一撃男 | ナノ

Memento mori



「いや、ほんとね、大変だったよ」
「はあ」

ナナシの想像通り、病院は無傷の状態でいつも通り存在しており、戻ってきたナナシを迎え入れたのは、医局長の遠まわしな嫌味だった。

「人手が欲しいときに君はまだいなかったし」
「本当遺憾です、怪人の出現場所がもう少し離れてたら帰ってこれたんですけどね」
「まあね、命は大切にしないといけないよ、うん。でも病院の側は無事だったんだし、間に合っても良かったよね」
「歩くのが遅くて申し訳ありません」
「いや、君の命が無事でよかったよ、うん」

どんどんストレートになってくる嫌味にナナシは眉を顰めるのを懸命に堪えた。目の前の医局長が怪人の出現に患者を放り出していの一番にシェルターに逃げようとしていた、と医局の人間が皆知っていると言ったらどんな顔をするのだろうか。

「ま、とにかく無事だったんだし書類の方もね、よろしく」
「はい、分かりました」

ナナシは一礼すると扉を開けて医局に向かった。途中壁でも殴ろうかと思ったが、穴でも開けたら面倒くさいので何とか堪える。
…開業しようかな、という考えがナナシの脳裏に浮かぶ。長年生きてきたお陰で幸い蓄えはたんまりある。外見年齢もある程度は変えられるし、周囲の人間にそう怪しまれはしまい…。だがしかし。これだけ怪人の出現が度々起こっては何度破壊されるか分かったものではない。保険があるとはいえナナシの貯蓄にも限りはある。それに食事代わりの輸血パックだってここならただで手に入る。そう考えてナナシはなんとか踏みとどまった。

「あ、ナナシ先生、無事だったんですねー」
「ああ、はい。忙しい時にすいませんでした」
「いえいえ無事で何よりですよー」

同僚の裏のない気遣いにナナシはようやく顔の筋肉が緩んだ。デスクに貯められた書類を見て一瞬顔を顰めるが、さっさと終えようと椅子を引く。

「孤児院の方はどうでした?」
「また子供の数が増えてましたね」
「ああ…最近は怪人被害も多いですしねー…。ボクが子供の頃は怪人なんてめったに出ませんでしたけど」
「本当ですよ。最近は毎日の様に事件が起こってますね」
「ヒーローも頑張ってくれてるんでしょうけど…それでもこうなんですもんねえ」
「全く、怪人なんて居なくなったらいいですね」
「本当ですよー」

自虐的とも取れるナナシの発言にもちろん同僚は気づかない。話しながらもお互い書類を処理していく。いつの間にか外は暗くなっていた。

「あ、ボク食事に行きますけど。ナナシ先生どうします?」
「そろそろ終わるので終わらせて帰ります」
「そうですかー。じゃあまた明日」
「はい、お疲れ様です」

ナナシは同僚を見送って、カルテに向かいなおした。幸いナナシは現在重篤な患者は受け持っておらず、明日の休暇も無事迎えられそうだ。それを救いに残りの書類をこなしていく。
同僚が戻る前になんとか仕事を終え、ナースステーションに必要事項を伝えるとナナシは病院を後にした。

家のすぐ側のスーパーで買い物をする。燃費の悪い体のせいでいつも大荷物になるが、今日は思わぬ収穫が有ったおかげでナナシにしては少なく済んだ。といっても一般家庭の数日分の買い物程度にはなったが。
少し歩くと、ドカンという音と共に地面が揺れる。少しの間が有って悲鳴。本日二度目になる怪人との邂逅にナナシは盛大にため息を吐いた。
音の発生源からシェルターのある方向に立っていたために、逃げる人波をナナシは予想していたが、一向に誰も来ない。周りの家屋の人間もこちらを窺っているが、まだ逃げる準備はしていないようだ。先程から聞こえる破壊音も少しずつ遠ざかっている。
不思議に思いながらナナシが進むと、道に破壊の跡と血痕があるが怪人は居ない。住宅街から遠ざかる様に続く跡を見、少し考えてナナシはその跡を追うことにした。
もしかしたらまた食事ができるかもしれない。そんな考えを持ってナナシが歩いていくと人気のない河原に着いた。少し先で怪人と多分ヒーローであろう人影が争っているのが見える。街頭もなく真っ暗な河原は見通しが悪いが、ナナシにとっては何の障害もない。目を細めてそちらを窺う。
怪人も中々の強さらしく、どうもヒーローが押されているようだ。しかし、妙なことにそのヒーローは怪人の強烈な一撃を受けても尚動いている。耐久力が有るというにも程がある動きにナナシは首を傾げながら更に近づいた。
手が刃物の形状になっているらしい怪人の一撃がヒーローの足を切り落とした。それでもまだ動こうとしているヒーローには驚きだが、怪人は止めとばかりに腕を振り上げた。それを見たナナシは強く地面を蹴って間に躍り出る。もうそこまでしなくともあのヒーローの命はないだろう。止めても止めなくとも結果は同じだが、怪人のやりすぎな行いを見てみぬふりが出来ない程度にはナナシには良心が有った。
振り落とされた手を、ナナシは足で止める。いきなり現れたナナシに怪人が目を白黒している内に、地面を蹴ってナナシは怪人の肩まで一足飛びに駆け上がった。そしてそのままの勢いで怪人の頭を蹴りあげると、呆気なく怪人の頭は吹き飛んだ。
ナナシは肩を蹴って少し距離を開けて地面に降りると、自分の服を確認する。飛び散った血が付いていないのを確認して、倒れ伏しているヒーローの方を振り返り、ナナシは思わず目を見張った。
…回復してる?先程まで確かに膝上で切り落とされていた足はもう既にふくらはぎのあたりまで生えている。しかも意識を失っている訳ではないらしく、その男はナナシと同じく目を丸くしながらこちらを見ていた。

「お、まえ」

何か言おうとした男の頭をナナシは軽く蹴った。それで男の意識は失われたらしく、ばたりと横に倒れる。ナナシはその男の顔をまじまじと見て、ゾンビマンと呼ばれる男だと気付いた。
昼間のジェノスと言い、このゾンビマンと言い今まで見かけたこともなかったS級ヒーローに立て続けに会うとはどういうことか。一瞬額を押さえたくなったが、思い直してさっさとここを去ることに決めた。
ゾンビマンの記憶が消えているといいと願いながら、ナナシは一歩踏み出し、ピタリと止まる。視線の先には先程切り離されたゾンビマンの足が有った。これ一つあれば、今手に持っている食料の何倍も腹が膨れる。その誘惑にナナシは手を伸ばしそうになったが、もし記憶が消されたとしても足が無ければ不審に思われると思い至ってなんとか止まる。しかし、どうにも惜しくて、結局ナナシは幾つかの肉片を拾って帰った。これだけ散らかせばいくらか無くとも気付かないだろう、と高をくくって。



これが始まり
暗かったし顔までは見えてなかろう、多分