03


 日の落ちた滑走路に無事着陸を決めて、誘導された位置で飛行機はゆっくりと動きを止めた。
 タラップから降りると砂漠性気候のためかひどく乾燥した風が肌に吹き付けてくる。これを感じるのはDIOと共にエジプトで暮らしていたとき以来だ。
「今度はこれかよ」
 地上に降りた暗殺チームのメンバーは、目の前に横付けされた車のドアを専属の運転手が開くのを見ている。まるでダックスフントのように胴体が異様に長いリムジンだ。十二名が乗り込んでも座席は比較的ゆったりとしていた。
「わぁ、すごく綺麗!」
 飛行場から街へ向かう間、とてもきらびやかで派手なイルミネーションが夢主の目を釘付けにした。
「ラスベガスへようこそ。ディオ・ブランドー様」
 ホテルの玄関先で待っていた支配人が腰を折ってDIOに挨拶をする。
「どうぞ、こちらへ」
 勧められた先にあったのはフロントではなくエレベーターだった。上階専用のカードキーを差し込んだそれに乗り込み、彼らは待たされることなく部屋に案内された。
「あなた様の宿泊を長らくお待ちしておりました。再びお会いする事が出来て、私は死ぬほど嬉しく思います」
「大げさだな」
 笑いながらチェックインのサインをするDIOの前で支配人は涙すら浮かべている。DIOの信者は世界各地のあらゆる所に居るらしい。
「専用ラウンジをどうぞご利用下さい。ラウンジ、ミーティングルーム、朝食はもちろんルームサービス、お酒にソフトドリンク、スパも全て無料になっております。専用のコンシェルジュにお伝え下さればラスベガス中のショーやレストラン、その他様々なイベントの予約、観光地の案内も無料で承っております。……それではどうぞ皆様、当ホテルでごゆっくりとおくつろぎ下さいませ」
 DIOに部屋のカードキーを手渡した後、深々と礼をして支配人は退室した。
 プレジデンシャルスイート、DIOが宿泊するそこはその名に恥じぬ豪華な趣向が施された部屋だった。
 入ってすぐにラスベガスが一望できる大きな窓があり、それを革張りのソファーに座って見渡せるよう設計されている。広いリビングとダイニングの横には各種様々な飲み物が用意されたバー、その反対側には会議室として使うには勿体ないほどのカンファレンスルーム、ムードたっぷりなジャグジーバスとプライベートプール、さらには緑あふれる専用の庭まで付いてある。調度品一つとってもすべてがモダンでスタイリッシュだった。
 主寝室にいたっては二人で寝るには有り余るほどのベッドが置かれ、そこからの夜景は絶景そのものだ。
「ここで夢主とDIO様が寝るのかぁ」
 舌なめずりをしながら寝室をちらりと見て言うメローネに夢主はすかさずクッションを投げつけた。
「もう! いちいちうるさい!」
「たっぷり可愛がってもらえよ」
 なんてさらに余計なことを言うのでメローネは再びクッションを顔面で受け止める羽目になった。
「こちらが私とリゾットの部屋になります」
 テレンスは慣れた手つきで自身の荷物を運び入れていく。
 間にリビングを挟んだ主寝室の反対側、玄関を通らずとも廊下から入れるようになっているそこは、付き人や警備の者が滞在するコネクティングルームが付設されていた。DIO達とはバスルームもトイレも完全に分けられているので、これならどちらも気を遣うことなく過ごせるだろう。
「ホルマジオ、荷物を頼む」
 リゾットにそう言われてホルマジオはスタンドを解除した。
 小さなバッグに入っていた荷物は一瞬で元の大きさに戻っていく。それぞれが荷物を手にした後、リゾットはチームに割り当てられた部屋鍵をプロシュートとギアッチョに手渡した。
「荷解きを済ませたらここに集まれ」
 ソファーに座ってホテルの案内を読んでいたDIOは振り返らずに言った。
「三十分もあればいいだろう」
 荷物を持った八人は頷き、すぐさま駆けていく。彼らの部屋はこの隣と向かい側に取ってあるのでDIOが言うほどの時間は掛からないだろう。
「テレンス、預けてあるものを持って来させろ」
「わかりました」
 テレンスが出て行き、残された夢主とリゾットは仕方なくソファーに腰掛けた。
「このような立派すぎる部屋はどうも落ち着かないな」
「私も慣れない。格安ホテルで良いのにね」
「このDIOがそのような所に泊まると思うか?」
 ぐっと肩を引き寄せてDIOは彼女の顔へパンフレットの束を乗せた。
「こういうところだからこそ警備はしっかりしているのだ。妙な輩と顔を合わせないで済む。楽なものだ」
 ざわめく観光客から一線を引いたここは確かに別世界であった。
「夢主、腹は減ってないか? リゾット、お前はどうだ?」
 DIOはレストランのページを捲っている。ここに来てもDIOはリゾットを含めて夢主と食事を楽しむつもりのようだ。
「デザートが美味しいところがいいな。リゾットは何がいい? やっぱりイタリア料理?」
「俺よりもお前が食べたいところで構わない」
 自分たちよりもこの降って湧いた旅行を彼女に思う存分、楽しんでもらいたかった。


 そうしていつものように三人で話しているとチームの八人がぞろぞろと戻ってきた。
「リーダー、来たよー」
 メローネはご機嫌な笑顔を浮かべて片手を上げた。
「俺たちの部屋もすげーぞ。まぁ、ここには負けるがな……男だらけなのが実に残念だ」
 肩を落とすホルマジオの言葉に夢主はくすくす笑う。
「早いな、お前達」
 三十分も経たずに現れた彼らはDIOとリゾットの指示を待っている。
「立っているのも見苦しい。座ってテレンスが戻るのを待つがいい」
 リビングの中心でDIOは足を組んでゆったりとソファーにくつろいでいる。彼の横で夢主はレストランのページに夢中だ。
「あの執事はどこに行った?」
 隣に腰掛けたプロシュートに聞かれてもリゾットは彼の行き場所を知らない。
 肩を竦めて待つしかなかった。
「DIO様、お待たせしました。少々、用意に手間取りまして」
 数十分後、テレンスは見知らぬ厳つい男達を従えて戻ってきた。彼らが押すカートには大きな黒いケースがいくつも乗せられている。
 それらをDIOの前まで運ぶとホテル側の警備員らしい彼らは一礼して去っていった。
「先ほどの支配人へ迷惑料も含めたチップをこの中から払っておきました」
 テレンスはポンと黒いケースを叩く。
「上乗せしてか?」
「ええ。泣いて喜んでいましたよ」
 どこまでが本当なのかテレンスはクスリと笑う。
「迷惑料って……チップって……」
「つぅーことは……」
 プロシュートとギアッチョが黒い鞄を見つめる。全員がその中身に思い至ったようだ。
 さっきの男達が二人がかりで運んだそのケースをDIOは軽々と持ち上げ、テーブルの上へ鈍い音を響かせながら置く。
「金を稼ぐにも元手が必要だろう」
 ガバッと開いたケースの中にはパッケージされた新品のドル紙幣がみっちりと詰め込まれているではないか。
「「うぉおお!」」
 誰ともなく上がった声にDIOはフフンと胸を張った。
「しめて十五億近くある」
 パッショーネでは幹部になるために上納金が必要だ。ポルポの隠し財産ですら六億だった。それを遙かに超える金額がすぐ目の前にある。
「な、何で……こんなに?!」
「すべてカジノで稼いだものだと言ったらどうする?」
 DIOはニヤニヤと笑った。
「こ、これ全部そうなのか?!」
 目の色が変わる彼らを見渡してDIOは頷く。
「私が八億、テレンスが残り七億を稼ぎ出した。優秀な執事だろう?」
「恐れ入ります」
 おぉおっ! と驚きの声が上がった。ここにきて今までただの執事だと思っていたテレンスの株が急激に跳ね上がった。
「最初はルールやら何やらを覚えていくものだ。一人につきハーフミリオンくらいあればいいだろう」
 DIOはケースをひっくり返して札束をテーブルの上に広げ、それを夢主とテレンスを含む全員の前に五千万の塊を並べていった。
「……!」
 すぐ手が届くところに目も眩むばかりの金額が小高い山になっている。生唾を呑み込む彼らを眺めた後、DIOは腕組みをして考えた。
「フム……しかし、普通にカジノを楽しんだのでは面白くないな。どうせなら誰が一番稼ぎ出すか勝負するというのはどうだ?」
 DIOは自分が言った言葉に満足そうに頷いた。
「よし……二週間後、手元に一番多く金が残った者が勝者だ。ここに残っている九億を勝者への賞金にするとしよう」
 他人の金でカジノが出来て、さらには一番稼いだ者には九億もの大金が与えられる……誰もが無言になってその提案を聞いた。
「私もそれに参加しないと駄目なの?」
 夢主は積み上げられた札束を戸惑った表情で眺めた。
「無論、参加する、しないは自由だ。ああ、参加しないからと言って金を返す必要はないぞ。どうせ私のアブク銭だ。無くても困らぬ。カジノでも女でも、レストランで飽食するもお前達の好きにするがいい」
 DIOがそれでいいかと問いかけてくる。夢主は素直に頷いた。
「まずは私とテレンスだな。参加する者はこの紙に名前を書いておけ」
 二人の名前が書かれた紙がテーブルの上にひらりと落ち、その上へDIOが放ったペンが転がった。
「こんなウマイ話に参加しない奴がいるか?」
 ホルマジオは乾いた笑いを浮かべて名を書いた。
「だよなぁ」
 プロシュートとペッシもその下に書いた。
「もちろん参加するに決まってる」
「当たり前だろ」
 メローネとギアッチョも名前を入れた。
「俺らも」
 ソルベとジェラートが書き入れた。
「リーダーはどうする?」
 イルーゾォが名前を書いた紙をリゾットに手渡す。
「……」
 リゾットは長い間、紙を見続けていたがそのうち一番最後に名前を書いた。
 DIOは紙を満足そうに眺めた後、勝者には九億を賞金として譲渡する旨をきちんと付け足して自身のサインを書き入れる。それをリビング横にあったダーツボードに押しピン代わりの投げ矢で貼り付けた。
「勝負は何時からにする? 今からでも構わないぞ。カジノは二十四時間営業だからな」
 そわそわと浮き足立つ彼らにDIOは優しく微笑む。
「まずは夢主の護衛の順番を決めてからにしてもらえますか?」
 このまま散れば誰も帰ってこない気がした。リゾットの言葉にDIOは頷く。
「フム……クジをする暇も惜しいという目つきだな。ではこのDIOが順番を決めてやろう。最初、つまり今からだが……まずはリゾット、次にギアッチョ、ホルマジオ、イルーゾォ、メローネ、ソルベ、ジェラート、ペッシ、プロシュートでどうだ?」
 全員がそれで構わないと頷いた。
「これだけあればリゾットのいう金欠なんかすぐに解消できるのに」
 ぽつりと呟いた夢主をDIOは背後から優しく抱きしめる。
「男のロマンというやつだ。察してやれ」
 ギラギラと目を輝かす男達の前でDIOは夢主の頬へ柔らかな口付けを落とした。


 DIOの恋人が腹が減ったと声を上げたので彼らは宿泊するホテル・ベラージオ内にあるレストラン・ピカソに赴いている。その名の通りこのレストランには有名な画家・ピカソの絵が十二点も飾られているのだ。どれもこれも億単位の高値で競り落とされた絵画だが、分厚いガラスの向こう側に保存されることはなく、多くの利用客の目に触れるよう実に自然に飾られている。
 夢主はそれらをぐるりと見渡しながら運ばれてくる料理を次々口にした。どれもこれもが美味しい。笑顔で料理を楽しむ彼女の前でDIOはワインを揺らし、幸せそうなその表情をじっと見ている。
 その隣でリゾットはスッキリとしたシャツに黒のスーツを合わせ、白銀の髪を二人の前へ晒している。さすがにこの高級レストランでいつものスタイルの黒いフードと縞々ズボンを着ることは出来なかったらしい。
 思わず触れたくなるその髪を夢主は何度も見つめた。彼があのフードを脱ぐのは風呂と就寝時だけだ。
「いつもそうしてたらいいのに。女の人が放っておかないよ?」
「そうか? ……しかし仕事の方が優先だ」
「リゾットはここに来ても仕事が大事なんだね」
 どこか安心したように言う夢主にリゾットは微笑んだ。
「あいつらはまだ若いからな。仕方がないさ」
 護衛順を決めた後、八人の血気盛んな彼らは大金を抱えて足取り軽く部屋を出て行った。今頃はどこかのカジノで様々な賭け事に興じているに違いない。
「一夜でスッカラカンにならなきゃいいけど」
「それもまた一興だろう」
 一人五千万。十二名分で六億もの大金をポンと目の前に置いたDIOはワインを飲み干してから笑った。
「九億もあれば……リゾット、お前は幹部になれるしアサシンの仕事からも足を洗えるな」
「……ええ」
 DIOの言葉に夢主はハッとなった。
 その大金でリゾットは幹部になれる。それが嫌でも九億あればこの世界から足を洗って表の生活が営めるだろう。もしそれが出来るとしたら?
「ここに来てまでそんな話するの止めてよ」
 ふいっと顔を背けてピカソの絵に視線を向けた。あの飾られた絵が十一億もするのに対して、組織でのし上がるには六億が必要だ。物の価値というのは本当に分からない。
「気を悪くしたか?」
 顔を背けてしまった彼女の機嫌を取るようにDIOはその顎に指先を添え、こちらを向くよう促した。
「お前が金の話を嫌うのを忘れていた訳ではない」
「ホントに?」
「ああ」
 唇を尖らせ、不審そうに聞いてくる夢主にDIOは頷いた。
「デザートでございます」
 そこに給仕が現れて美しい装飾が施されたケーキが運ばれてくる。
 三つ運ばれてきたうちの夢主の皿にだけ、
“このケーキよりも甘くて可愛い、愛しの君へ”
 とチョコレートで美しく描かれた一文があった。
 読んだ瞬間、そのまま固まってしまった彼女の代わりに、リゾットはDIOへ視線を向けた。恋人の大いに照れた様子から、心憎い演出は上手くいったらしい。そのことを喜ぶようにDIOは淡く微笑んでいる。
(一体、いつ頼んだのか?)
 DIOが指示するそぶりをリゾットは見なかった。
「どうした、食べないのか? お前の好きなドルチェだろう?」
 テーブルの上に頬杖を付きながらDIOは赤くなった顔をジッと見つめる。
「た、食べる……」
 甘酸っぱいラズベリーソースと、甘いシロップを含んだケーキが口の中で溶けていく。
「美味しいか?」
 とDIOに問われ素直に大きく頷いた。
「そうか。それはよかった」
 テーブルの上に置かれた夢主の左手にDIOは自分の手を重ねながら熱い視線を向ける。
 夢主は首まで赤くなりながらもその手を振り払うことはしなかった。
(やはり俺は居ない方がいいのではないだろうか)
 恋人達が放つ甘ったるい雰囲気の中で一人身のリゾットはそんな事を思った。




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