帝王と夏休み


 容赦なく照りつけていた太陽がようやく傾き、水打ちした庭先から涼風が舞い込んでくる夕暮れ時に花京院は空条家を訪れていた。
「いらっしゃい、花京院くん。夢主ちゃんの手伝いが終わったらお茶を持って行くわ。承太郎のお部屋で待っていてね」
 ホリィは伝う汗を拭いながら玄関先で花京院を出迎えた。
「お邪魔します」
 花京院は微笑みを返し、空条家の掃き清められた玄関から承太郎の部屋に続く廊下を歩く。
 夏休みを迎えた学生たちは宿題と勉強に追われながらも長い休みを大いに楽しんでいる。いつもの制服を脱ぎ、ポロシャツとジーンズ姿の花京院は、途中、広い池の中で鯉が優雅に泳ぐ姿を眺めてから承太郎の部屋の前に立った。
「承太郎、僕だ」
 声を掛けると中から短い返事があった。花京院は白いふすまを開けて親友の部屋に足を踏み入れる。
「よぉ、宿題は全部終えたか?」
「後は英語だけさ」
 畳の香る和室には勉強机と椅子、それからエレキギターにラジカセ、革ジャンにダンベルとプラモデルにカーラジコンが散乱し、壁際の本棚にはみっしりと本が詰まっている。オカルト本に始まってミステリー小説と少年漫画、それから参考書と入試の過去問が集められた赤い本がずらりと並んでいた。エロ本はまた別の場所にでも隠してあるのだろう。自分と大して変わらない男子高校生らしい部屋をぐるりと眺めて、花京院は畳の上にあぐらをかいて座った。
「花京院、塾はどうした?」
「大丈夫。朝に顔を出してあるから」
 平日は学校と塾に行って家に帰る。休みの日は承太郎や夢主とどこかに出かけて遊んだり、宿題やゲームをして時間を潰す。そんな平和な時間が花京院は何よりも楽しかった。
「悪いな。あいつのワガママに付き合わせて」
「息抜きも大事だよ。それに僕はここのお祭りは初めてだし……これでも結構、楽しみにしているんだ」
 一緒に夏祭りに行こう! と夢主に誘われた時、花京院は結構どころか息が継げないほどに嬉しかった。小さい頃から見えない壁を作ってきた彼は祭りに一緒に行く友達など皆無だったからだ。しかし今はそれが二人もいるのだ。真に心を通い合わせ、打ち解けられる喜びを花京院はしみじみと味わっている。
「それで肝心の彼女は?」
「今、おふくろが手伝っている」
「ホリィさんもそう言ってたな。何を手伝うことがあるんだい?」
 不思議そうにする花京院の元へ二人分の足音が届いた。
「お待たせしたわね。はい、麦茶をどうぞ」
 ホリィは氷の入ったグラスと茶菓子が乗った盆を雑誌で埋もれていた座卓の上に置いた。
「花京院、待たせてごめんね」
 ホリィの後から夢主が姿を見せる。Tシャツと短いジーンズ姿でも眩しいくらいだというのに、今日の彼女は朝顔が描かれた浴衣を着ているではないか。セットされた髪には揺れるかんざしが飾られ、唇には瑞々しい色の紅が塗られてあった。
「……」
 笑いかけてくる夢主を見て花京院は時を止めた。
「お前の変わりように度肝を抜かれたみたいだぜ」
 承太郎がそう言って笑うと、薄化粧をした夢主はむっと唇を尖らせる。
「あのねぇ、少しは褒めてもいいんだよ?」
(とっても可愛い。すごく似合ってる。いつもの君はどこに行ったんだ? そんなの反則じゃあないかッ!)
 花京院の心の中で言葉が次々に生まれ、喉の奥から溢れてきた。
「えっと、な、何て言うか……馬子にも衣装だね」
 それなのに口をついて出た言葉はそれだ。
「あはは! 絶対言うと思った!」
 夢主は怒ることなく、けらけらと笑い出してしまう。花京院もつられて笑いながら本当のことが言えなかった自分が少し情けなかった。
「今からポルナレフとアヴドゥルさんに送る写真を撮ろうと思って。二人ともいいでしょ?」
 用意したカメラをホリィに手渡し、夢主は承太郎と花京院の手を掴んだ。
「もちろん」
「仕方ねぇ」
 三人は美しい日本庭園を背景にレンズをのぞき込むホリィの前に立った。
「はーい、いくわよぉ! 承太郎、もっと笑って!」
 ホリィはノリノリでカメラのシャッターを押す。パシャパシャと何枚か撮った後、夢主とホリィは満足そうな笑顔を浮かべた。
「ありがとう、聖子ママ。出来上がったら花京院にもあげるね」
「あぁ、どうもありがとう」
 花京院は照れくさそうに頷いた。これまで寒々しかった彼のアルバムは旅の仲間たちと二人の親友に彩られて増え続ける一方だ。
「折角だからDIOにも浴衣を見せてくるね。花京院、承太郎の部屋でちょっと待ってて」
 そう言って夢主は二つ向こうの自室へ足を向けた。花京院がそちらを意識すると、ひんやりとした冷気を感じることが出来る。死闘を繰り広げ、DIOの恐怖は克服したものの、やはり相手がそこに居るとなると話は別だ。様々な感情が渦巻き、乱れていく心を花京院は静かな庭と底抜けに明るいホリィの声でどうにか持ち直した。
「花京院くん、ほらほら座って。このお茶菓子とっても美味しいんだから。承太郎も夢主ちゃんも昔からこのお店の和菓子が大好きなの。夏は水ようかんと葛餅がとくに美味しいのよ」
「……もういい、部屋から出てくれ」
「はぁーい。二人ともお茶のお代わりが欲しかったらいつでも言ってね」
 承太郎の苦々しい表情を受けてもホリィは笑顔で息子の部屋を後にした。親しい友人が出来て嬉しいのは何も花京院だけではないようだ。
「まったく……この家の女どもはよく喋りやがる」
「ふふ、明るくていい事じゃあないか」
 花京院は再びあぐらをかいてホリィが置いていった麦茶と和菓子に手を伸ばした。


 赤い鼻緒の下駄をカラコロと鳴らしながら夢主はお祭り会場である公園内を散策している。広い敷地内には至る所に屋台が広げられ、小さな子供から大人まであちこちをふらふらと渡り歩いていた。
「何だこの人混みは」
 DIOは浴衣姿の夢主のすぐ後ろでウンザリとした声を漏らした。
「お祭りだからね。仕方ないよ」
 いちご味のかき氷を食べながら夢主はDIOを振り返る。黒いホルターネックに身を包んだ彼はその見事な体躯を見せつけるようにして歩いている。すれ違う女たちの目はそれを堪能した後、彼らの背後を歩く青年たちへと移った。
「まさかDIOまで来るとは」
 花京院としては夢主と承太郎の三人だけが良かった。日本の祭りと聞いて興味が湧いたのか、DIOまでもが参加することになり彼は複雑な表情が隠せないでいた。
「やれやれ……」
 承太郎はそれだけを呟いて、いとこと宿敵が並んで歩く姿を背後から見守った。
「ねぇ、たこ焼き食べてみる?」
「あのようなグロテスクな物をお前はよくも食べられるな。味覚がおかしいのではないか?」
 イギリス人のDIOは赤く茹でられた八本足の悪魔が大嫌いだ。
「見た目で判断するから駄目なんだよ。美味しいのに。すみません、たこ焼き一つ下さい」
 屋台のおじさんは威勢のいい声で返事をする。舟皿に乗った出来立てのたこ焼きを手に夢主はにこにこと笑顔を浮かべた。
「ほら、DIOも勇気出して食べてみたら?」
「断る」
 実に嫌そうに顔を背けられてしまった。夢主はくすっと笑いながら、あつあつのたこ焼きに息を吹きかけ、ぱくりと一口食べた。
「祭りと言えばやっぱりこれだよね!」
 DIOは屋台の表に並ぶタコから視線を外し、夢主から押しつけられたかき氷を口にする。あの薄気味悪い生き物を食べるくらいならまだ氷の方がマシだった。
「じゃあイカ焼きは? それとも金魚すくいする? DIOのスタンドを使えばいくらでも取れちゃうね」
「我がスタンドをあのような遊びに使おうとするな」
「でも五秒でどれだけ取れるか知りたくない?」
「五秒ではない、九秒だ。私は漁師ではないのだぞ。魚を捕るためにわざわざスタンドを使うと思うのか?」
 呆れ顔で言われても夢主は諦めなかった。
「そこまで言うなら私と勝負しようよ」
「なぜこの私がお前と魚取りの勝負などしなければならん」
 そう言いつつもDIOと夢主は金魚すくいの屋台の前で足を止めた。
「二人分、お願いします」
「おう。金髪の兄ちゃん、頑張れよ」
 おじさんが薄い紙で出来たポイとすくった金魚を入れるお椀を二人に手渡す。夢主は浴衣の袖を押さえつつ、静かにポイを沈めて色鮮やかな金魚に狙いを定めた。そっと下に潜らせて金魚の頭からすくい上げる。夢主のお椀にするりと一匹の金魚が移りこんだ。
「お! 嬢ちゃん、上手いね」
「毎年、お祭りで鍛えてるから」
 おかげで空条家の池は夏になるたびに金魚の数が増えていく。
「む……」
 ふふんと得意げに笑う夢主を見たDIOは、見よう見まねで同じくポイを水に浸した。金魚の重さ、水の抵抗力、それからすくい上げるときのタイミング、それらを計算し、ここだ、と思ったところで手首を返す。
 だがDIOが放つ殺気に怯えたのか、金魚はするりと逃げて後には穴の開いたポイだけが残された。
「……」
「残念だなぁ。ほら、もう一回おまけしといてやるよ」
 真新しいポイを受け取りDIOは再び水面に目を向けた。隣で笑いながら夢主は早くも二匹目を捕まえている。そんな彼らの背中を、承太郎と花京院が目を丸くさせ呆れた様子で見下ろしていた。


 右手にはちゃぷちゃぷと揺れる金魚が入った袋を、左手には焼きトウモロコシが入った袋を持って夢主は背後のDIOを振り返った。
「有名な焼きそばと美味しそうな唐揚げ、どっちがいい?」
「どっちでも構わん」
 両手にピンク色のわたあめを持たされた彼はそれでも様々なB級グルメに興味が引かれたようだ。遠慮なくあちこちの屋台の中をのぞき込んでいる。夢主はふと辺りを見回した。途中まで一緒だったはずの仲間が居ないことに気付いたのだ。
「あれ? 承太郎と花京院は?」
 その時、自分たちよりも少し後ろの方で黄色い歓声が上がった。
「ジョジョー! やだぁ、まさかこんなところで会えるなんてっ!」
「運命よ、運命! 赤い糸で結ばれてるのね!」
「何言ってんの、それは私のセリフよ!」
「花京院くんまで一緒だなんて! 私、すごく嬉しいっ」
「ずるいっ、離れなさいよォ」
 彼らのファンである女生徒たちは夢主と同じく様々に着飾り、二人を取り巻いてきゃあきゃあと騒いでいた。花京院はその押しの強さに困惑し、承太郎は迷惑そうに顔を歪めている。彼が怒鳴るまであとわずかだろう。
「あー見つかっちゃったみたいだね」
 夏休みの大事なイベントを好きな人と一緒に過ごしたいのだろう。遠慮のない女の争いはますます声を荒げるばかりだ。
「何だあれは」
「羨ましい?」
 夢主の言葉にDIOはフンと笑った。
「煩いだけのハエのような集まりだな。どいつもこいつも体が貧弱だ。胸の無さはどうにかならぬのか」
 DIOのあまりの言いように夢主は堪えきれず吹き出した。
「言っておくがお前にも言えることだぞ?」
「はいはい。乳臭いガキはわたあめでも食べてますよ。大人しくね」
 DIOの手からピンク色のふわふわした物を奪ってぱくりと食べた。すぐに溶けて消える優しい口当たりに笑顔を浮かべる。
「あー、おいしい。DIOも食べてみたら?」
「わたあめ、か。このDIOが生まれた時代には無かったものだな」
 まるで雲のようにふんわりとした甘い菓子はDIOも見るのが初めてだ。
「ふふ、DIOおじいちゃんには驚きだよね」
「オイ、止めろ。だれがジジイだ! 私は老いぼれジョセフのように年老いてはいないぞ!」
 DIOは若々しい体を見せつけるようにしてくる。夢主はわたあめを食べつつ、DIOから屋台へと視線を移した。
「そんな事より聖子ママの好きなりんご飴を買いに行こうよ」
「私の話を聞け! まったくお前という奴は!」
 後ろでぐだぐだ文句を言うDIOを半ば無視しつつ、夢主は星が散らばる夜空を見上げた。不意にどこからか細い音が響いて、ドォンと空一杯に大輪の花火が咲く。
「あ、花火が始まったよ!」
「見れば分かる」
 夢主とDIOはわたあめをかじりつつ、華々しい空を見上げた。
「キャー! 見て、見て、ジョジョ!」
「やだぁ、綺麗!」
「私、花京院くんと一緒見れて、嬉しいっ」
「私だって、ジョジョと一緒に見れて嬉しい!」
「そんなの、私だってそうよ! ちょっと、どきなさい、そこ!」
「嫌よ、あんたがどきなさいよ! なれなれしいわね!」
 花火と共に上がる女たちの騒がしい声にとうとう我慢の限界を迎えてしまったらしい。
「テメーら、いい加減にしろッ!!」
 花火よりもひときわ大きな承太郎の怒鳴り声が祭りを楽しむ人々の間に響き渡っていった。





 夢主の勉強机にはいくつかの可愛い小物と家族の写真立てが飾られてある。ランドセルを背負った承太郎と夢主が入学式と書かれた看板の横に並んで立っているものから、ホリィと夫の貞夫が肩を寄せ合っているもの、家族旅行で行った海や遊園地、それからもちろんDIOを倒す旅の仲間たちと撮った集合写真もある。
「あー、懐かしいなぁ」
 夢主はその写真を手に過ぎ去った灼熱の砂漠と、凍り付くような夜を思い出した。生まれて初めてラクダに乗り、潜水艦で海を渡っては刺客のスタンド使いたちと戦いを繰り広げた日々を懐古する。
「アヴドゥルさんも、ポルナレフも元気かな」
 故郷に帰った彼らはどうしているだろうか。ジョセフはまた近々、様子を見に行くとの電話があった。犬のイギーと猫のドルチはクーラーの効いた涼しい居間で仲良く寝っ転がっている。花京院は夏期講習を受けるため塾に行き、承太郎はバイクで出かけしてしまった。残された夢主はそろそろ机の上にある現実と対峙しなければならない。
「宿題……だるい」
 あと少しで終わる。けれどその少しが辛い。
 写真を元の位置に戻し、ちらりと背後を窺った。残されたもう一人、DIOは畳んだ布団に背中を預けて、暇つぶしなのか英語の教科書を開いていた。
「宿題ごときさっさと終わらせろ。いつまで無駄な時間を費やすつもりだ?」
「そーだけどー……やる気が起きない」
「このDIOに家庭教師の真似事でもさせる気か? 言っておくが私は手厳しいぞ」
 夢主が嫌そうに顔をしかめるのを見てDIOはフンと笑った。
「家庭教師ねぇ。頭良さそうに見えるけど、DIOって学校行ったことあるの?」
「見えるとは何だ。ハドソン大学の主席に向かってよくもそのような口が利けるものだな」
「えー!? ウソッ! 主席?!」
 夢主のあまりの驚きようにDIOはフフンと上から目線になる。
「専攻は?」
「法学科だ」
「……わぁ、スタンドも月までぶっ飛ぶこの衝撃」
 夢主は大きく目を見開いてしまう。
「なるほど。頭が良すぎたから、ちょっとおかしな方向に突っ走っちゃったんだ」
 驚愕から尊敬へ、そして可哀想なものをみる目へと移り変わった。
「吸血鬼とか世界征服とか、突拍子ないもんね」
「おい、何だその哀れむ目は。止めろ」
 DIOは英語の教科書を閉じ、夢主に向かって投げつけようとする。しかし手は自らの意志に反して畳の上にパサッと置いただけだった。
「チッ……お前はさっさと宿題を済ませろ。一人、海に行けなくなって泣き喚いても私は知らんぞ」
 まるでお母さんみたいな発言に笑いながら夢主はカレンダーを見た。今週末には承太郎や花京院と一緒に海へ遊びに行く予定なのだ。
「……はぁ、仕方ない。頑張るか」
 夢主は英語の教科書を拾い上げ、再び机に向き直った。DIOはまた別の教科書に手を伸ばしている。
 沈黙が支配する部屋にジージーと騒がしい蝉の鳴き声だけが響いていた。


「夢主ちゃん、DIOさん、三時のおやつよォ」
 エプロン姿のホリィは冷たい麦茶とゼリー、それからアイスを盆に乗せてふすまをそっと開いた。すぐに中からクーラーの冷気が廊下に流れてくる。外の熱気を遮った部屋はあまりに快適だったのだろう。二人は畳んだ布団に身を預けて横になっていた。
「あらあら」
 ホリィは運んできた物をそっと机の上に置き、緩んでしまう口元を手で覆った。近くにあったタオルケットを静かに広げ、彼らの体に掛けてやる。気配に気付いたDIOがこちらをジロリと見てきたがホリィは微笑みを返すだけだ。
「もう少し後にした方がよさそうね」
 そう言ってホリィは持ってきたお盆を手に夢主の部屋を静かに後にする。
 問題の分からないところを聞いているうちに布団の柔らかさに誘われて、夢主はいつしか眠りに落ちてしまった。DIOは彼女の手に握られた数学の教科書を取り上げ、ぱらぱらとページをめくった。女らしい文字で数字や公式が書き込まれてある。
 本を畳の上に放り投げる音がして、部屋は再び心地よい冷気に包まれていく。外では相変わらず蝉の合唱曲が流れていた。





 小さいときはホリィの夫が運転する車で、承太郎がバイクに乗るようになってからは彼の後ろで、そうして海へ遊びに来ていた夢主だが、今回、新たな二人の参加者のために移動方法を考えなければならなかった。
「そう言うことならわしに任せなさい」
 数日前にアメリカから来日したジョセフは車の運転役を快く引き受けてくれた。
「ジョセフおじいちゃん、ありがとう!」
「なに、可愛い孫のためじゃ。それにDIOを監視する者が必要じゃろう」
 喜ぶ夢主にジョセフは好々爺の表情で頭を撫でる。
 そうして広いトランクに水着とタオル、着替え、浮き輪にシュノーケルセット、お茶とジュースの入ったクーラーボックスを詰め込んでジョースター(+DIO)ご一行様は海を目指して車を走らせた。
「花京院、顔色が悪いぞ。車酔いか?」
 アロハシャツを着たジョセフに話しかけられた花京院は助手席で首を横に振る。
「いえ……大丈夫です」
 車酔いではなく言うなれば、DIO酔いだ。後部座席に座った悪の帝王の存在が花京院の精神に食い込んでくるのだ。
「少しでも気分が悪くなったら言ってね。袋、用意してあるから」
「車を止めてどこかで休憩すればいいだろうが」
 承太郎は夢主の手に持った袋を奪い取り、荷物がたくさん詰め込まれた後ろに投げた。
「貴様らもっと大きな車を用意できなかったのか? 暑苦しい……夢主、端に寄れ」
「あのねぇ図体のデカイDIOと承太郎に両側から挟まれてる私の気持ちにもなってよ」
 体を押してくるDIOを夢主はぐいっと押し返した。その反対側で承太郎は早くも帽子を深々と下げてしまう。どうやら到着するまで眠るらしい。
「夢主、クーラーボックスから何か飲み物を頼む」
「はーい。おじいちゃんはアイスコーヒーでいい?」
 ジョセフから言われて夢主は素直に腕を伸ばす。眠気覚ましに冷えた缶コーヒーを差し出した。
「花京院はコーラ?」
「ああ、どうもありがとう」
 コーラで喉を潤した花京院は少しばかりホッとする。ミラー越しに背後へ視線を向ければ、DIOまでもがコーラを飲んでいる姿が飛び込んできた。何だかとても異様な光景だ。
「暇だ……まさか何時間もの間、車の中に押し込められたままなのか?」
 DIOは景色の変わらない高速道に早くもウンザリしたようだ。
「本でも読めば? 雑誌か新聞があったと思うけど」
「フン……つまらぬ。夢主、お前、歌でも歌ってみせろ」
「えっ、嫌だよ! カラオケ店ならまだしも車の中で一人歌うなんて!」
「音痴か」
「DIOが歌えばいいじゃない」
「このDIOの美声がそれほど聞きたいのなら仕方ない」
 夢主と同時に花京院とジョセフも首を横に振った。
「聞きたくないよ。耳が腐りそう」
「何だと?!」
 腐るとまで言われたDIOはムッとした表情になる。
「仕方ないのう……よし、わしがアメリカ国歌を歌ってやろう」
「ジョースターさん、もっと他にないんですか?」
 いきなり国歌を聞かされても困る。花京院は他の選曲を願った。
「他というとビートルズぐらいか」
 誰もそれでいいと言っていないのにジョセフはノリノリで歌い始めた。少し音程の外れた歌声にDIOは険しい表情になり、夢主と花京院は苦笑するしかない。
「暇ならゲームでもするかい?」
 花京院は家から持ってきた携帯ゲームを差し出す。
「ありがとう、とっても助かる」
 笑顔でゲームを始めた夢主の手元を興味が引かれたらしいDIOがのぞき込んでいる。これで少なくとも、一時間くらいは大人しくなるだろう。ジョセフの調子外れな恋の歌を聞きながら花京院は交通量の多い道路へと視線を移した。


 大勢の人であふれかえる海水浴場を想像していた花京院は、整然と並べられたウッドチェアと静かに海を満喫する少数の人々を見て目を瞬かせた。遠浅のどこまでも青い海が広がるここは隣接されたホテルのプライベートビーチのようだ。
「わしの友人が経営するホテルの一つじゃ」
 そう言ったジョセフを花京院は驚きのあまり見つめ返してしまった。ジョセフはアメリカの不動産王だ。その関係の友人も世界中にいるらしい。そんなコネもあって、小さい頃からここに遊びに来ていた承太郎と夢主は荷物を次々に降ろし、戸惑う花京院を更衣室へと押し込んでいった。
「おーい、わしはちょっと友人に顔を見せてくる。騒ぎを起こすなよ、お前たち」
 ジョセフは彼らを置いてホテルの中へ入って行く。
「ビールか。それもいいが他に無いのか?」
 売店に酒の文字を見つけたDIOはふらりとそちらに歩いていった。彼はいつものように上半身だけが裸だ。海で泳ぐ気は無いらしい。
 承太郎は夢主の隣にあるテーブルに脱いだ帽子を置くと、彼は本格的な競泳用の水着を着てパラソルの下から眩いばかりの肉体美をさらけ出した。
「オイ、いつまでそうしている気だ? まだ具合が悪いのか?」
 チェアの上で横になる夢主に承太郎が視線を落とす。
「うん、もうちょっとだけ休んでる……。承太郎は遠泳するんでしょ? 気を付けてね」
「ああ。花京院、しばらくこいつを任せた」
 花京院が頷くのを見て承太郎は海に向き直った。入念なストレッチの後、ゴーグルを付けるやザバザバと波をかき分けていく。
「承太郎、水泳部に入ればいいのに」
「本当だね」
 笑う夢主の言葉に花京院も同意した。
「付き合わせてごめんね。まさか私が車酔いするなんて」
 小さなゲーム画面を見ていたら段々と気分が悪くなってきたのだ。ゲームをDIOに押しつけて、夢主は承太郎と同じく眠りに落ちた。起きてもまだ少し酔っている気分なのには参ってしまう。折角の海水浴がこれでは台無しだ。
「もうちょっとしたら治ると思うから」
 それでもジッとしているのは暑いのか夢主は用意していた冷たいお茶を飲み、持ってきたうちわでパタパタと扇いだ。白い喉が動く様子といい、肩に羽織ったパーカーの隙間から見える水着といい、いつもの彼女とは思えないほど扇情的だ。制服や私服で隠されている胸の谷間は穢れを知らない白さと柔らかさを持っている。腹から腰にかけての曲線が滑らかだし、組んだ足からも若々しい色気が溢れていた。
「……ああ、うん……」
 どうしても目に入ってくるその光景に隣に居る花京院はごくりと息を飲んだ。旅の間はそれほど気にならなかった夢主の女性としての姿に花京院は焦るばかりだ。
(意識すると余計に……)
 花京院は目を逸らしつつ、何か話題は無いかと必死で頭を働かせた。
「……しゅ、宿題は全部出来た?」
「え? もちろん終わらせてきたけど。花京院は?」
「ああ、うん、僕も大丈夫だ。あとは塾の分だけで、それももう少しで終わるから……」
 遊びに来ている先でそんな話を出した自分に嫌気がさしてくる。花京院は海を泳ぐ承太郎に視線を移した。彼は泳いだり潜ったりして一番、海を楽しんでいるようだ。
「承太郎、生き生きしてるね」
 夢主がクスッと笑うその目は穏やかでとても優しかった。二人がそうして彼を眺めていると、泳ぐのに疲れたのか、それとも飽きたのか、承太郎は浜辺に戻ってくる。髪の水気を飛ばし、掻き上げる姿は堪らなく格好いい。誰もが見惚れる中、彼は夢主と花京院のところに戻ってくると手にしていた物をテーブルの上に無造作に広げた。
「これは……」
 様々な形をした貝殻だ。白い巻き貝にピンク色の小さな貝殻が置かれるのを見て、花京院は目を何度か瞬かせた。
「具合はどうだ」
「うん、もう平気。今年も綺麗なおみやげが出来たね」
 夢主は巻き貝を手の中で転がしながらそんなことを言う。
「?」
「聖子ママへのプレゼントだよ。毎年、持って帰るの」
 父親のジョセフにすべてを任せ、ホリィは友達と街へバーゲンセールに行ってしまった。今頃はあれこれと服を見て美味しいランチでも食べているのだろう。
「ああ、なるほど」
 まさか母親へのおみやげとは思わなかった。花京院がくすっと笑っても承太郎は気にした風でもない。
「綺麗だね。承太郎、一つもらってもいい?」
 夢主は形のいい小さな巻き貝を手に彼を見上げてみる。
「ああ」
 返事を受けて夢主はそれを大事そうにそっとタオルで包み込んで、自分のバッグへとしまい込んだ。
 花京院は嬉しそうな夢主の笑顔を見て、こちらまでもが心が温かくなるようだった。


 シュノーケリングを楽しんでいる夢主の脳裏に、危機的状況の中でダイビングをした紅海の素晴らしい景色が思い起こされた。澄み切った海水に熱帯魚の群、それらを楽しむ暇もなく敵に襲われたわけだが、今となってはいい思い出の一つだ。
「泳ぎすぎてお腹減ってきた」
「もうすぐ昼だし何か食べようか」
 夢主の一言で花京院と承太郎も海から上がり、水着を着たまま食事が出来るレストランに足を向けた。すでに結構な人がそこを訪れ、海を見ながらのランチに舌鼓を打っている。と、そこに見慣れた人物がグラスを傾けている姿がある。
「お昼からワインだなんて優雅だね、DIO」
「私は元から優雅だ」
 夢主の皮肉も彼には通じなかったようだ。夢主は肩を竦め、遠慮せずに彼の向かい側に腰掛けた。承太郎と花京院はその二つ隣の席に着く。
「もしかしてずっとここで飲んでたの? 海に来たのに泳がないわけ?」
「この私が泳ぐと思うのか? 海で騒ぐのは子供がやることだ」
「ふぅん、やっぱり吸血鬼は泳げないって本当なんだ」
 DIOは夢主の言葉に呆れた顔を向けると、ふぅと溜息をついた。
「泳げるに決まっているだろう。私を誰だと思っている」
 自信満々な笑みを向けられて夢主は肩を竦める。
「何だ、残念。溺れるDIOが見たかったのに。じゃあ、後でスタンドを使ったビーチバレーやらない?」
「まったく……下らぬ事ばかり考える奴だ」
 DIOが夢主から視線を外し、開け放たれた窓から海に目を向ける。何百年ぶりに見る太陽の下の海はどこまでも美しい。あの海底には戻りたくないと思うものの窮屈な状況は今も同じだ。DIOはため息を飲み込んでグラスの中のワインを呷った。


 少し離れた位置に観光客用のビーチバレーのネットが用意されている。今そこで、慌ただしく体を入れ変えながら、時にボールがあり得ない位置からアタックされるのを木陰で休んでいる猫だけがぼんやりと眺めていた。
「あー、もう無理! ついていけないっ!」
 普通にしたのでは面白くないからと、ボールを二つ使ったバレーは思いのほか白熱し、飛んでくるボールを受け止めるのに夢主は必死になっている。しかしスタープラチナからの一打はあまり強く正確で、生身の足ではとても追いつけなかった。
「フハハッ! 貧弱、貧弱ゥッ!」
 ついさっきまで気のない顔をしていたくせに今ではどうだろう。DIOは不敵な高笑いをしながら、夢主が取りこぼしたボールを難なく受けとめ、すぐにザ・ワールドが猛烈な一撃を承太郎に向けて放った。
「チッ、しぶとい野郎だぜ」
「夢主、大丈夫?」
 さっきからほぼ承太郎とDIOの一騎打ちになっている。砂に足を取られて転けた夢主を花京院だけが心配してくれた。
「まぁ、何とか……これいつ終わるの?」
 もはや地面に腰を下ろした夢主の頭上でボールは超高速でコートを行き来している。もはやバレーというスポーツですら無かった。
「さぁ……」
 花京院は肩を竦めるばかりだ。
 そのうち「無駄無駄」「オラオラァ」と叫ぶ声が辺りに響き渡り始めた頃、とうとうボールが限界を迎えたらしい。バァンと大きな音を立てて夢主の足下にボールの残骸が二つ落ちてきた。
「勝負は引き分けだね」
 夢主の言葉に二人は納得できないようだった。


 スタンドを使ったビーチバレーで戦いを繰り広げている間にも太陽はゆっくりと沈みはじめていた。チェアの上で日光浴と読書を楽しむDIOの近くで学生三人がお喋りを繰り返していると、そこへようやくジョセフが姿を見せる。
「おぉ、たっぷりと日焼けをしたようじゃのう」
 ガハハと笑うジョセフの手にはビールの缶が握られているではないか。
「ちょっと、おじいちゃん! 帰りの運転どうするの!?」
「ああ、それがのう……わしの友人がもっと話に付き合えと言うんでな、一泊することになった」
「えっ!?」
 突然のことに夢主は驚き、花京院は困った顔を見せる。
「しかし、ジョースターさん」
「花京院、心配するな! わしが家に電話してやろう。ホリィにも伝えておかないとな。電話はこっちじゃ」
 ジョセフは酒臭い息を吐きつつ、花京院の腕を引いてホテルのロビーに向かって歩いた。
「喜んでいいのかな?」
「いいんじゃねーか。どう考えても運転は無理だろ」
 二人の後を追って夢主はDIOの背中を押しつつ、承太郎と共にホテルに入っていった。ロビーでは連絡を終えた花京院が申し訳なさそうな顔でこちらを見てくる。
「まぁ別に用事も無いし、親からの許可ももらったからいいけど。何だか悪いな」
「気にするな、花京院。ここの海鮮料理は美味いと評判じゃぞ。ホレ、お前たちの部屋の鍵じゃ。荷物を置いてこい」
 ジョセフは承太郎と花京院、夢主にそれぞれ各部屋のキーを手渡した。番号が並んでいるので隣部屋なのだろう。
「わしはDIOと同室じゃ。吐き気がするほど嫌じゃが、これも監視のためじゃからの」
 そんなに酔っていながら監視できるのか疑わしいものだ。そう思いつつもジョセフの言葉に従って各自が部屋に荷物を置く。遠いところから来た友人のためを思ってか部屋はゆったりと広く、窓からは海が一望出来る素晴らしい景色が用意されてあった。
「わぁ」
 小さい頃から来ているが一人一部屋は今まで無かった事だ。荷物を置くと真っ白なシーツが掛けられたベッドに倒れ込んだ。遊び疲れている体は正直で、そうしていると睡魔が忍び寄ってきそうだ。この後に待ちかまえる夕食のためにも、一度、シャワーを浴びておきたい。夢主はすぐにバスルームに飛び込んだ。


 ジョセフが友人と愉快な会話を繰り広げているすぐ横で、次々に出てくる新鮮な魚料理をたらふく食べた若者たちは元気な老人たちを置いて承太郎の部屋にやってきている。DIOはジョセフの居ない部屋でテレビを見ながらまったりとワインを楽しむようだ。そうして寝るまでの短い間、夢主たちは持ってきたトランプでカードゲームをしつつ他愛ない会話を繰り返した。
「そう言えばポルナレフから手紙が来たよ」
「エッフェル塔の前で気取ったポーズのやつ?」
 花京院は先日届けられた写真を思い出す。
「うん、それそれ。その返事を書くときにこの海での写真を入れようと思って。いいでしょ、花京院?」
「もちろん。君の水着姿の写真を同封したらきっと喜ぶと思うよ」
「えー? そうかな?」
 可愛らしい水着を脱いで今は普段着に着替えている。花京院は海に入る以外、ほぼずっと承太郎のパーカーを着させられていた夢主の姿を思い出した。こう見えて意外と承太郎は過保護らしい。
「オイ、そろそろ寝ろ」
 承太郎はちらりと時計を見て言った。夜も更けて外はすでに真っ暗だ。硬派な承太郎は夜遅くに男の部屋にいる夢主を自分の部屋へ戻るよう促した。
「あー、そうだね。今日は疲れたし……二人ともお休み」
 承太郎の言葉に素直に従って夢主はソファから腰を上げる。
「お休み」
 手を振ってドアを閉める彼女に花京院は夜の挨拶を告げた。
 テーブルの上に散らかったトランプカードを片付け終えると、花京院も承太郎を気遣って部屋に戻ることにした。夢主と同じく体は疲れている。友人と海だなんてイベントはこれまで無かったせいか、思った以上にテンションが上がり切っていたらしい。
「承太郎、僕も部屋に戻るよ」
「ああ。また明日な」
「うん、お休み」
 そうして花京院がドアを開けて廊下に顔を出すと夢主の部屋の前に見知った姿があった。
「ちょっとDIO、何でここに来るわけ?」
「ジョセフのイビキが煩くてかなわぬ。さっさと開けろ」
 鍵を壊す勢いの相手に夢主は渋々とドアを開けた。
「ベッド一つしかないのにどーするの? 私、ソファなんて嫌だよ?」
「いつも通りくっついて寝ればよかろう。今更、恥ずかしがるような仲ではあるまい」
「もー……せっかく広く寝れると思ったのに……」
 夢主がブツブツ文句を言うのが聞こえてくる。ドアを閉じる間際、DIOは花京院の視線に気付いたらしい。ニヤリと悪人顔で笑ってくる相手に花京院は唖然となってしまった。
「……承太郎」
 部屋に帰ると言った花京院がドアを閉じて再び承太郎の部屋に戻ってきた。
「何だ? 忘れ物か?」
「あの……今、夢主の部屋にDIOが入っていったんだが」
 青ざめた花京院の言葉を聞いても承太郎は動揺しなかった。
「くっついて寝ようってどういう意味だ? 恥ずかしがる仲ではないって一体?」
「あぁ、知らねぇのも無理ねぇ」
 承太郎は口の端で笑いつつ、平然と言ってのけた。
「あいつらは毎晩同じ布団で寝てる。だが、別に男女の関係じゃねぇ。夢主が言うには女を抱き枕にして寝るのが野郎の趣味だとよ」
 なんとも悪趣味だ。そんな事を聞かされた花京院は頭が痛くなってくる。やはり夢主も承太郎もどこかの神経が切れているのではないだろうか。
「夢主には一切の危害が加えられねぇ。野郎だってその事は承知しているはずだ。だから安心しろよ、花京院」
「承太郎はそれで安心できるのか?」
「デコピン一つ満足に出来ないからな。夢主のスタンド能力は確かだぜ」
 笑う承太郎を花京院は複雑な表情で見る。たとえ安全だとしてもやはり嫌な気分だ。仲間と宿敵が一緒に寝ていることがどうしても受け入れられない。
「君がそこまで言うのなら……まぁとにかく、僕は寝ることにするよ。何だか頭痛がしてきた」
「ゆっくり休め。あいつらのことは気にするな」
 承太郎の部屋を後にした花京院は夢主の部屋の前を通って割り当てられた自室に戻ってくる。部屋に入ってベッドに腰掛けると、どっと疲れが吹き出してくるようだ。
(この壁の向こうで)
 二人が寄り添って寝ているのかと思うと吐き気がしてくる。それに加えて馬鹿な妄想が頭の中を支配して気が変になりそうだった。シャワーを浴びる余裕すら無くし、花京院はベッドに倒れ込んでそのまま眠りに落ちる事を選んだ。


 翌日、DIOの姿がないことに気付いたジョセフによって朝早くから叩き起こされた三人は、再び睡魔に捕らわれている。
「いやー、スマンのう、すっかり寝入ってしまって……」
 照れ笑いを浮かべるジョセフが帰路に着くため車の運転をし始めてから数十分後。助手席からぐうぐうと寝息が聞こえ始めた。
「何じゃ、花京院は。もう寝てしまったのか?」
 ハンドルを握るジョセフの横で花京院は窓にもたれ掛かりながら眠りに落ちていた。壁一枚向こうの部屋を思うと様々な感情と妄想が渦巻いてしまって、結局、朝まで寝れなかったせいだ。
「海で泳ぎ疲れたんじゃない?」
 二日目もたっぷりと海水浴を堪能した夢主は花京院の寝顔をのぞき込む。
「だろうな。寝かせといてやれ」
 日焼けをした承太郎は熱を持った肌に氷袋を当てつつ、ぐいっと帽子を下げる。
「承太郎まで寝るつもり?」
「バレーに何度付き合わされたと思ってる?」
 溜息をつく承太郎から夢主はDIOへと視線を向けた。彼はあれほど太陽の下にいたのに肌は焼かれず、不健康なまでに白かった。
「あれで根を上げるとは貧弱な奴め」
 ホテルにあったすべてのボールを破壊しつくしたDIOはどこか満足そうだ。動いたことでストレス発散にもなったのだろうか。
「まったく! お前たちのせいでとんだ出費じゃ」
 使えなくなったボールを弁償したのはジョセフだ。冷たいコーヒーを飲みつつ、彼はアクセルを踏み込む。花京院を家に届け、ホリィが待つ空条家に早く戻らなくてはならない。
 軽快に道を行く車内はそのうち静かな寝息で満たされていく。仕方なくラジオを付けたジョセフの耳に聞き慣れた音楽が流れてきた。楽しそうに歌詞を口ずさむ彼の後ろで、夢主のふらつく頭がシートからころりと落ちて承太郎の肩に乗った。
「……」
 帽子の下から寝顔を見ていた承太郎の元に、反対側から手が伸びてきて夢主の頭をぐいっと引き寄せてしまう。
「フン」
 自分の腕の中に夢主を囲い込むDIOを見て承太郎は小さな舌打ちをした。

 終




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