帝王とモブ


 トラックに詰め込まれていた新商品のお菓子が次々に入ってくる。一番クジに続いて今度はお菓子業界とコラボをしたようだ。学校帰りのアルバイト生は大きく派手なポップを組み立てながら、その独特なキャラクターのイラストに目を奪われた。
「最近、よくこのキャラを見るんですけど」
「んー? ああ、今人気らしいぞ」
 バイト先の先輩が搬入された商品を棚に並べながら言った。景品のカードやらカレンダー、そんなささやかな物でもファンには購買意欲をそそられるのだろう。
「あ、そろそろあの外国人が来る時間ですね」
「あー……そうだな。じゃあ作り始めるか」
 ちらっと時計を確認した二人はレジ奥にある作業室へ入った。唐揚げやポテト、小さなたこ焼きを油で揚げる場所だ。それらをいくつか作りながらレジと品だし作業を同時に進めていく。
「それにしてもあの人、一体何者ですかね?」
「いつも変なTシャツ着てる金髪のイケメン兄ちゃんの事か?」
「ええ、この前は“帝王”なんて書いてましたよ」
「はは、俺が見たときは“世界”だったぜ」
「店長は“無駄”っていうのを見たそうですよ。シュールですよね」
「ぶはは! どこに売ってるんだろうな、あの服」
「本当にねぇ。意味、分かってるんでしょうか?」
「フツー、分かってたら着ないだろ。俺が見た感じでは日本に憧れてやって来た留学生なんだろうなぁ」
「あ確かに口調もちょっと変ですしね」
「あれは時代劇に影響されたな。たぶん黒沢映画のファンだぜ」
 なるほど、あり得る話だ。このオーソンでアルバイトを二ヶ月前から始めた新人は頷いた。
「詰め終わったし、並べるか」
 温度を保ったショーケースの中に出来立ての商品を次々に並べていく。そうしていると歩道の向こうに噂の人物の姿があった。
「あ、来ましたよ」
「おぉ、今日もまた変なTシャツ着てるな。一体どういう趣味なんだ?」
 二人が苦笑混じりにひそひそと話している間に彼らはオーソンのドアを押し 開いていた。


「今月、厳しいから千円までね」
 夢主は財布の中と相談しつつ、隣に立つDIOに店内のロゴが入ったカゴを手渡した。
「それではいつものアイスが買えぬではないか」
「安いので十分でしょ。DIOは食べ過ぎなんだよ」
「それはお前たちがトマトジュースしか与えぬからだろう」
 Tシャツにジーパンという実にラフな格好をしたDIOはムスッとした顔で見下ろした。たとえそんな姿と表情でも彼の美貌が霞むことはない。一方、制服姿の夢主は素知らぬふりをして目新しい雑誌が出ていないかとそちらに意識を向けた。
「いいじゃない、聖子ママのご飯は最高に美味しいんだから」
「私の主食は米でもパンでも、ましてやトマトジュースでもない事を貴様は忘れているのではないか?」
 ぶつぶつと文句を言うDIOの背中を押して夢主はお菓子コーナーへ連れて行った。
「いいから好きなの選んで。私、雑誌読んでるから」
「立ち読みなど貧乏人のする事だぞ」
「はいはい」
 夢主はすぐに踵を返す。DIOはフンと鼻で笑った後、大きな体を屈ませて駄菓子に手を伸ばした。それからふらふらと店内を歩き、夜に飲むためのビールを手にしたところで、ふと館で高級ワインを呷っていた頃を思い出す。
「どうしてこうなった?」
 DIOはガラスに映る自分の姿に溜息を吐いた。あまりに情けなくてこの店ごとぶっ潰してやりたくなる。力の限り暴れ回り、店にいるすべての人間を引き裂いてしまいたい。
「あ、DIO、新しいプリンあるよ」
 いつの間にか側に来た夢主が無邪気に二つの味の洋菓子を見せてくる。
「本はどうした?」
「新刊なかったからいいの。DIO、どっちにする?」
「どちらでもいい」
 何もかも馬鹿馬鹿しくなったDIOが投げやりに言うと、夢主はじゃあと言って二つをカゴに入れた。
「早く家に戻ろ。もうすぐ承太郎が帰ってくるし」
 DIOは無言で夢主にカゴを押しつける。中の商品を見て夢主はふふっと笑った。いつも必ず買う駄菓子とジュースが入っている。何も言わなくてもカゴに入れるあたり、DIOもこの生活に慣れてきているようだ。
「何が可笑しい?」
「別に」
 夢主はさっと背中を向けて二人の店員にカゴを渡し、精算されるのを待つ。
「あと、唐揚げとたこ焼きをお願いします」
 夢主はケースの中を指差す。それらをDIOと一緒に食べながら歩いて帰るのがここ最近クセになりつつある。完全に予算オーバーだが、まぁ何とかなるだろう。
「はい、DIO。これ持って」
 DIOの好きなアイスとビール、それから駄菓子とホットスナックが詰め込まれた二つの袋を相手に押しつけた。
「どういう風の吹き回しだ? 千円までではなかったのか」
「トマトジュースで我慢してるDIOへのご褒美」
「私はロマネ・コンティがいい」
「学生にそんなの買えるわけないでしょ。それで我慢してよ」
 肩をすくめ、夢主はDIOの前を機嫌よく歩いていった。





 用意したホットプレートの上には売り出し中のウィンナーがみっしりと敷き詰められている。熱がちゃんと通るよう、菜箸でそれらを動かすおばさんの目は真剣そのものだ。
「またそんなに作っちゃって。余るわよ?」
 パートの同僚が笑いながら話しかけてくる。
「平気よぉ。もうすぐあの子が来てくれるから」
「ああ、あの外国人さん? よく食べるものねぇ、彼」
「貧乏留学生だから毎日ひもじい思いをしているのよ」
「そうなの? それは可哀想ねぇ。あれだけ顔が良かったらホストで働けばいいのに」
「ダメよ、そんなの! 会えなくなっちゃうじゃない」
「ふふ、そうね。彼目当てに来るお客さんが減っちゃうと困るものね」
 二人は顔を見合わせてくすくすと笑い始める。そうして噂をしていると、その本人が姿を現したようだ。店の一角が密かにざわめいて、ここまでその動揺が伝わってくる。
「あ、来たわ。いらっしゃいませ。そこのお兄さん、新商品の味見はいかが?」


 夢主はホリィからもらったメモを頼りにカートを押してスーパーの中をうろうろと歩き回っている。DIOはその隣を歩き、日本の食材を物珍しそうに眺めていた。
「これは何だ?」
「それ、DIOの嫌いな納豆だよ」
 それを聞くやDIOは嫌悪も露わに元の場所へサッと放り投げた。耳だけでなく鼻も利くので、臭いの強いものは大変な惨事になる。以前、朝食に出た納豆を嗅いでしまった彼は三日も夢主の部屋から出ようとはしなかった。
「牛乳買ったし、お肉も買ったし……後は、」
 ふと顔を上げると試食を勧めるおばさんと目があった。夢主のすぐ横にいるDIOを見てほんのりと頬を染めている。彼の魅力は女であれば年など関係ない。幼女からおばあちゃんまですべてを虜にする。勧められたウィンナーをDIOは遠慮も知らずぱくぱくとよく食べた。
「うーむ……ビールかワイン、とにかく酒が欲しくなるな」
「前みたいに商品を勝手に開けちゃダメだよ」
「分かっている」
 DIOは眉を寄せつつ、早くも二十個目のウィンナーを口の中に放り込んだ。彼の周囲には密かに人だかりができ、うっとりとした視線を投げかけている。しかし本人は食べる事に集中しているのでまったく気付いていないようだ。
「少し早いけど、特売シール貼って下さい」
 夢主はどこかぼんやりとしているパートのおばさんに声をかけた。彼女はDIOを見つつ、もう少し後で張り付ける予定の値引きシールを差し出された肉のパックにぺたりと貼り付けた。
「DIO、いつまで食べてるの? 早く帰らないと夕飯に間に合わないよ」
「よし、帰りにワインを一本買っていくぞ」
「ワインなんかよりコーラの方がいい」
「……お前は本当に何も知らぬ小娘だな」
 DIOは呆れた口調で言う。夢主は買い物メモをヒラヒラさせながら颯爽と鮮魚コーナーへ足を向けた。





 返却された本を所定の棚に戻しながらそわそわと入り口付近を見つめる。
 今日は日曜日だ。図書館に本を借りに訪れる人は多く、平日よりも賑わっていた。
「いつも昼過ぎなのよね」
「そうそう。それで一番端のあのテーブルを利用するのよ」
「前は映画も見ていったわ」
「ウソ! 彼、何を見たの?」
「それは言えない。秘密よ」
 司書たちは本を戻す作業をしつつ小さな声でお喋りを繰り返す。
「彼、美術に興味あるみたいね」
「そうね。あと宇宙も好きみたい」
「すごく難しそうな本を読んでるし、どこかの助教授かしら?」
「さぁ……でも、前は児童書も読んでいたわよ?」
「あら、あれはいつも側にいる女の子が借りた物じゃなかった?」
 そうしてコソコソと話していると、噂の彼らが図書館に姿を現したようだ。


 一番奥の日の当たる場所を独占したDIOは、そのテーブルの上に何冊もの本を積み重ねた。宗教、哲学、精神論、法律に古代美術、オカルト的な雑誌、本当に様々だ。
「またそういう難しい物を……」
 夢主はちらりと見て嫌そうに顔をしかめた。
「お前もこれらを読んで少しは勉強したらどうだ?」
「興味ない。それよりこれ借りていい?」
 夢主が見せたのはシリーズ化されている児童書の英語版だ。日本語訳ではなく英文、それに意味がある。
「また私にそのような物を読ませる気か」
「DIOはイギリス人でしょ? 本場の人に読んでもらった方が雰囲気でると思わない?」
「お前はいつも途中で寝るだろうが」
「だってDIOの声聞いてると眠くなるんだもの」
 私が読む意味はあるのだろうか? DIOは常々そう思う。
「ねぇ、ちょっと来てくれる? 手が届かなくて」
「何のためにハシゴがあると思っている?」
「私、今日スカートなの。見えちゃうでしょ」
「誰がお前の汚いパン……」
「いいから来て」
 夢主は有無をいわさず途中で遮ると、DIOの腕をぐいっと引いた。彼は渋々とそれに従う。
「ほら、そこ、あの本」
 指差すところには誰からも見向きもされない分厚い全集が押し込まれている。
「どれだ?」
「それ、そこ……違う違う、そっちじゃなくて。そこの、それだってば」
「……」
 この愚かな小娘はそんな説明で理解できると思っているのだろうか?
「世話の焼ける奴だ」
 DIOは夢主の両脇に手を差し入れると、驚く相手を無視してそのまま力任せに持ち上げた。
「ちょ、DIO!?」
「静かにしろ。自分で取るがいい」
 広い肩の上に夢主を乗せてDIOは気怠そうに言った。周囲から何事かと注視された夢主は素早く手を伸ばし、目的の本を手に取った。
「……降ろしてよ」
「フフ……どうした、顔が赤いぞ。恥ずかしいのか?」
「当たり前でしょ! いいから降ろしてッ!」
 静かに怒る夢主に対してDIOは愉快に笑った。それからゆっくりと地上へ体を降ろす。夢主はホッとしつつも、周りの目が気になってとても顔を上げる勇気は無かった。
「この私に何か言うことがあるのではないか?」
「……ありがと、DIO。今度からはハシゴを使います」
「そうだな。そのときはスカートを止めた方がいいだろう」
 嫌味たっぷりに笑うDIOからぷいっと顔を背け、夢主は先ほどのテーブル席に戻ると無遠慮に向けられる視線を分厚い全集で遮った。

 終




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