりにもよってその写真!? 飛びてぇ……!」
 嘆く徐倫に承太郎以外の全員が同情した。
「そんな格好してるけど……アナスイってヤツ、結構マメだよなぁ、夢主?」
「うん。電話にメール、イベントも忘れずに徐倫に愛を囁いてるし……」
 ジョニィのフォローに夢主も加わってみたが、反対側の席でエルメェスがそれ以上は言うなと合図を送ってくる。夢主は慌てて口を噤んだ。
「この服のセンス……誰かを思い起こさせるような……まぁそれはいいとして、徐倫、仲良くするんだよ」
「えっ!」
 徐倫は顔を覆っていた手をどけてジョナサンを見つめた。
「いいの? 付き合っても怒らない?」
「え? 徐倫が選んだ人なら間違いないだろう? 昔から人を見る目がある子だからね。君は」
「ジョナサンッ! だから好きっ!」
 まさか認められるとは誰も思ってもいなかった。喜ぶ徐倫の肩をエルメェスとF.Fが叩き、ジョニィと夢主は再び顔を見合わせ、仗助はふーっと息を吐く。
「……」
 承太郎は無言のままジョナサンが手に持つ写真を見て、何とも言えない表情を浮かべる。
「ジョースター家のご長男はああ言ってるぜ? どーする承太郎?」
 ジョセフは愉快そうにニヤニヤと笑った。承太郎はその笑いを無視し、喜ぶ娘の声を聞きながら渋いお茶をため息と共に喉の奥へ流し込むのだった。



 砂利を敷いた広い庭先で先ほどから羽子板で遊ぶ子供と大人の笑い声が響いている。場の空気を変えたかった徐倫の提案だ。普段着に戻った彼女は墨と筆を持ち、エルメェスとF.F対仗助とジョセフの激しい羽子板合戦の審判を引き受けていた。
「あーあ、また負けてるし」
 ジョセフの顔に墨が塗られるのを暖かい縁側に座り込んだジョニィと膝上にイギーを置いた夢主が眺めていた。
「あのままだとジョセフの顔が真っ黒になっちゃうね」
 負けず嫌いなジョセフは落ちてくる羽根を酔った足取りでふらふらと追いかけていた。
「ま、いいんじゃないの? 負けても何だか楽しそうだし」
 いい歳して騒ぐジョセフに肩を竦めてジョニィは背後を振り返る。こちらはこちらでまた別の事をしているようだ。座敷に残った承太郎とジョナサンはそれまでの会話を止めて、テレンスが朝から撮り続けた映像のチェックを手伝う事にしたらしい。
「ああ、二人ともすごく綺麗だねぇ……」
 ジョナサンの呟きにテレンスと承太郎は同時に頷いた。
「小さい頃の徐倫はおてんばで、庭中を走り回って悪戯してた頃が懐かしいな……」
「夢主様もこんなに大きくなられて……」
 しみじみと語る彼らの目にはあっという間に成長した子供たちの姿があった。
「振り袖を着るのもすぐでしょうね」
 テレンスの呟きに承太郎は茶をすすった。
「大人へのセレモニーだね? ジョニィもそれに参加するのかな?」
「このままこっちにいれば……多分ね」
 ジョニィは日当たりのいい縁側に後ろ手をついて父親からの質問に答えた。
「ジョニィに仗助、ジョルノとディエゴも一足先に成人しちゃうんだね……」
 晴れ着姿の彼らが並び立つ様を想像すると何だか圧巻だ。夢主と徐倫は一つ年下なので、先を越されるような置いて行かれるようなもの寂しさがある。
「酔っぱらったディエゴに酒を勧められても君は飲んじゃ駄目だよ」
「うん、分かってる」
「僕らよりも君たちの時の方が大変そうだな」
 華麗な振り袖を身に着けた彼女たちを親とその兄弟はどんな風に見つめるのだろう。ディエゴあたりは感激してしまって馬鹿みたいに泣いてしまうんじゃないだろうか。
「ねぇ……前から気になってるんだけど夢主は好きな人とかいないの? もちろん家族以外で恋愛感情としてだよ?」
「……いないとやっぱり変? いる方がいい?」
 その返答にジョニィは頭を掻いた。
「うーん……無理して作らなくてもいいけど……」
 ジョニィの言葉に夢主はホッとした表情を浮かべてまどろむイギーの頭を撫でた。
「そう言うジョニィは?」
「え? ……僕?」
「好きな人いるの?」
 夢主からの質問を受けてジョニィは少し口籠もる。試合のことで頭が一杯で休日も馬に専念してきた。想いを寄せてくれる女生徒がいることは知っていても今は彼女を作ってデートするより、ジャイロと馬鹿なことをやってる方が正直なところ楽しい。
「んー……ピンと来るのがいないなぁ……」
 曖昧な返事をしたところで耳を澄ましている親たちの存在に気付いた。さっきまでのしんみりムードはどこへやら、ジョナサンとテレンスは子供たちの恋模様が非常に気になるようだ。
「じゃあ、そうだな……試しに僕ら付き合ってみる?」
 悪戯っぽい表情で囁きかけると夢主はイギーを撫でるのを止めた。ウインクされてすぐに冗談だと気付いた彼女は背後で慌てる気配を感じてくすっと笑う。
「そうだね……案外、いいかもしれないね」
 ガチャンと湯飲みがテーブルに落ちる音が聞こえてくる。
「え、ちょっと待ってくれ……承太郎、この場合どうなるんだい? ジョニィは僕の息子で夢主はディオの娘だろう? 法的に問題あるのかな?」
「問題など大ありですよ! あの三人が知ったら屋敷中が滅茶苦茶になってしまいます!」
「お前ら……落ち着け。ジョニィの冗談だ」
 一人だけ冷静な承太郎が呆れた表情で言った。
「エイプリルフールには早かったかな」
 舌を出すジョニィにジョナサンは肩の力を抜いた。隣で笑う夢主を見てテレンスも乱れた髪を整え直す。
「……笑えない冗談は好きではありません」
 テレンスは眼を細めてジョニィを睨んだ後、屋敷から持ってきたノートパソコンを開けた。今からこちらに動画を移してDIO宛のメールに添えるつもりだ。それを待ち望むDIOからすでにいくつもの催促メールが届いていた。
「夢主様、DIO様に何かお伝えする事はありますか?」
 テレンスに聞かれて夢主はしばらく考え込む。会えなくて寂しいが、そんな事を言えばあの父親は無理をしてでも帰ってくるだろう。
「お仕事頑張って」
 夢主は無難な言葉を選んでテレンスに伝えた。
「ディオにメールするの? 僕からの伝言も伝えてくれるかな?」
 そう言ってジョナサンはパソコン画面を覗き込んでくる。
「構いませんよ。どうぞ」
「じゃあ、……明けましておめでとう、ディオ。お土産のワインを持ってきたけどジョセフがほとんど飲んでしまったんだ。残った一本もさっき承太郎と空けてしまって……ごめんよ。それはそうと夢主の晴れ姿、とってもキュートだね。画面越しにしか見られないなんて本当に残念だと思うよ。今夜はみんなで食べに行こうと思ってね。大丈夫、ジョルノとディエゴも誘うから君は安心して仕事に励むといい。あと徐倫から聞いたけど、娘の服にまで指示を出してるそうじゃないか。幼い時なら分かるけど、そろそろ自由に選ばせたらどうだい? 君の服のセンスはその……ちょっと変わってるからね。僕はとても心配だよ……。それからジョルノとディエゴの事だけど……」
 延々と続くジョナサンの言葉をテレンスはゲームで鍛えられた素早いタイピングで文章にしていく。承太郎はそんな二人を置いてリモコンに手を伸ばし、テレビ画面を大相撲の中継に切り替えた。
「夢主、見てごらんよジョセフのあの顔」
「うわぁ……真っ黒……綺麗に落ちるといいけど」
 くすくすと笑いあう二人の向こうで羽子板を捨てたジョセフは代わりに筆を奪い取った。手酷くやられた仕返しをするつもりのようだ。
「親父、何して……!?」
 制止しようとした仗助の顔に黒い横線を描いてジョセフは笑いながら走り抜けていく。
「こ、この、酔っぱらいのクソジジイーッ!」
 仗助の叫び声に大勢の笑い声が重なった。空条家は今年も賑やかな一年になりそうだ。

 終




- ナノ -