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4/10 雨

しとしとと降る小雨の中、遼一は傘も差さずに歩き出した。少し歩くと雨が降っているせいとだけとは思えない程人気のない商店街が見える。入り口にあるガソリンスタンドも大きな通りに面しているというのに閑古鳥が鳴いているようだ。

「お兄さんお兄さん!」

ガソリンスタンドの横を通り過ぎようとすると、声をかけられる。徒歩だし声をかけられる理由はないと思うも、周囲にある人影は自分だけだと遼一は歩を止めた。緩慢にそちらを向くと、人好きのする笑顔を浮かべた青年が手招きしている。その顔に見覚えはなかったが遼一はとりあえず近づいて行った。

「大分暖かくなったとはいえそんなんじゃ風邪引いちゃうよー。ほら、傘貸してあげる」
「いや、別に」
「いいのいいの!やっぱ人間助け合わないと。っていうかお兄さんここらじゃ見ないね」
「あー…三年ぶりに帰って来たんで」
「へえ、見た感じ高校生っしょ?八十高?」
「はい」
「そっか、もし部活とかしないならここでバイトとかどう?人手たんなくてさー」

店の様子はそうは見えないが、遼一は何も言わず曖昧に笑っておく。どうにもきな臭い。笑顔を浮かべているのにどこかこちらを観察するような、冷たい視線を遼一は相対する男に感じていた。
今までの経験からこういった所からは早く逃れるべきだと分かっている。遼一はまだ喋り足らなそうな男から礼を言い傘を受け取り踵を返そうとした。しかし、その手を取られてしまう。

「これからよろしくね!」
「…どうも」

半強制的に握手の形に持ち込まれて流石に遼一は顔を顰めた。しかし男は意を介した様子もなく手を離して軽く振る。それに小さく頭を下げて遼一は足早に歩き出した。


記憶と違わぬ姿の玄関の前で遼一は一度大きく深呼吸して扉に手をかけた。しかしガチッという音とともに抵抗が伝わるだけで開かない。少し考えて遼一はズボンのポケットに手を差し込む。チャリっと小さな金属音と共に出てきた鍵は、もう三年も使っていない。これで開くだろうかと内心不安になりながら差し込むと、カチャリと鍵が回った。遼一はその事実に小さく息を吐き、扉を開ける。

「おとーさん?おかえ、り…」

鍵の開く音に反応したのか、居間から顔を出した少女は遼一を見て固まってしまう。遼一はその姿に一瞬目を細めてから出来る限り優しく見えるように微笑んだ。

「菜々子」

名前を呼ばれた少女…菜々子はぴくりと肩を跳ねた。その眼に困惑の色が見えて遼一はこっそり苦笑する。菜々子が驚くのも致し方ないだろう。遼一と菜々子が最後に会ったのは彼女が保育園に入った年の頃だ。遼一でさえ道で通り過ぎただけなら彼女が自分の妹だとは気付かなかっただろう。幼かった菜々子なら尚更だ。お互い成長期の三年を一度も顔を合わせずに過ごしてきたのだから、見知らぬ男の出現に怯える菜々子の気持ちも分かった。

「…おにい、ちゃん?」

恐る恐る、と言ったように口を開いた菜々子に、小さく頷く。体を大きく動かせば菜々子を更に怯えさせてしまいそうで、どうにも身の置き場がない。遼一は今にも回れ右をしたい気持ちを抑え込んでもう一度菜々子を呼んだ。

「菜々子、ただいま」
「お、おかえりなさい!」

戸惑いながらも菜々子の頬に笑顔が浮かぶ。少し血の気がよくなった頬が幼い子供特有の愛らしさを醸していた。
とりあえず動いても大丈夫だろうと遼一は判断して、一歩踏み込む。鼻腔に感じる匂いは記憶にあるものと同じような、どこか異なっているような奇妙な感覚を覚えさせた。
荷物を持ってとりあえず居間に入る。座卓の側にあったソファーは昔のままだ。遼一はそこに荷物を載せて菜々子を振り返った。少し警戒心が残っているのか、入り口でこちらを見る菜々子に手招きをする。他に誰もいないのに、周りを見回す様にきょろきょろと首を回してから、菜々子はおずおずと近づいてきた。

「父さんは?」
「えっと、夕方には、帰って来るって」
「そっか。…菜々子大きくなったな」

遼一が手を伸ばすと少し肩が張ったが、気にすることなく頭を撫でてやると菜々子は少し照れたように笑った。遼一の記憶の中のあの人はいつも忙しく、中々話したりスキンシップを取る時間はなかった。今は菜々子と二人で居るのだから多少は改善されただろうと遼一は勝手に思っていたのだが、…どうやらそうではなかったらしい。
この年頃の子なら当たり前にされるであろうことに、戸惑う様な照れたような顔をする菜々子に胸が締め付けられる。とはいえ、遼一とて子供の扱いに慣れている訳ではなく、ここからどうしたらいいのか分からず撫で続ける。

「お、にいちゃんも大きくなったね!」

まだお兄ちゃん、という言葉に慣れないのかどもりながらそう言う菜々子に遼一は首を傾げる。覚えていないと思っていたが少しは記憶があるのだろうか。

「お父さんとね、お兄ちゃんが映ってる写真見たの!菜々子といっしょに映ってるのもあったよ!」
「ああ…そっか」

気が利くとは言えないあの人も流石にそれくらいはした訳だ。幾つか昔話なんてものもしたのかもしれない。とはいえある写真は全て小学生の頃の物だから菜々子は自分に気付かなかったのだろう。この三年間遼一は一枚の写真も送っては居なかったから。

「なんか飲みものあるかな」
「冷蔵庫に牛乳あるよ!」
「ん、ありがと」

もう一度菜々子の頭を撫でると、冷蔵庫に向かう。遼一が冷蔵庫を開けると、そこには菜々子の言った通り牛乳とビール。そして幾つかの惣菜が入っていた。

「菜々子」
「なあに?」
「…お前いつも何食べてるんだ?」