薄氷に臨む | ナノ
騒がしい食卓から抜けて煙草に火を点ける。ふうっと吐き出した煙がゆらゆらと揺れて風にさらわれていくのを承太郎はぼんやりと見上げた。その背後では楽しげな笑い声が聞こえている。
普段に増して手が込んだ夕食は酷く賑やかに進んだ。日頃は口煩いホリィ自身が承太郎に酒を勧めるほど場は盛り上がり、歓談は途切れることなく続いていた。
そんな中、気にすまいと思っても承太郎の耳にディオの声が飛び込んでくる。会ってからずっと、彼の一挙一動が気になって食事を味わう事すらままならなかった。せめてもの抵抗にこうして外に出てきたが逆に姿が見えない分耳が聡くなる。あの男から意識を逸らしてはいけないと警戒する反面、自分は一体何をしているのかとあきれる気持ちもあった。
あの男は自分の知っているDIOである筈がない。DIOはジョナサンを殺し、体を奪い生き長らえていたのだ。しかし今ジョナサンは生きていて、ディオは彼と行動を共にしている。自分たち一族との関係が良好であることも、この数時間で嫌というほど痛感した。
…自分が間違っていたのだ。あまりにも今までが記憶と同じだったものだから、全てが同じように進んでいくと勝手に信じ込んでいた。しかし、実際には違ったのだろう。何せ自分の人生を滅茶苦茶にした元凶が大本の事件を起こしていないのだ。これでエジプトに向けて命がけの旅をする筈がない。
だとしたら、自分はなんと愚かなことをしていたのだろうか。愛する人を自分自身の手で遠ざけてしまった――。承太郎の脳裏に葵の横顔が過る。勝手な思い込みに振り回されなければ、平和な世界で彼女の手を取って隣を歩けていた筈なのだ。あまりの自分の愚かさに額を押さえていると、背後で悲鳴が聞こえ肩が跳ねる。
承太郎が慌てて振り向くのと同時、ディオが眉を吊り上げながら障子を勢いよく開け放った。目を丸くしている承太郎に訝しげな顔をしながら後ろ手に障子を閉めると、その隣に並んだ。

「ああ、承太郎。灰が落ちそうだぞ」
「…あ、ああ」
「全くジョジョの馬鹿め…」

警戒すべきか否かで固くなる承太郎に気付かないのか、ディオは素早い動きで着ていたタートルネックを脱いだ。承太郎がギョッとしていると、縁側の縁に立ち手に持った布をギュッと絞る。ぼたぼとと滴る液体からは酒の匂いがした。

「…日本酒か?」
「ああ。ジョジョの奴が調子に乗って飲みすぎてな。手元が危ないと思っていたらこれだ。全く何時になったら自分の限界を覚えるんだが…」

ぶちぶちと文句を言うディオの肌が月光を受けて浮かび上がるように白く輝く。手触りの良さが触れずとも分かるほど滑らかなその肌には傷一つ…星一つ、ない。DIOの象徴ともいえる首の傷も当たり前だが痕一つなかった。

「…い、おい!承太郎!」
「あ、ああ、なんだ」

いつの間にか見入っていたのかディオに強く呼びかけられて意識を取り戻す。そんな承太郎にため息を一つついてディオは肩を竦めた。

「染みになる前に濯いでおきたい。洗面所に案内してくれないか」
「ああ、それならこっちだぜ」

自然と先導するように歩き出す承太郎はもうディオに対し警戒していなかった。DIOとディオは違うのだと、彼の首を見て漸く納得が出来たのだ。それならば彼はジョナサンの義兄弟であり、親族の様なものなのだろう。
勿論まだ承太郎の中で全て決着がついたわけではない。例え同一人物でなくとも全く同じ顔の、ディオとは違う過去を歩んだあの男に自分は全てを奪われた様なものだ。怒りも恨みもどれだけ吐き出しても尽きることはない。しかし、過去は過去でもう変えることは出来ないのだ。ディオがそうであるように、自分もまた過去とは違う未来を歩む。その中でディオは敵ではないのだろう。ならば自分も受け入れる努力をしなくてはならない。
そんな風に考えていた承太郎の後ろで押し殺した笑い声が聞こえた。瞬間承太郎の心臓が大きく高鳴った。この、背筋に走る怖気を自分は、知っている。ぎこちない動きで振り返った承太郎を、ディオがまた一つ笑った。

「承太郎…お前は全く。ジョジョに似てお優しい…愚かなお人好しだなあ。さっきまで警戒していたくせに、"私"にそんな簡単に背を向けるか」

ヒュッと承太郎の喉が鳴った。それが驚きから来たものか、恐怖から来たものか分からないまま振り下ろした拳をディオは顔色一つ変えず掌で受け止める。咄嗟に手を引こうとしても凄まじい力で握りこまれてビクともしない。骨が折れるのではないかと危惧するほどの痛みが走った。

「おいおい無茶をするなよ。スタンドがあるならまだしも…生身のお前と俺とで勝負になる筈がないだろう?」

呆れた様にため息を吐いたディオの手から力が抜けて承太郎は後ろに飛びずさる。ふん、と一つ息をついたディオがニッと笑った。

「…てめえも、覚えているのか」
「ああ。ジョジョにもジョセフにも記憶がなかったようだったから俺だけかと思っていたが、お前を一目見てそうだと気付いたよ。…あんな熱い視線を送られてはなあ」

からかう様に笑うディオに承太郎は顔を顰めた。

「…何故だ」
「なにがだ?」
「何故お前にも記憶があると俺に教える様な真似をする」
「…そうだな、嫌がらせといったところか」
「嫌がらせ?」

承太郎には意味が分からず、ふざけたもの言いに思わず苛立つ。声音からそれが分かったのかディオは小さく肩を竦めた。

「俺の…DIOの野望はお前に絶たれた。その意趣返しだよ。たとえお前が持っている記憶を話したとして一体誰が信じてくれる?どれほど言葉を尽くそうと、ホリィもジョセフも信じはしないだろうさ。…復讐としちゃ可愛らしい物だろう?」
「…勝手な言い分だな。元はと言えばてめえが全ての原因だろう」
「ああ、その通りだ。…だからこそ、今の俺はこうしてここに居る」
「…どういう意味だ」
「物わかりが悪いな。…この世界に、あの時代にもう一度生まれ記憶を取り戻し、俺は失敗をしたと思った」
「失敗?」
「ああ。ジョジョやジョセフ、そして承太郎。お前たちジョースターの力をなめた事、それが全ての原因だ。お前たちの爆発力を見くびり、"私"は死んだ。だから今度は上手くやろうと思ってな。…冷静になって考えてみれば、ジョジョの奴は元々考古学に惹かれジョースター卿の仕事を引き継ぐ気などさらさらなかった。それに対し俺はジョースター卿の手伝いをして、後継者としての地位を築いていた。万が一ジョジョが跡継ぎになろうと欲目を出してもあの性格だ、俺が実権を握るのはそう難しくない。ジョースター家の権力や金は実質俺の物だ。地位や名声は後から作れる。…無理にあの二人を亡き者にせず、素直な手駒として考えるべきだった、とな」
「…そして今、目論み通りになってるって訳か」
「全てが計算通り、という訳ではないがな。まあ、それなりに楽しく過ごさせてもらっているよ。…そういう意味ではお前に礼を言わないとといけないな」

厭味ったらしく笑うディオに承太郎が大きく舌打ちをした。それを愉快そうに笑ってディオが一歩近付く。ポンと肩に乗せられた手に承太郎の体が硬くなった。

「今言ったとおり俺はお前たちに何か危害を加えるつもりはない。必要もないからな。ただお前のその嫌そうな顔が見れただけで満足だ」
「…"前のお前"とは随分と違うな」
「当たり前だ。記憶があって同じ時代を生きているからと言って同じに生きる義務はない。その記憶を踏み台にして欲しいものを得る。それが知恵と言うものだ。…諦めていては何も変わらないだろう?」

ディオの言葉に思わず力が入った。顔色が更に悪くなった承太郎をディオが興味深そうに見つめる。

「…やはりお人好しだなあお前は」

何もかもを見透かしたように笑って、ディオは承太郎の横を通り向けた。それを追う気力もなく、冷たい廊下に承太郎は一人立ち尽くしていた。



可変不可変
俺がしてきたことの意味は
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