薄氷に臨む | ナノ
日が沈む中、花京院に連れてこられたのは大通りに面した喫茶店だった。時間的に客が少ないのか静かな雰囲気の中、辺りを見回す花京院に気付いたのか窓際に座っていた男が顔を上げる。こちらだ、と呼びかける声には聞き覚えがある。ひらりとあげられた手は彼の人柄を映す様に鷹揚に振られた。駆けそうになる足を抑え早足で近づいた承太郎をその男は見上げ、ニッと笑った。

「アヴドゥル…!」
「YES I AM!…久しぶりだな承太郎」

呆然とアヴドゥルを見下ろす承太郎の背中を花京院が軽く叩く。

「言ったろ?会わせたい人が居るって」

アヴドゥルと同じ様な顔で笑う花京院に承太郎は空を仰いだ。

「…やれやれだぜ。お前ら会わねえうちに根性が悪くなったんじゃねえか」
「ははっ、そう言うな。それより立っていないで座ったらどうだ」

アヴドゥルの勧めに従って承太郎は彼の向かいにどさりと座り、目の前に並んで座る二人をジッと見つめる。

「アヴドゥル、お前あの髪型止めたのか?服も例のダボついてる奴はどうした」
「あれは私にとっての勝負服の様なものだ。今はプライベートだからな」
「ボクも初めて見た時は本当にアヴドゥルさんか迷ったよ」
「…お前たちは人をなんだと思ってるんだ」

全く、とため息を吐くアヴドゥルの表情は穏やかだ。自分も同じような顔をしているのだろう。

「で、なんでお前らが一緒に居るんだ」
「ああ。…いや、その前に聞かせてほしいことがあるんだ承太郎」
「なんだ?」
「ボク達――アヴドゥルさんやボクはDIOとの戦いの最中に命を落とした。…あの後どうなったんだ?無事にDIOは倒せたのか?…ボクのメッセージは君に届いたのか?」

真剣な眼で問いかけてくる二人に承太郎は一瞬息を詰める。そう、目の前の二人は俺達の為に一度命を落としたのだ。ならば、自分が持っている記憶がどんなものであろうとも、伝えるべきなのだろう。話さねばならない事を頭の中で羅列していく。その中にはいいことも悪いことも沢山あって。承太郎は一度水を含んでごくりと飲み干した。

「お前たちが死んだ後――」

話が終わるころには日はとうに沈みきって、外は暗くなっていた。家路を急いでいるのか足早に歩く人の姿が窓の外を行きかっている。夕飯の時間には帰れないだろう。ホリィに一報入れるか承太郎が悩んでいると、難しい顔をしていた二人が大きく息を吐き出した。

「…まさかジョースターさんに隠し子が居たとはな。いや、あの人らしいと言えばらしいのか…?」
「ボクは承太郎が結婚してこどもが居たってのがびっくりですけど。…君は結婚とかしないかと思ってたよ」
「…まあな。まあ、結局上手くは行かなかったが」
「…すまない、嫌な事を思い出させたか」
「いや、…別に悪い事ばかりじゃない。気にするな」
「………」
「…なんだ?」
「いや、その余裕のある言い方はやっぱり人生経験の差かなって」
「そういう訳じゃねえだろ」

うーんと首を傾げる花京院に承太郎は今度は自分の番だと身を乗り出す。

「で?なんでお前らが一緒に居るんだ?」
「ああ。…承太郎はボクがDIOの野郎に肉の芽を植え付けられたのがどこだったか覚えているかい?」
「…ああ。家族でエジプト旅行に行ったとき、だったな」
「その通り。…それで、実際にこの夏ボクはまたエジプトへと行ってきた。…アヴドゥルさんに会うためにね」
「アヴドゥルに?」
「ああ。…商売仲間から私を探し回ってる日本人の学生が居ると聞いてまさかとは思ったが。本当に花京院だったとはな」
「ボクとしては一か八かの賭けだったよ。アヴドゥルさんにボクと同じように記憶があるかどうかも分からなかったし、DIOの奴がいるかもしれないんだからね」

花京院の言葉につい先日まで家に寝泊まりしていたディオの存在を思い出す。言うべきかどうか悩んで、隠し通す意味もないと承太郎は口を開いた。

「ディオの奴なら今日本に居るぜ。ついこないだまで家にいたからな」

承太郎の言葉に二人して飲み物を噴き出す。顔を顰めた承太郎に構わず咳き込みながら二人が急きたてるように詰め寄る。

「ど、どういうことだ承太郎!DIOの奴が日本にいると言うのは!」
「君彼に会って無事だったのか!?」
「二人とも落ち着け。…ディオはお前たちの知ってるDIOじゃねえ」

訝しげな顔をする二人に承太郎はジョセフから聞いた話と、ディオ自身から聞いた話を告げる。話し終えると呆然としたように二人はため息をついた。

「…つまりDIO…ディオの奴は記憶があるが敵意は無い、と」
「ああ、そうなるな」
「それ、信じてもいいのかな。…いや、とりあえず半信半疑でも信じるとして。…アヴドゥルさん、やっぱりボクの仮説は正しいのかもしれませんね」
「ああ。こうなると信憑性が増すな」
「仮説?」
「うん、…ああ、どこから話したもんか。えっと、実はアヴドゥルさんにはポルナレフに接触して貰ったんだ」
「ポルナレフに?」
「ああ。ここからは私が話そう。…あいつは記憶を持ってはいなかったよ。それに、妹さんも生きていた」

アヴドゥルの言葉に今度は承太郎が目を見開く番だった。今日一日だけで随分と驚かされっぱなしだ、なんて思いつつ承太郎は続きを促す。

「私と花京院は再会して、互いに記憶を持っているのを確認した時一つの仮説を立てた。私と花京院は生まれついてのスタンド使いだった。だが、今私達にはスタンドが居ない。…ならばスタンドを対価に記憶を持っているのではないか、と」
「でもポルナレフに記憶はなかった。…スタンドの事も知らなかったようだけど。ポルナレフの妹さん…シェリーさんを殺したのはJ・ガイルだ。そのJ・ガイルは何故彼女を襲わなかったんだと思う?」
「…あいつにも記憶があった、と考えているのか」
「ああ、ボク等はそう考えている。あいつはポルナレフに仇討で殺された。奴にスタンドがあるかどうかは知らないがどちらにせよ殺される原因に手を出そうとはしないだろう。…さて、ボク等の考え通りあいつにも記憶があると仮定して。ボク、アヴドゥルさん、ディオ、J・ガイル。ボク等に共通することは何だと思う?」

挙げられた名前について承太郎は思考を巡らせた。二人は味方二人は敵。性別は共通しているがそれならポルナレフやジョセフにも当てはまる。彼らに当てはまらない事。少し考えて承太郎は顔を上げた。…これはきっと間違っている。何故なら自分も当てはまらないことだからだ。しかし、その四人の共通点と言って唯一浮かぶのは――。

「…あの旅で命を落とした、ということか」
「ああ。それが、ボクの立てた仮説だ。『あのDIOを倒す旅の中で命を落とした人間に記憶が宿っている』…どうだい?中々いい線突いてると思わないか」
「…目の前にその仮説に当てはまらない奴が座ってんだろうが」
「そうか?…承太郎、君はあの時。一之瀬さんが死んだとき、死んだも同然だったんじゃないか?」

ピクリと承太郎の指が強張る。それに気付いているのかいないのか、花京院は眉を顰めながら少し視線を逸らした。

「彼女が死んで…あの館を一度離れた時の君は、見ていられなかった。ジョースターさんが必死に叱咤して、DIOに立ち向かうことを決めた悲愴感に満ちた君の顔は忘れられるようなもんじゃない。…DIOを倒した後君は死んでしまおうと思ったんじゃないか?死んだ方が」

ガシャンと激しい音がして店中の視線が集まる。それに構わず花京院の襟ぐりを掴んで承太郎は荒くなりそうな息を押さえこむ。

「…幾らてめえでも、それ以上口にするのは許さねえぜ」

ぎちりと軋む歯の隙間から絞り出す様にそう告げた。承太郎の脳裏に封じ込めておきたい映像が蘇る。承太郎の腕には葵の細い体を貫いたあの感触が、今もまだ鮮明に刻み込まれている。自分の為に身を投げた愛する人。いっそ後を追ってしまいたかった、葵の居ない世界で生きる意味がないと嘆き死んでしまえたらと何度願ったことか。けれどその願いを叶えられるほど自分は愚かではなかった。自分が死ねば悲しむ人が居る事も、葵の犠牲が無駄になることも分かっていた。分かっていたから、生きたのだ。
何時も、何気ない瞬間に葵の思い出が頭を過る。幸福なことも、不幸なこともあった。けれどそのどれも彼女との思い出を消してくれることはなかった。手離すにも慈しむにも鋭い痛みを発するそれはまるで終わらない責苦の様でもあり――承太郎にとって聖域であり、誰にも触れられたくない逆鱗だった。

「おい、お前たち止めないか!」

二人を無理矢理引き離したアヴドゥルが大きなため息を吐く。承太郎と花京院は互いに目を逸らし、重苦しい空気が席を包んだ。それを切り裂いたのはガシャンとカップの落ちる音だった。承太郎と花京院が慌ててそちらを見ると、幸いなことに割れてはいないが中身がぶちまけられてしまっていた。こっちを窺っていたウェイトレスが慌てて駆け寄る。しかしそんな惨状を引き起こした張本人であるアヴドゥルは、目を見開いてある一点を見つめていた。

「おい、アヴドゥル!」
「一体どうした、って」

アヴドゥルの視線を追った花京院も彼と同じようにピタリと動きを止めた。それに承太郎も振り向こうと――。

「見るな!承太郎!」

花京院の制止の声は、一歩遅かった。



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