小説 | ナノ




「異議あり!」
「却下します」
「そんな!」

いきおいよく人を指差す手を叩き落とす。成歩堂さんは、叩き落とされた右手と私の顔を見比べて、子供の様にしゅんとした顔をした。

「…名前ちゃんが悪いのに」
「私が悪いんじゃありません。仕事が悪いんです。更に言うなら御剣検事が悪いのです」

きっぱりと言い切れば、尚も未練がましい顔でこちらを見る。流石にそうジッと見られると居心地が悪かった。

「あー…」
「名前君」
「あ、御剣検事」
「準備は出来たかね」
「はい。すぐに出られます」
「良かろう。行くぞ」
「ちょっと待った!」
「…なんだ成歩堂」
「名前ちゃんはボクと食事に行く予定があるんだ!」
「それが何だというのかね。急な仕事が入った以上キャンセルされてしかるべきだろう」
「うっ…!で、でも今日は…」
「我々は忙しい。文句なら後日にしてくれたまえ。名前君行くぞ」
「…はい、検事」

雨に打たれる子犬のような顔をする成歩堂さんに、後で連絡します、とだけ言って検事の後を追う。検事の真っ赤なポルシェの助手席に座って、ため息をついた。

「…すまなかったな」
「いえ、検事のせいじゃありませんから」

そう、御剣検事のせいではない。事件を起こした犯人が悪いのだ。ばつの悪そうな顔をする御剣検事に微笑みかける。分かり辛いだのなんだの言われているが、見慣れればこの人は案外表情豊かだ。…成歩堂さんとの法廷を除けば。あの時の検事は表情豊かすぎると思う。

「それで、今日は何かあったのかね」
「…ああ。今日で付き合ってちょうど一年なので」
「そうか。…なに!?」

御剣検事がいきなりブレーキを踏んだせいで、体がガクンと揺れる。後続車がいなかったからいいものの、場合によっては大事故だ。流石に文句の一つでも言おうと顔を上げたが、その前に放り出される。

「ちょっ!御剣検事!?」
「今日の調査は私だけで行く。君は成歩堂の所に戻りなさい」
「え!ちょっ!」

私の制止も空しく、御剣検事のポルシェは咆哮音と共に去って行ってしまった。…戻れって、どうしろって言うんだ。ここから検事局までって結構あるじゃないか。
言う相手もいない文句を頭の中で連ねながら、携帯を取り出す。

「成歩堂さん?」
『…なに?』

一言聞いただけで分かるほど拗ねた声音に、思わず笑ってしまった。

『なに笑ってるんだよ…』
「いえ。…御剣検事がお休みをくれまして。食事行けそうです」
『え!い、今どこに!』
「もう検事局からも大分離れているのでこのままレストランに向かいます。そちらで落ち合いましょう」
『分かった!』

先程よりも随分と明るい声の成歩堂さんに笑ってしまう。タイミングよく通りかかったタクシーを止めて、私も浮き足立つ心を抱えながら飛び乗った。


「美味しかったですね」
「うん。…御剣もたまにはいいことするな」
「御剣検事は何時だってお優しい方ですよ」
「……」
「どうしました?」

無言になった成歩堂さんを見れば、なんだか不満げだ。唇を尖らせている姿は腕利きの弁護士、と呼ばれている彼にはそぐわない。…まあ、法廷を出れば彼はいつもこんな感じだけれど。

「成歩堂さん?」
「御剣と仲良いよね名前ちゃん」
「そりゃ私御剣検事の補佐役ですからね。仲悪かったら支障をきたすでしょう」
「そうじゃなくってさあ…」

成歩堂さんは御剣検事に法廷で追い込まれた時のように、視線をうろつかせている。何度か意味のない唸り声を上げて、こちらを見た。

「…言いたくないけど。御剣の方がさ、顔はいいし給料だって良いし。職も安定してるじゃないか」
「まあ、そうですね」
「…そこはちょっと否定して欲しかったな」
「我儘ですねえ。それにどれも事実じゃないですか」
「そ、それはそうだけど」

肩を落とした成歩堂さんの背中が妙に小さく見えて笑えてしまう。

「何笑ってるんだよ」
「別に」
「まったく。…御剣と付き合った方が良かった、って思ったことないの?」

成歩堂さんの言葉に足が止まる。成歩堂さんも同じように足を止めて私を見下ろしていた。その眼は、不安げに少し揺れている。

「…馬鹿ですねえ」
「ば、馬鹿って!」
「御剣検事だけじゃなく他の人と…なんて考えたこともありません。そんなことも分かりませんか?」
「そ、そう言うわけじゃ…」
「好きですよ、龍一さん」

真っ直ぐに目を見つめてそう言えば、大きな目を見開いて成歩堂さんが固まる。少ししてから彼は力なく口を開いた。

「異議あり。…いきなりそんなことを言うなんて反則だ」
「異議を却下します。さ、早く帰りましょう」

垂れ下がった彼の手を取って歩き出す。それと同時に鳴り響いた携帯を取り出すと、御剣検事の名前が。

「…御剣検事が、明日も休んでいいとメールくださいましたよ」
「そう」
「やっぱり優しいでしょう?いい上司です」
「…その意見は今日だけは同意しとくよ」
「明々後日辺りにはまた虐められますもんね」
「こういう時にそういうこと言わないでくれない?」
「はいはい」
「名前ちゃん」
「はい?」
「来年もまたあそこ、行こうか」
「…事件がなければ、ね」
「きっとお優しい御剣検事なら休みをくれるさ」
「伝えておきましょう」

くだらない話をしながら、お互いの手を取って歩く。きっと来年もそのまた次の年も。こうして過ぎていくのだろうと、頬が緩んだ。


異議なし
言葉にすれば、そう言って彼も笑った