小説 | ナノ



「承太郎はいっつもそうだよね!」

眉を顰め睨み付けてくる名前に承太郎は何も言えずに視線を逸らした。その対応に苛立たしげに腕を組んだ名前が隠すことなく舌打ちをする。流石に承太郎もムッとしたがこの状況を作り出したのは自分であるだけに何も言えなかった。

ほんの少しのつもり、だったのだ。詰まらない授業を終え廊下を歩いて居て、偶然出会わせた花京院に誘われた承太郎はふらりと図書館に寄った。この時はまだしっかりと名前との待ち合わせの事を覚えていた。付き合いで寄るだけですぐ帰ればいい、そう考えた承太郎はすっかり忘れていたのだ、自分の集中力の高さを。
図書館に行けば承太郎が以前から購入するか迷っていた図鑑が入っていた。迷うこともなく分厚いそれを手に取って読みふけり、承太郎が顔を上げた時には燦々と降り注いでいた日光は既になく外は薄暗くなっていた。慌てて隣を見れば先に帰ると几帳面な字で記されているメモがある。何も言わずに帰ってしまった花京院に薄情な、という文句が喉まで出かかったがそんな場合ではないと承太郎の脳内で警告音が鳴った。
貸出禁止のハンコが付いた図鑑を少々惜しみつつ棚に戻し早足で外に出る。日が落ちても尚息苦しさを感じる熱気に苛まれつつ、承太郎の脳みそは高速で回転し始める。
名前との待ち合わせは5時過ぎだった。今は7時少し前。普通であれば既に帰宅している可能性の方が高いだろう。しかし、名前の性格と今日の予定を考えると…。
大通りに出て何度か左右を見た承太郎は意を決して家とは逆方向へと足を踏み出した。周りを歩く楽しげな人々の声を聞きながら、長い脚で抜き去って行く。せめてどこかで涼んでいてくれたらいいが――、そんな事を考えながら承太郎はいつの間にか小走りになっていた。

待ち合わせ場所に辿り着いて周りを見渡すが名前の姿はない。やはり帰ってしまっていたかと肩を落とすと同時に承太郎の背を誰かが叩いた。振り返ると無表情の名前が立っている。

「悪い、少し図書館に寄っててな」
「少し?待ち合わせに二時間遅れるのが少しなんだ?」
「…悪い」

謝る承太郎に名前は大きなため息をついて、話は冒頭に戻る。
名前は舌打ちをした後首筋に手を当てて大きなため息を吐いた。それを見ていた承太郎はこんな状況だというのに普段とは違い髪がアップになっているせいで露わになった白い首筋に視線を奪われてしまう。待ち合わせに大いに遅れてしまったという負い目からじっくりと見ることが出来なかったが、いつもとは雰囲気の違う…浴衣姿を改めて眺める。
黒地に袂と襟にだけ百合が描かれているそれは周りを歩く女性たちよりもシンプルで品を感じさせた。それ単体で見たら名前には少々大人びていると思っただろうが、意外に似合っている。首筋や手を上げたせいで見えている腕の白さが目に毒だった。

「承太郎も浴衣着てくれるって言ってたから楽しみにしてたのに…」

浴衣姿を凝視している承太郎に気付かずに名前は未だに文句を言い続ける。

「悪いって言ってるだろうが」

一拍遅れて言い返す承太郎をそっぽを向いていた名前が漸く見上げる。そして小さく首を傾げた。

「承太郎顔真っ赤じゃない?」

幾ら暑いと言ってももう日は落ちている。それなのに走ってきた先程よりも顔が赤くなっていれば名前でなくとも不思議に思うだろう。指摘された承太郎としては少々恥ずかしいが。
…浴衣姿の素直な感想を言えば名前の怒りも薄れるだろう。と承太郎は思った。だが、それを伝えるのは気恥ずかしいものがある。結局少し顔を背けて悪かった、と見当違いの言葉を返した。

「本当だよ。店員さんには可哀そうな子って目で見られるし…」

そりゃあその格好で二時間もいればな、と思ったがこの言葉を言えば火に油を注ぐと承太郎は口を噤む。また怒りがぶり返したのか、文句を言い始める名前の手を掴んだ。

「なに」
「もういいだろ、行くぞ」
「…承太郎が遅れたくせに」
「すまん」
「…焼きそば、お好み焼き、あんず飴…あとラムネも承太郎の奢りね」
「んなに食ったら太るぜ」
「うるさい」

今度はつい思ったことを言ってしまった承太郎の手を名前が怒りを表すように強く握る。それは承太郎からしてみればへでもないのだが。
意に介した様子の無い承太郎に名前は大きなため息をついて、指を絡ませた。

「ま、楽しまなきゃ損だしね」
「そうだな。ああ、名前」
「なに?」
「その浴衣、似合ってるぜ」

先程は口籠った言葉が承太郎の口をついて出る。一瞬固まった名前の顔が先程の承太郎に負けないほど赤く染まった。

「そ、そんなんで誤魔化されると思うなよー!」

絡めた指をほどいて名前が下駄を鳴らしながら早足で前へ進む。

「誤魔化してるわけじゃねえんだがな」

だが、指をほどいて歩き出した時に緩んでいた名前の口元を思い返す限り、誤魔化しにもなったようだ。そんな可愛らしい名前の反応に承太郎も小さく微笑みながら足を速めた。この人込みの中で見失っては探し出すのも一苦労だろう。

「やれやれだぜ」



掴まえるまで後3秒
もう一度指を絡めるのにはもう少し