存在理由 | ナノ






結局郵便船を止めるのは間に合わずジョセフたちは郵便局へ、リサリサはスージーQの記憶を探っていた。一方ニナは出発の間まで休息を取るように言われ部屋に戻ってきていた。
ニナはカーテンを引き薄暗くした部屋の中ベッドに倒れこんだ。いくらジョセフとシーザーの作戦が上手く行ったとはいえ肉体的な負担も多少あった。そして何よりも酷く頭が重たい。
エシディシが消え去ったあの瞬間脳裏に過ったあれは一体なんだったのか。捕らえきれないほど大量の映像と他人の思念。そしてあの涙が流れた訳は――。そこまで考えて急激な吐き気がニナに襲いかかってきた。慌てて立ち上がったが洗面台まで間に合わずに床に嘔吐してしまう。

「っう、は…」

口内を焼くような酸味と胃液の苦さに眉をひそめる。波紋の後遺症とはいえこんなにもひどい物だろうか。不思議に思いながら吐瀉物の方に目を向けてニナは目を見開いた。親指の先大程度の物体が微かに蠢いている。嫌悪感も忘れニナはその物体に手を伸ばした。ぴくりぴくりと動くそれは小さな心臓にも脳にも見える。
まさか、これは――。ニナは少し考えた後ナイフで指先を浅く切りつける。傷口に玉の様に浮かんだ血を一滴それにかけると一瞬にして取り込まれ、肉塊はぶるりと震えた。生きて、いるのだ。
状況から考えてこれはエシディシの残滓に間違いないのだろう。ならば今すぐにでも波紋で焼き尽くすべきだ。ニナの波紋の威力でも今の状態ならば容易く滅することが出来るだろう。そう、頭では分かっていた。しかしニナはそれに唇を近づける。

「お前は、エシディシなのか?」

囁くような小さな声に肉塊は応えるように震えた。どういう仕組みかは分からないがどうやらこちらの言葉が分かるらしい。脳だけで動き人を支配するし、分かってはいたが全く常識と言うのが通じない種族の様だ。

「…知りたいか?彼の願いが、悲願が成就するか否かを――」

何故そんな問いが口を突いたのかは分からない。しかしニナの問いかけに今までで一番大きく肉塊は震えた。
そこからのニナの行動は素早かった。ちり紙で肉塊に付着した胃液をふき取りネックレスのボトルの中に入れる。ついでもう一度ナイフを取って腿を斬りつけた。滴り落ちる血液をボトルの中に貯め、それに蓋をしようとして…ボトルの中に声をかけた。

「ガラスと蓋の外には波紋を流しておく。無理に出ようとすれば今の状態では一溜まりもない。…意味は分かるね?」

錯覚かもしれないが先程より大きくなったように見える肉塊はフルっと震え…ニナは少し考えてもう少し血液を足して蓋をした。宣言通りボトルに波紋を纏わせる。中に影響がないようにするのは多少骨が折れたが、それも直ぐに慣れた。
ニナはボトルを隠す様に服の中に入れ、吐瀉物を手早く片した。それまで気付いていなかったが部屋の中に饐えた臭いが充満していて気分が悪くなる。窓を開けば眩しい日差しが飛び込んできた。
今自分がしていることは、師への仲間への裏切りだと言う自覚はあった。一体どうしてこんな行動に出たのか、ニナ自身納得できる答えが見つからない。ただ、こうしてやりたい、やらねばという思いだけが確固として胸の内で燃えている。

「ごめん」

その謝罪が誰に向けたものなのか――。それすら分からないニナの胸元でもぞりと蠢く気配がした。



誰も知らない一幕

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