薄氷に臨む | ナノ
喉の渇きで目が覚めた。重たい体を起こそうとして、鈍い痛みが腰に走る。反射的に手で押さえて、漸く今の自分の状況を思い出した。隣を見ると、ぽかりとひとり分のスペースが空いている。ディオはどこに行ったのだろうか。分厚いカーテンの下からは微かに日の光が入っている。吸血鬼である彼が活動する時間ではないのは明らかだ。
不思議に思いながら腰を庇うようにそろそろと体を起こす。まだ股の間に何かが挟まっているような違和感があって顔が熱くなった。
ゆっくりと膝を抱えるとさわり心地のいいシーツがするすると肌を撫でる。その感触にすら昨夜の行為が想起されて、ますます頬に熱が集まって暑くて仕方がない。
――お母さんに泊まりになるかもしれないと言っておいてよかった。
小さくため息をつきながら指でシーツをなぞる。…昨日の晩、ここで私はディオに抱かれたのだ。恥も外聞もなく、幾度も彼の名を呼んでは貫かれる快感を求めた。誰に許しを請うでもなく、ただ己の望むままに。
ぽろりと何かが頬を伝った。いつの間にか視界が滲み揺れている。ああ、自分は泣いているのだと気付いて笑いが込み上げてきた。一人涙をこぼしながらくつくつと笑っていると、無遠慮に扉が開かれる。
顔を上げればペットボトルを持ったディオが少し驚いたような顔をしていた。

「…そんなに痛むのか」

軟弱だな、と鼻を鳴らしながら近づいてきた彼が持っていたペットボトルを差し出してきた。それを見てそういえば喉が渇いていたのだと思い出す。思い出した途端耐えきれないほどの渇きが襲いかかってくる。けれど私の視線は水ではなく艶やかに光るディオの唇にくぎ付けだった。
白い手首を掴んで引き寄せれば、訝しげながらも近づく彼の瞳に泣き笑いを浮かべる私が映り込む。

「違うの、違うのよディオ…」

痛くて泣いている訳じゃない。自分でも上手く言葉に出来ない程、色々なものが混じっている。けれど確かにわかるのは、この涙の主成分は"喜び"だ。
その形の良い唇に齧り付く様に口付ければ、驚いたのか微かに肩が揺れた。誘うように唇を舐めれば、肉厚な舌がぞろりと絡められる。流し込まれた唾液が酷く甘く感じて、もっと欲しいと自然と舌が動いた。
ディオの吐息が私のものと混ざる。そんなものすら逃したくないのに、嚥下しきれない唾液が顎を伝ってもったいないと眉を顰めた。
離れた舌と舌を繋ぐように、唾液が銀色の糸となりプチりと切れる。それを見届けて、間近にある彼の瞳を仰ぐ。血のような赤の中、惚けた顔をしている私が居た。

「ねえ、ディオ。私承太郎の事を愛しているの」

今も昔も、承太郎の事を愛してた。愛してる。だからDIOに惹かれていく自分を認められなかった、許せなかった。言葉にして自分を叱咤してDIOを拒むふりをして。けれど目を逸らせない程に惹かれてしまったから。――身を投げ出して承太郎を救うことで、許しを得ようとしていた。そんなものは、愛でもなんでもなくただ罪悪感から逃げるだけだと気付きながら、優しい彼に甘えた。そして今も自分勝手に承太郎の隣に居られないことを妬み恨み…幼馴染と言う関係すら消し去ろうとしている。承太郎の視線が私に注がれないのなら。私を愛していると言って貰えないなら、全てを消してしまいたい。そんな醜いエゴを愛する彼を傷つけないためなんて美しい嘘で飾ってた。

「でもね、あなたのことも愛していたの。…愛しているの」

そう、汚い欲に塗れた自分を認めてしまえば、こんなにも楽になる。優しく私を包む承太郎を愛する一方で、暴虐なまでに私を喰らい尽くすDIOを、この男を愛し、求めていた。
ぽたぽたとまた新しく生まれた滴が流れては、落ちていく。きっとその一粒一粒に私の理性も倫理も溶けているのだ。
でなければ、こんな醜怪な言葉を笑って吐ける筈もない。

「あなたも承太郎も、欲しくて堪らないの」

滲む視界の先でディオはどんな顔をしているのだろう。呆れ果てているのだろうか、汚らわしいものを見るように顔を顰めているのだろうか。けれど彼の瞳を、思考を自分が占めているのだと思うとそれだけで喜悦に身が震える。

「ねえ、こんな浅ましい女は嫌い?」

垂れ下がったディオの手を掴み己の頬に押し付ける。掌を滑らせて、熱の籠った息を吹きかければ、突き飛ばす様に体を押された。瞬間腰に走る痛みに小さく悲鳴を漏らす。けれどそれに構うことなく覆いかぶさるディオの重みに甘い痺れが走った。

「そうだな…尻の軽いあばずれに興味はない」

目尻に溜まった涙がこぼれ、クリアになった視界に冷たい表情を浮かべるディオが映る。しかし私は思わず笑みを浮かべてしまった。

「…承太郎を愛し、"私"を拒みながらもこの手で乱れていく貴様を見るのが愉快だった。墜ちまいと耐える貴様を穢すのが"私"の愉しみだったというのに…こんな無様で淫乱な牝だったとはな」

私の心を突き刺すような鋭い言葉が降り注ぐ。けれど私の笑みは深まる一方だ。だって、ほら。ディオの眼には私を焦がす火が灯っている。私の全てを狂わせる情欲の炎が。
震える指先でディオのシャツのボタンを外す。徐々に露わになっていく白い肌にため息が零れた。

「ディオ…」

一つ名を呼べば火が揺れる。逞しい胸に指を這わせれば、吐き出される息に熱が籠る。シャツを握り引き寄せれば、同じ火を瞳に灯す私が、映る。

「…愚かで無垢なお姫様を壊すのが愉しいと思っていたんだがな」

嘲るように鼻で笑ったのは、誰の事なのか。

「おかしなものだ、"俺"は今の貴様の方が余程…そそられる」

私の全てを暴く様に動く指先に天を仰ぐ。晒し出された首筋に顔を埋めるディオの髪が頬を撫でた。それが愛しくて指を絡ませればジクリと首が痛んだ。
――きっとそこには赤い赤い華が咲いている。それは、印だ。私は愚かな賤しい己の欲を認め許してしまった罪人だと知らしめる、証。
けれどそれを私は愛おしく思うのだろう。だって、ここはこんなにも甘やかな幸せに満ちている――。



墜ちた聖女
灰になるまで焼き尽くして
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