小説 | ナノ



動かない花京院にひらひらと手を振るが、いつも笑って振り返してくるのに今日は何だか渋い顔をしている。不思議に思っているとつかつかと近づいてきた。

「かきょーい」

グイッと引っ張られて名前を呼びきる前に彼の胸元に鼻を強かにぶつけた。それでなくとも低い鼻が潰れたらどうしてくれようか。文句をつけようと顔を上げると、花京院は随分と険しい顔をしていた。

「…承太郎」
「俺はなにもしてねえぜ」

苛立ちを含んだ花京院の呼びかけに、無実を訴えるかのように両手を挙げた空条先輩が呆れ半分からかい半分といった笑みを浮かべた。

「馬に蹴られるのは御免だからな。俺は帰らせて貰うぜ、お前らも風邪引くなよ」
「…お気遣いありがとう」
「ああ」

去り際にまた私の頭を空条先輩が一撫でしていく。私の肩を抱く花京院の手に更に力が籠った。それを見て喉で笑った彼は蹴られるのは御免だと言ったくせに掻き回すだけ掻き回したということだろうか。そんなに寒空の下に出されたのが気に食わなかったのかちくしょー。

「花京院、本当風邪引いちゃうし中入ろ」
「…うん」

掴む手から逃れて私は一歩前に出る。振り返りながら声を掛ければ小さく頷いたのを確認して、歩き出した。しかしそれも一歩二歩歩いたところで止められる。掴まれた手を確認してから花京院を見れば、なんとまあ情けない顔をしていた。冷えた指先が、絡むように動く。所謂恋人つなぎって奴だろうか。いきなりのことに動揺して肩が跳ねると、彼が一層悲しそうに眉を下げるものだから私は何も言えないいまま、また歩き出す。
日が沈み始めた廊下は少し薄暗くて、他の生徒の影も見えない。まあ居たら居たで冷やかされたりしたら腹立つから居なくてもいいが。でもうん、ちょっと、いやかなり気まずい気がするので誰か居てくれた方が良かったかもしれない。そうしたら自然と手を離す理由が出来たのに。
こんな気まずいのは告白されたとき以来だなんて考えながら足早に教室を目指す。荷物を取る時なら手を離しても問題ない筈。歩き慣れた廊下なのに妙に長く感じながら、漸く見えた教室に手の力を抜く。

「帰りゲーセンでも寄ろっか。ほら、新しい格ゲー出たじゃない」

何時もと変わらない、他愛もない会話をして普段通りに振る舞う。流されてくれるといい。ジュースでも賭けようか、なんて下らない話がしたい。

「名前」

そんなこと、もう無理だって分かり切っていたのに。離れかけた指先を花京院が掴む。寒さのせいか、少し吐き出す息が震えた。大きく息を吸って、振り返る。逆光に翳る彼は今どんな顔をしているのだろうか。

「好きだよ」
「うん」
「君が、好きなんだ」
「…うん」

彼が望む返事を、私は分かっている。でもそれを口にすることが出来なくて。花京院の事が、嫌いなわけじゃない。酷い言い方だけど、ありかなしかで言ったらありだと思う。だけど、怖かった。今のこの関係を壊すのが。だって、多分私は嫉妬深い方だと思うし、喧嘩とかしたら気まずくなるし。花京院と空条先輩と、三人でワイワイやってるのが好きで。それが崩れてしまうのが怖い。私は傷付きたくない。
酷い女だな、と自分のことながら思う。こんな言葉を自分に使うことなんてないと思ってたけど。だって、現に目の前に居る花京院は多分、傷付いて苦しんでる。空条先輩にまであんな嫉妬を露わにするほど。私は自分のしたくない事を、花京院に押し付けているんだ。
お互い何も言えずに俯いて、数秒。下校時間を知らせるチャイムに、私の肩が跳ねたのと同時に、花京院に引き寄せられる。見た目より逞しいその胸板に鼻をぶつけるのは今日二度目だ。

「…こうされるの、嫌、かな」
「…嫌では、無いけど」

そう、嫌じゃない。むしろ、高鳴る心臓が痛い位だ。だから、困ってしまう。花京院に惹かれ始めてる、なんて実はとっくのとうに分かっていたんだ。見ない様に気付かない様にしてたのに、こんな風にされたら嫌でも自覚してしまって。ぐだぐだと悩んでいた自分が馬鹿らしくなってしまう。このままはぐらかし続けたって、いつか気まずくなるのは同じなら、飛び込んでしまうのもいいかもしれない。そんな開き直った私の心を読んだように花京院は私の目をまっすぐ見つめて。

「ボクと、付き合ってくれ」
「…私ヤな奴だよ。我儘だしひねくれてるし、多分嫉妬深いし」
「知ってる。それでもボクは君が好きだよ」
「花京院って、案外趣味悪いよね」
「それも知ってる」
「私君に、惚れてないかもしれないよ?」
「それでもいいよ。これから惚れさせればいいんだろう?勝ち目はあると思うんだ」

そう言って笑う花京院は、あの時と同じ不敵な笑顔で。

「…ポジティブシンキングめ」
「長所だと心得てるよ」

近づいてきたお綺麗なその顔に、思わず目を閉じてしまったのは。



少しだけ望んでいたから
幸せにするよ、なんて笑う彼にプロポーズみたいだなんて茶化して笑った