薄氷に臨む | ナノ
私の頭はイカれているのかもしれない。物心ついた時からずっとそう自分自身を疑いながら生きてきた。
朝ニュースを見ながら、こんなこともあったな、なんて思いながらパンを咀嚼する。画面の向こうに映された光景は朧気ながらに見覚えのあるものだ。コーヒーを一口含んで、そろそろ家を出ないと、と腰を上げる。丁度同じタイミングで顔を出した母に声をかけて、洗面所に向かった。
鏡に映る顔は自分のことながら何時もと同じ間の抜けた顔をしている。

「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい。気を付けるのよ」
「あいあい」

適当に返事をして家を出る。冷たい風に一度体を震わせて、通学路を歩き始めた。暫く行くと、先の方で女の子の集団と、それに囲まれる承太郎の姿が目に入る。ウザったそうにしている彼を見るたび、胸が僅かに痛んだ。道一杯に広がる少女たちを押しのける気力もなく、歩む速度を落とす。彼らを視界に入れないよう顔を俯けた。

「うっとおしいぜ!」

怒声を上げる承太郎に色めき立つ声を聞きながら思わず苦笑する。そう言うところは変わっていない。
……私には前世の記憶、がある。こう聞けば人は時たまテレビに出る人々と同じだと思う筈だ。ふとした時にデジャヴを感じる、知らない筈の事を知っている。真偽のほどはともかく、そう言うことを言う人間は古今東西を問わず存在するのだ。しかし、私は少し違った。私が覚えている記憶は、過去でもなんでもなく今現在の物なのだ。私は、以前の私が生きたのと"同じ時間"を生きている。
初めてそれに気付いたのは随分と幼い頃の事だ。日付の概念を理解した頃、カレンダーを見て愕然としたのを覚えている。何故だか分からないけれど、そこに掛かれた年号を見て有り得ない、と思った。初めはそう思った理由すら分からずに、ただただおかしいことだ、と驚いた。そして冷静になって何がおかしいのかを考え始めて、気付いた。私は、この年を、この時間をもう体験した筈だった。そう、今と同じ幼い頃に。
それを境に、身の回りで起きる出来事に呼び起こされるように、記憶が浮かんできた。自分が生まれ、どのように生き、そして死んでいったのか。止める事の出来ない濁流の様に流れ込んでくる記憶によくも発狂しなかったものだと感心すら覚える。
特に死ぬ瞬間を思い出した時なんて本当に狂うかと思った。なにせ私の記憶の中で私は…無残にも殺されたのだから。思い返しただけで吐き気を催すその死に様。はみ出た臓物が饐えた臭いを発する、死に向かうほんの数秒の記憶。掠れた目に映る…神々しいまでの――。
ジョジョ!と新たに加わったらしい女子の甲高い声に意識を引き戻された。いつの間にか詰めていた息をなんとか吸い込んで目を前に向ける。
苦い顔を更に顰めた空条承太郎の姿を確認して顔を俯けた。…私は彼に近づかない。

私が死んだのは、彼に巻き込まれたせいだったんだから。




歪んだ運命
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