存在理由 | ナノ






「も、やだあ」
「ニナ、立ちなさいまだ修業は終わっていない」
「や、もうやだ…波紋なんて知らない。使えなくてもいいもん」

蹲って無くニナの頬をしゃがみ込んだ男が叩く。見開いたニナの目に溜まった涙がまた零れる。

「ストレイツォ様なんて嫌い、だいっきらい」
「嫌いでもいい。立ちなさいニナ。お前にはその義務がある」

ニナの手を掴みストレイツォが無理やり立たせる。ふらつく足で立ったニナは顔をくしゃくしゃにしながらも必死に波紋の呼吸をする為にしゃくりあげる喉を押さえた。


「ニナお前には波紋の才能が有る。それを捨てることは出来ないんだ」
「…はい」
「吸血鬼に、柱の男に殺された両親の無念を忘れるな。お前は彼らの仇を取るんだ」
「…はい」

俯くニナを一瞥したストレイツォが部屋から立ち去る。ニナは顔を歪めてベッドに潜り込んだ。
ニナの両親は波紋使いだったらしい。眠る柱の男たちとやらの様子を見に行って、そこに居た吸血鬼と交戦して二人とも生まれたばかりのニナを残して死んだらしい。すべてらしいと付くのはそれが人づてに聞いた話だから。
彼らは私を愛していたらしい。彼らは波紋使いとして優秀だったらしい。彼らは波紋戦士と誇りを持っていたらしい。
らしいらしいらしい。ニナにとって両親は時たま気まぐれにストレイツォが読み聞かせるおとぎ話の登場人物と同じだ。リアリティのない空想の住人。ニナが泣いたって苦しんだって助けてはくれない。笑っても喜んでもそれを分かち合いはしない。ニナは何時だって一人だった。
ストレイツォは師としているだけでニナを愛してはくれない。時折尋ねるリサリサは優しいがそれだってほんの一時で。買い物などで行く街に居る子供たちは皆幸せそうだった。親と手を繋いでいたり友人と笑い合っていたり。自分は目の前を行くストレイツォの手を取ることすら許されないのに。
何故両親は私を連れて行ってくれなかったのか。何故一緒に死なせてくれなかったのか。何故波紋の才能なんてものを残していったのか。いっそ一緒に死んでしまいたかった。波紋の才能なんていらなかった。そうしたらきっとどこか適当な所に預けられていただろう。財団を経営するスピードワゴンの伝手で孤児院くらいには入れて貰えただろう。こんな孤独に、一人震えなくても良かっただろう。ニナが何度想像上の両親に怒りをぶつけても、それに応える声は無い。差し伸べられる手もない。
物心ついた時から続けられる修行。寄る辺のない身の上。修行を上手くこなした時だけ与えられる温もりにだけ縋ってニナは生きていた。
波紋の修業を止めればストレイツォは自分を捨てるだろう。リサリサもスピードワゴンも失望を浮かべるだろう。捨ててしまいたいのにそれを捨てれば、ニナには生きる場所も意味も価値も残っていないのだ。あまりにも希薄な自分の存在価値に、幼いニナは気付いていた。


「ニナ、久しぶりですね」
「リサリサ姉さま…お久しぶりです」
「また大きくなったわね。どう?波紋の修業は順調ですか」
「…ええ」
「そう。…ねえニナ、私と一緒に来ますか?」
「え?」
「赤石の話はストレイツォから聞いていますね?」
「…はい」
「これからそれを私が守ることとなりました。あなたの才能は私も一目置くものです。あなたが来てくれたら心強い。どうですか?」
「…それが、リサリサ姉さまの為になるなら」

一瞬ニナの心に芽生えた喜びは、即座に踏みにじられた。彼女もまた求めるものは自分ではなく、自分の力なのだ。分かり切っていた事じゃあないか。誰も私自身なんて見ていない、要らない。泣き喚きたい。私を見てと愛してと。けれどそんな感情が浮かんだのは刹那。感情に蓋をするのは慣れっこだ。
ニナはリサリサに微笑んで力強く頷いた。笑い返すリサリサが彼女の胸の内に巣食う影に気付くことなどありえなかった。


「…シーザーだ」
「ニナだよ、よろしくね」

柱の男に父を殺されたという青年は怒りに燃えていた。必死に力を得ようとする彼の姿をニナは複雑な思いを抱いて見守っていた。自分も両親の記憶があれば、ああなれただろうか。仇を討とうとその為に強くなろうと。考えても埒の開かない考えがニナの頭をぐるぐると駆け回る。

「ニナは何故ここに居るんだ?」
「両親が吸血鬼に殺されてね。波紋の才能があったからリサリサ先生の師に引き取られたんだ」
「そうか…ニナも俺と同じ柱の男の被害者なんだな。…強くならないとな」

顔を歪めるシーザーにニナは曖昧に笑った。被害者何て意識は持ち合わせていない。強いて何の被害者かと言えば才能の被害者だろうとニナは思う。記憶にない両親の死を嘆くつもりもないし復讐したいとも思わない。ニナはただ自分の居る場所を守っているだけで。その居場所だって、望んでいる訳ではない。そこにしか、無かったから。
自分は贅沢なのかもしれない。生きるだけで必死な人間もいる。それに対して衣食住の保証はあるし、彼女の力を求める人もいる。でも、それでも。ニナはただ、自分を、波紋も何も関係なしに名を呼んでくれる相手を求めていた。ただそれが、叶うなんて思っても居ない。

「ニナはコントロールが上手いんだな」
「それだけが取り柄だからね」
「いや、尊敬するよ。ニナを目標に俺も頑張らないとな」
「そうそう頑張りなさい」

軽口を叩きながらニナは笑う。何も楽しくもおかしくもないけれど。人が人を評価するにはその対象の持っている価値を見る。それは外見だったり才能だったり。私を誰かが必要とする時、評価する時、彼女自身を見てくれないのは仕方ない。仕方ない、仕方ない。何も持たない私を見てなんて子供じみた願望でしかない。幼かった頃の様程は愚かではない。ただそれでも聞きたくなることもある。もしも私が両手両足を失って肺が潰れて。波紋も練れなくなった時、それでも私を求めてくれる人は、どこかに居るの?幼い願いと愚かな想像と切り捨てる理性と、消す事の出来ない幼き日の慟哭が何時だってニナの胸から消えることはなかった。
そして柱の男が復活し、事態は急速に進んでいく。ニナはその流れに抗う気はなかった。この戦いが終わればきっと自分の存在価値は無くなる。そう思いながらも抗えばそれが早くなるだけで。結局ニナはただ流される。仕方ない仕方ない仕方ない。だって私はそれしか出来ないんだから。――ニナは何時しか、全てを諦めていた。


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