帝王と学生


 竹筒が岩を打つ涼やかな音が手入れされた日本庭園にしみじみと響き渡る。それを耳にしながら、ジョセフは大きな欠伸をついて広い縁側を裸足でペタペタと歩いた。
「あら、おはようパパ」
 パジャマ姿のジョセフに向けて娘のホリィは笑顔で朝の挨拶をした。
「おはよう、ホリィ。今日も元気なようじゃな」
 半年前、生死の境目をさまよった彼女は以前と変わらない陽気さを取り戻している。高熱で倒れたことがまるで嘘のようだ。
「フフ、パパったらまたシーツを引っかけてる」
 ホリィは笑って少しだらしない父親の足からそれを取り除いた。
「朝ご飯の支度は出来てるわ。承太郎と夢主ちゃんを起こして、居間で一緒に食べてね」
「そうか……。分かった」
 ジョセフは腹に気合いを入れて頷いた。まるでこれから戦いに出向くかのような意気込みにホリィはまたクスクスと笑う。
「おい、承太郎。学校に行く時間じゃぞ」
「うるせぇな。とっくに起きてるぜ」
 真っ白なふすまをスパンッと勢いよく開け放ち、承太郎はいつもの制服姿で廊下に出てきた。
「む、さすがわしの孫じゃな。よし承太郎、夢主を起こしてこい」
「断る」
 承太郎はそれだけ言うと一人でさっさと居間へ向かおうとする。ジョセフはすぐにハーミットパープルで承太郎の体をぐるぐる巻きにするや、有無を言わさず引っ張った。
「おいッ!」
「まったく、なんて孫じゃ。老い先短いわしの命が心配ではないのか?」
「チッ、やれやれ……」
 承太郎が渋々と後に続くのを見てジョセフはようやく茨のスタンドを解いた。
「おーい、夢主。早く起きなさい。遅刻してもわしは知らんぞぉ」
 承太郎の部屋からさらに二つ向こうが彼女の部屋だ。ふすま越しにジョセフが話しかけても返事は無かった。
「おい! 夢主、さっさと起きろ!」
 承太郎は容赦なくふすまを開け放つ。
「おいおい、承太郎! もし着替え中だったら……」
 どうするのじゃ? という言葉をジョセフは飲み込んだ。
 座敷の真ん中に敷かれた布団では夢主が穏やかな寝息を立てている。彼女の頭の下には男の太い腕が潜り込み、本来その役目をするはずの枕は畳の上に転がされていた。
「ムゥ……」
 夢主の隣で眠る男にとって日本人向けの寝具はかなり小さかったようだ。承太郎とほぼ同じ身長を持つ大きな体のそのほとんどが布団からはみ出している。眠そうな声で唸る相手の髪は見事な金髪で、いつもの事とはいえ上半身は裸だ。白い肌は男とは思えないほど滑らかだし、艶っぽい唇はすぐさま女を虜にするだろう。腕に付けた金の装飾品をシャラリと揺らしながら男は目を擦り、並び立つ承太郎とジョセフを涼やかな目に映した。
「貴様らか。最悪の目覚めだな」
 一瞬、三人の間に鋭い緊迫感が走り抜ける。その張り詰めた空気を破ったのは夢主の気怠い声だ。
「んー……うるさいなぁ」
 庭から射し込む太陽から逃げるように布団に潜り込む。それを見た承太郎は眉を寄せ、ジョセフは二度寝は駄目じゃと注意した。
「おい、夢主。起きろ。朝からお前のいとこの顔など見たくもない」
 そう言って夢主の頭の下から腕をするりと引き抜いた。
「いい加減、承太郎って呼べば? DIOって結構根に持つタイプだよね」
「フン」
 DIOは鼻で笑うと、夢主の体を覆っていた薄い掛け布団を蹴り上げる。
「うわっ、寒い! 何すんの!?」
「さっさと起きて、こいつらを私の視界に入らないところへ連れて行け」
「もー、あと5分は寝れたのにー!」
 ブツブツ文句を言いつつも仕方なく布団の上から身を起こした。
「おはよう、承太郎。それにジョセフおじいちゃん」
 夢主から欠伸混じりの笑顔を向けられると、二人は呆れた表情になってしまう。
「テメェ、いい度胸してるぜ」
「まったく、どうしてこのような事になったのか」
「それは私のセリフだ」
 ジョセフの言葉にDIOは美しい唇をへの字にさせて不満そうに呟いた。


「あらあら、夢主ちゃん。今日は小食なのね。私のご飯お口に合わなかった?」
「ううん、違うのよ聖子ママ。今日は身体測定があるの。だから少しでも体重減らしておきたいでしょ?」
「まぁそうなの? 承太郎ったら何も教えてくれないから」
「男子は明日で、今日は女子だけだから。ね、私、背が伸びたと思わない?」
「んー、そうねぇ。どうかしら?」
「身長がもう少し欲しいのよね。あと胸も」
「まだ成長期だから大丈夫よ。そんなに心配しなくても」
「えー、でも、」
 夢主が不満そうに唇を尖らせたところで承太郎は箸を座卓に向けてバシッと勢いよく叩きつけた。
「やかましいッ! いい加減にしやがれ!」
 承太郎が怒鳴るとそれまで喋っていたホリィと夢主はぴたりと口を噤む。
「こりゃ、承太郎! 母親に向かってそんな言い方はないじゃろう!」
「そーだそーだ! おじいちゃん、もっと言って」
 夢主はすぐにジョセフの肩を持つ。ホリィはくすっと笑うだけだ。
「どうでもいいが……そろそろ学校へ行く時間ではないのか? また遅れても私は送り届けんぞ」
 一人、庭を眺めていたDIOはグラスに入ったトマトジュースを揺らしながら呟いた。
「あっ、本当だ。急ごう、承太郎!」
 セーラー服のスカートを翻して夢主は座布団から素早く立ち上がる。承太郎も無言で立ち、居間を出る間際にジロリとDIOを睨みつけた。
 トマトジュースを飲みながらDIOはその挑発的な視線を迎え撃つ。ジョセフは緊迫した空気に耐えきれなくなって騒々しいテレビに救いを求めた。
「あらやだ! 二人ともいってらっしゃいのキスを忘れてるわ。ほら、DIOさんも」
 ホリィは自分の命を脅かした相手にさんを付けて呼ぶ。その度にジョセフと承太郎は何とも言えない表情になるのだった。
「面倒な」
 そう言いつつもホリィの言葉に決して逆らえない彼は立ち上がり、彼らを追いかけて玄関に向かった。
「承太郎、ハイ、いってらっしゃいのキスよ」
「止めろ、俺を何歳だと思ってやがる!」
 ホリィが唇を近づけてくるのを承太郎はサッと避けた。スキンシップを嫌がるようになった息子にホリィは不満そうだ。
「照れてるのよ、承太郎は。聖子ママ、行ってきます」
 夢主は承太郎と違ってそのキスを避けることはない。むしろ積極的に頬を差し出した。
「いってらしゃい! 気を付けてね。承太郎をよろしく頼むわ」
 ホリィは夢主の頬にチュッと音を立ててキスをする。彼女たちの後ろで肩を揺らして笑っているのはDIOだ。
「テメェ、それ以上笑ってみろ……」
 承太郎は体の前にスタンドを立たせ、力強く拳を握りしめる。DIOもすぐに自身のスタンドを出した。空条家の玄関先でスタープラチナとザ・ワールドが睨みあい、一触即発な雰囲気に鳥たちがざわめき出す。
「二人とも止めてよ」
 夢主の言葉で先にスタンドを消したのはDIOだ。
「いってきます。大人しく待っててね、DIO」
「フン、せいぜい事故にでもあうがいい」
 不吉なことを言いつつDIOは渋々と頬をくっつけてくる。くすぐったそうに笑う彼女を見下ろした後、すぐに背中を向けて部屋へと戻っていった。


 それから数分後、青い空の下で夢主と承太郎は砂利を踏みしめながら神社の前を並んで歩いている。学生鞄を持った二人の間を初夏を思わせる爽やかな風が吹き抜けていった。
「承太郎、そんな格好で暑くないの?」
 もうすぐ夏が来るというこの時期に、承太郎は何時まで経っても長袖の制服姿を止めようとしない。
「砂漠でもこの格好だった俺にわざわざそれを聞くか?」
「そうだね、ふふ、ごめん!」
 承太郎の横でひとしきり笑った夢主は、ふと境内の隅にうずくまる猫を見つけて駆け寄った。人を見ても逃げず、鳴くこともない。病気か怪我か、理由は分からないが命の灯火が消えかけているようだ。
「よしよし」
 そっと頭を撫でる彼女の背後に死神を思わせるドクロの姿をしたスタンドが出現する。白骨化した指の間からフーッと長い息を猫に吹きかけた。
「承太郎、先に行ってて。私、獣医に診せてくる」
 夢主が優しく抱き上げるその胸の中で、今にも死にそうだった猫はぴょこんと耳を立て、一体何が起こったのかと不思議そうに辺りを見回した。
「お前のその何でも拾うクセどうにかした方がいいぜ」
「大丈夫だよ。聖子ママならきっと許してくれるから」
 承太郎は大げさなため息をつくと急に真剣な表情になって夢主を見下ろした。
「奴も……その猫と同じなのか?」
 今したように彼女はジョースター家の宿敵だったDIOを実にあっさりと蘇らせてしまった。いや、彼だけではない。戦いで散ったはずのアヴドゥルも、イギーも、花京院もだ。おかげで彼らは仲間や家族と再び会うことが出来たのだが……
「DIOの事? まぁね、そうかも。ちょっと大きくて毛色の変わった偏食の猫だけど」
 あの炎天下の砂漠の旅で頭のどこかがイかれてしまったのだろうか。承太郎は再びため息をついた。
「そんなに心配しないで。DIOが私の言葉に逆らえないこと、承太郎ももう分かってるでしょ?」
 このスタンド能力は簡単に言えば死者を蘇らせること。この世に蘇った者はそれを願った夢主に決して逆らえない。だからアヴドゥルもイギーも花京院も、本来ならば彼女に隷従する立場だ。しかしそこは危険な旅を共に経験した大事な仲間。本人が望まないこともあって彼らは自由の身を得ている。ただ一人、DIOを除いては。
「だが、もし……」
 承太郎のもしもを夢主は遮った。
「不老不死の吸血鬼で、一度死んでからは太陽を浴びても平気になったDIOを承太郎はどうやって殺すつもり?」
 夢主は可笑しそうに笑った。
「私が死ねば、多分、スタンドの能力も消えるんだろうけど」
 それでは家族と再会した花京院が可哀想だ。イギーだってまだまだ遊び足りないだろう。アヴドゥルだって第二の人生を謳歌したいはずだ。
「まぁ、もう少しだけ楽しませてよ。あんな素敵な猫、飼った事ないんだから」
「……やれやれだぜ」
「それ承太郎の口癖だよね。DIOは無駄ァとWRYYだけど」
 無邪気に笑うその頭を軽く小突いて承太郎は踵を返した。夢主は何も言わずに後ろを着いてくる。彼がこのまま動物病院へ行くのが分かっているようだ。
「ねぇ承太郎、夏はDIOと一緒に海水浴にでも行こうか? でもDIOって泳げるのかな? 吸血鬼ってカナヅチだっけ? ねぇ溺れるところ見てみたくない?」
「……やかましい」
「海もいいけど、山もいいよね。ジョセフおじいちゃんとニューヨーク観光もいいなー。聖子ママもたまには実家に帰りたいんじゃない? これまで何度も苦労かけてるんだし、承太郎もたまには親孝行すべきだと思うの」
「テメー……人の言うこと聞いてなかったのか?」
 強面で最強のスタンド使いの彼でも夢主の軽口だけは押し止めることが出来ないようだ。

 終




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