>>2016/05/26
あの悪夢みたいな日をなんとか過ごして一夜明け、目覚めた時のあまりの布団の気持ちよさにあれは夢だったんじゃないかと思ったけれど違うみたいだ。わたしの髪の毛からはうちには置いてない高そうなシャンプーのいいにおいがするし、いつも袖を通している青いセーラー服は部屋のどこを探しても無かった。夢じゃなかった。夢じゃなかった……!
「夢であってほしかったーーーっ!!」
「おーっはよーっ名前ちゃん!!」
「だはーーっ!?」
外から窓を勢いよく開けて上半身をずずいと突き出してきたのは、他の誰とも間違うことなんて出来ないであろうわたしのお友達、満艦飾マコちゃんだ。頭まで布団をかぶってダンゴムシみたいになってたわたしの掛け布団をいっぱいに伸ばした手でひっぺがす。びっくりして飛び起きると、マコちゃんの後ろには流子ちゃんが覗いていた。あ、窓、かたっぽ取れてるや……。
「時間になっても来ねーから迎えに来たぞ」
「えっ! もうそんな時間?」
「めずらしんだーお寝坊さんだね!」
「マコもぎりぎりまで起きてこなかったのに言えないだろ……」
「ご、ごめん、いま支度するから……」
「おう、転ぶなよー」
布団をたたんで駆け足で歯磨きをする。朝ごはん食べてる暇ないや……あ!? 髪の毛さらさらだ! あんまり時間かけなくても大丈夫そう……
顔も洗って部屋に戻って、そこで気付いた。
さっきも思ったけど、わたし制服持ってないんだった。
「貴様! 無星か? 制服はどうした!」
昨日、明日はこれで来いと渡された服に身を包んでわたしは流子ちゃんマコちゃんと登校した。本能字学園指定のジャージだ。上着は半袖と長袖両方着て、下は短パンしか渡されてなかったのでそれだけ穿き、学園指定の靴下と靴を履いて門をくぐった。サイズが大きくて袖が長いから手が出てこない……動きづらい……。
ホームルームには間に合いそうだったんだけれど、やっぱりと言うべきか風紀委員の人に呼び止められてしまった。
「はいっ! あの、制服はなくなっちゃって……」
「なくなった? 盗られたということか」
「いや、違うんですけどその〜色々あって」
本当に、色々あって……。
風紀委員の男子生徒はまだ訝しげだ。なんだか長くなりそうなので二人に先に行ってと言ったけれど――
「いいよ。どうせ一時間目美木杉だし」
「私も名前ちゃんといるよっ! 名前ちゃんの無罪、晴らさでおくべきかー!!」
うっ……嬉しい! マコちゃんのはちょっとちがうけどありがとう! 風紀委員は本能字学園のお巡りさんみたいなものだから、正直大きい声で詰め寄られたら何でも謝っちゃいそうだったことをここに認める! ありがとう二人とも!
「通してやれ! 今日だけは特例だ!」
――やっぱ先行って!!
「さ……猿投山さん!」
「あ?」
「ホントだ! 猿投山センパイだ」
晴天の元に白く輝く三ツ星極制服。両手をズボンのポケットに入れてアイマスクをした、昨日と変わらない猿投山先輩がこちらにやって来ていた。
「あ、あああの、流子ちゃんマコちゃん! やっぱり遅刻はマズいよ! 教室行ってて! ね!」
「何言ってんだ名前、あいつが来たなら余計一緒にいたほうがいーだろ」
かっこいい笑みを浮かべる流子ちゃん。
ちがう、すごく嬉しいんだけど、嬉しいんだけどね……!
わたしの真横まで来た猿投山先輩は風紀委員の人を見て、わたしを見る。
ど、どうしよう。もし昨日のことを誰かに、二人に言われたりしたら、わたしは体中の毛穴から血を流して死ぬかもしれない……。
「この体操服は俺のだ」
瞬間、猿投山先輩の指が、首元までしっかり上げた長袖体操服のチャックをつまむ。
一息にへそのあたりまで下ろされた、その下に着ている半袖体操服の胸元には「さなげやま」の文字。
「…………えっ?」
その声は誰のものだったのか。
「ほら、新しい制服」
「あ……ありがとうございます……」
どういうことだと混乱しだす流子ちゃんとマコちゃんに説明する間もなく連れてこられたのは空き教室。実習棟にある教室、ひたすらに静かな空間に一時間目始業のチャイムが響いた。
猿投山先輩に渡された制服にはタグがついていた。新品かな? クリーニングしたとかじゃなくて……?
ビニール袋に入った制服をひっくり返すと、……………………あれ? え?
「さ、さなげやまさん……これは……」
「ん?」
同じ袋に! 下着が! パンツとブラジャーが入ってるんですけどーーー!!
「なっなんっでこんなのが入ってるんですかっえっ!?」
「へっ? な……なんでって、制服だろ! 無星の!」
「そっちじゃなくてっ、ぱん、ぱっ……あの……あれが!」
「あれって何だ!? こっちは見えねえんだよ!」
猿投山先輩の見えるものと見えないものの境界が分かりません!
「……やっぱり、なんでもないです。ありがとうございます」
一瞬、この下着のことですよォ!! と爆発しそうになったけど、ここでもし聞いて猿投山先輩が入れたって言われたら怖いし、俺は入れてないって言われたらそれはまた別ベクトルで怖い。やたらかわいい下着二枚が見えないようにお腹側に抱え込んで、それじゃ……と教室を出ていこうとしたところを予想通り呼び止められる。
「待て。着替えないのか?」
「え? き、着替えます……けど」
「そのまま行ってどうする。風紀委員に止められるだけだぞ」
「だって、ここじゃできませんよ……」
「なんで」
「なんで?」
なんで? ……なんでですと? むしろこっちが聞きたい。他人がいる広い部屋で、女が着替えようとすると思うのかと。
「あ」
「え?」
「……違う!! そういうことじゃない! 気付かなかっただけだ! 嘘じゃないぞ!!」
「う、わ、わかりました、わかりましたから……」
こっちがびっくりするくらい動揺して叫びながら出ていく猿投山先輩が、ちょっと、かなり、意外だった。また見せろとか脱げとか言われるかと思ったんだけど、やっぱりきのうの先輩はどこかおかしくてあんなことしちゃったのかな……。
いや待て。いくらおかしくてもそんなことはしないでしょ普通は……。普通じゃないのかそういえば……。
「制服戻ってきたのか」
「う、うん」
戻ってきたっていうか、多分これ新しいのだと思うんだけどね……。
着替えた後にそっと教室の外を伺ったらもう猿投山先輩はいなかった。待たれてたらそれはそれで怖いけど、脱いだあとの体操服はどうしよう。まだ先輩がわたしを追いかけようとしてるなら近い内に会えると思うけど、流石に……どうなのかなあ。
一時間目も半ばになってしまって、今から授業に戻るのも面倒だしちょっとふらふらしようかと思ったけど、もしそこで猿投山先輩とばったり会ってしまったりしたらどんな顔すればいいのか分からないからとにかく安全圏に避難したかった。いや返す時には会わなきゃいけないからどっちにしろ同じだけど、ちょっとインターバルおきたかった。顔を合わせないままでいられるならそれが一番いい。冷静に考えると気まずいとかってレベルじゃない。
「……で? なんにもされなかっただろうな?」
「うん、平気。ありがとうね」
無理矢理二人きりにしてもらったからか、流子ちゃんはちょっと不満そうな、でもやっぱり心配してくれているような顔をしている。その隣には授業中にも関わらずぐーすか寝ているマコちゃん。あ〜落ち着く……。
「あ、苗字君。これ君にって、四天王の人が」
授業が終わったあと、美木杉先生に一通の封筒を差し出されて椅子ごとひっくり返りそうになった。後ろが流子ちゃんの席じゃなかったら巻き込んですっ転んでたよ!
「し、し四天王ってあの、どちらさまの」
「風紀部委員長からね」
が……蟇郡先輩か〜っ!! 猿投山先輩じゃなくて心底ほっとしたけど、風紀部委員長から手紙だなんてただごとじゃない。ひとまず受け取って当事者のわたしより興味がありそうな二人のほうを向く。
「ラブレター! ラブレターかな!」
「ちげーだろ。おい、果たし状とかだったらあたしが受けて立つぜ」
「両方違うよ! 違いますように!」
上の方をぴりりーっと開けて、十字を切ってから中身を取り出す。普通の白い便箋みたいだ。
「えーっと……確認した後速やかに燃やすこと。内容は口外することなかれ……」
「軍隊かよ!」
「じゃあ、うちに帰ったら読むね」
「え〜っ気になるよ〜!」
「マコちゃんは見ちゃだめなの!」
ちゃんと元通り三つ折りにして封筒に戻す時、ちらりと文末が見えた。
本能字学園生徒会長 鬼龍院皐月
見間違いじゃなかった。