オペラ座 | ナノ
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その日、私は機嫌が良かった。納得のいく曲を仕上げ、体を充足感が満たしていた。
このまま疲労に任せて寝てしまうのもいいかと思ったが、未だ高揚感が抜けずに寝付けそうにない。久々に外の空気にでもあたってみようか。
足元に絡みつく貴婦人を抱き上げソファーの上に横たわらせる。不満げな声も一撫ですれば収まった。マントを羽織り、暗闇の中へ足を踏み入れる。さて、どこかに私の創造を掻きたてるようなものでもあれば幸いだが。

外に出ると人の気配がした。物陰に隠れて様子を窺うと、窓から小柄な人間が出てきたところだった。あれは確か…そう、ブランディーヌと言ったはずだ。以前引き取られてきたの双子の姉。妹の方はバレエを習っているようだが、彼女は雑用をさせられているようだ。今まであまり気にしたこともなく、ちょこまかと走り回っているのを見たことがある程度である。
ブランディーヌはきょろきょろと辺りをうかがってから外に歩を進める。少年のように短く切られた髪の合間からその相貌が僅かに覗く。
愛らしいといわれる風貌だが、気が強そうというか険のある目つきだ。身のこなしと言い醸し出す雰囲気と言いどこか中性的な雰囲気だった。あの恰好では少年にしか見えない。私自身女だと知らなければそこらに居る少年だったと思うに違いない。
迷いなく進む彼女になんとなく好奇心の様なものが疼いた。気付かれない様に後を付ければ、下卑た通りへと出る。一体何をしているのかと訝しんでいる間に彼女はヴァイオリンを構えた。ああ、そう言えばヴァイオリンが弾けるのだったか。マダムが言っていたような気もするが…。
どうせ子供の一芸だろう。崇高な音楽をよくもこんな詰まらないものに使えるものだ。軽蔑にも似たような感情が湧き上がってきたが、それは彼女が音を奏でるまでだった。

それは、まるで夢の様だった。技巧的にはお粗末もいいところだ。しかし、彼女が作り出すメロディの中に私は憑りつかれてしまった。明るい曲を弾けば、日の光が注ぐ美しい草原が見えた。それは太陽を忌々しいと思う私ですらうっとりと目を閉じたくなるような心地よい空間。かと思えば、どこか悲痛さが漂う闇に引きずり込まれる。胸を掻き毟られるような不安と、そこに疼く熱い思い。
曲に込められた思いが、作り上げた人間の思念が雪崩れ込んでくるような奇妙な陶酔感。目の前で聞いている愚鈍な者たちには分からないのだろう。ただ感心したような目を向けていた。しかし、私の瞳からは滴が零れ落ちる。
彼女は悪魔のなのではないかと、揺さぶられた脳みそが考える。聞く者の心を乱し、捕えて離さない。彼女のヴァイオリンはそう、囁きかける悪魔の声だ。揺さぶったかと思えば癒すように包み込み、かと思えば奈落へと突き落すような悲しみを与える。
彼女が弾き終わり頭を下げた時、私は感嘆の声を上げるのを抑えるので精一杯だった。類稀なるあの表現力!今はまだ技術が追い付いていない為にそれは凡人には伝わらない。私だからこそ気付いたと言ってもいい!!
もしも技術を手にした彼女が私の作った曲を弾いたとしたら。それはきっとこの世のものとは思えぬ仕上がりになるだろう!人々は涙し、微笑み、絶望し…全ての感情を曝け出すだろう!!!


もう込み上げてくる創造欲を抑えることは出来なかった。踵を返し足早に私の王国へと向かう。ああ、これから忙しくなる!あんなものを見つけてしまったのだから!!!
さて、どうやって彼女と接触しようか。脳内に溢れ出る音楽を纏めながら安寧の暗闇へと駆け下る。今日は私の人生で最良の日に違いない!!!!



彼女は知らぬ、歯車が動き始めたことを

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