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 朝早く、執事から新聞を受け取ったジョースター卿は大きな見出しを読んで深く眉を寄せた。ロンドンを恐怖に陥れているジャック・ザ・リッパーの事件を詳細に書き連ねているそれをそっと閉じてサイドテーブルに戻す。
「お父様、起きたりして大丈夫?」
 ベッドに腰掛けているジョースター卿を見て夢主が慌てて側に駆け寄ってくる。年を取るごとに増えた白髪が過ぎ去りし七年の歳月を物語っているようだ。貿易の仕事であちこちを巡っていた若い頃が懐かしい。ジョースター卿はその老いていく体を支えた娘に、暖かな笑みを向けた。
「私は大丈夫だよ、薬を飲んだからね。それよりも息子たちの試合は何時からだっただろうか」
「もしかして観戦なさるおつもりですか?」
「そうしたいところだが、この体調では無理だろうな……代わりに彼らの勇姿を見てきてくれるのだろう?」
「はい。でもきっと見ても見なくても同じです。あの二人なら絶対に優勝します」
 厚い信頼を寄せているジョナサンとディオを語るとき夢主は素晴らしい笑顔を見せる。この屋敷に引き取った頃から素直で優しい彼女の心にジョースター卿は微笑んだ。
「今年こそ社交界にデビューさせてやりたかったが、今のロンドンではそれも難しいようだ」
「社交界だなんて……私には無理です」
「晴れ姿を見せてくれないつもりかね? 私の最大の楽しみだというのに」
 ジョースター卿の言葉に夢主は困惑の表情を浮かべる。愛する父から悲しそうに請われてもそれ以上は言えなかった。
「すでに想い人がいるのなら話は別だが……」
「そんな人……いません。もうこの話は止めてどうか横になって」
「娘にそう言われては仕方ない。だがせめて今週末のパーティには参加してもらえるだろう?」
「また、そんな勝手に……」
「年頃の娘のよい縁談を望むのはどこの親も同じだよ」
 拗ねた顔を見せる夢主にジョースター卿はそう言って笑いかけた。


 食べ盛りの青年が二人もいる朝食は忙しく、キッチンから料理を運んでくるメイドたちは慌ただしく駆け回っている。夢主の隣ではディオが、その向かい側ではジョナサンが朝からたっぷりと食べてラグビーの最終試合に向けて英気を養っているようだ。
「試合はお昼からでしょう? そんなに食べてどうするの?」
「軽く体を動かしておかないと本番で全力が出せないからね」
 昔に比べてマナーの良くなったジョナサンはもの凄いスピードで目玉焼きやハム、パンを平らげていく。夢主はその豪快な様子を紅茶を飲みながら楽しそうに眺めた。
「お前も観に来るのか?」
 ディオは素早くフォークを動かして上品に朝食を口にする。何枚目かのパンを食べながら隣に座る夢主に視線を向けてきた。
「もちろん。二人が優勝する姿をこの目に焼き付けておきたいもの」
「夢主の中ではもう優勝するって決まっているんだね」
 ジョナサンはくすっと笑って紅茶でパンを喉の奥に押し込んだ。夢主は昔のように彼と距離を置くことはない。飼い犬が死んで涙を見せるジョナサンはやはり嘘の付けない性格であり紳士だった。入学したばかりのディオに誰かがデタラメを吹き込んだのだと、夢主は今でもそう思っている。
「ジョナサンとディオが試合に出て、負けたことなんてあった?」
「確かに無いな。俺とジョジョのコンビを崩せる奴はもういないだろうな」
 ディオは自信たっぷりに言い放つ。そこへ馬車の用意が出来た事を知らせに執事が入ってきた。
「お二方、時間でございます」
「うん、今行くよ。あ、少し待ってくれ。父さんに挨拶をしてからだ」
 ジョナサンは口の中の物を飲み込み、ガタンと椅子を引いて立ち上がった。
「今日は気分がいいみたい。きっと二人の試合を楽しみにしているからよ」
「そうか……俺も父さんに顔を見せてこよう」
 静かに立ち上がったディオも階段を駆け上がるジョナサンの後を追いかけて行った。
 ジョナサンとディオは大学に進み、共に優秀な成績を残して早くも卒業を控えている。ジョースター卿に可愛がられ、大事に育てられた夢主もいつしか少女から年頃の娘に成長した。良き妻になるべく受けた教育は苦労しながらも何とか身に付けて、後はもう嫁ぎ先を選ぶだけでいい。そのための縁談は多く寄せられているが、出自を気にする彼女は全てを断り続けていた。
「それじゃあ行ってくるよ。夢主と父さんのために頑張るからね」
「行ってらっしゃい、ジョナサン」
 夢主の背をとっくに追い越した彼は195センチという大きな身長を折り曲げて、毎朝の日課になっている挨拶を頬に受けた。
「勝手に一人で動いてメイドを困らせるなよ」
「大丈夫。ディオも頑張ってね」
 挨拶を交わした後、馬車へ乗り込む二人を玄関先から見送った。
「お嬢様、では私たちも準備をしましょう」
 付き添うメイドは浮き足立っている。二人が出場するラグビーの最終試合を観戦できるのが嬉しいようだ。夢主は走り去っていく馬車から視線を外し、彼女の言葉に笑顔で頷いた。




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