小説 | ナノ



「やあディオ」

開かれた窓から人影が入り込んでくる。DIOは読んでいた本から一瞬目を向けて無言のまま視線を戻した。挨拶を無視されたが人影――名前は気にする素振りもなくカツカツとハイヒールを鳴らしながらDIOの向かいに座った。

「ジョセフが…ジョナサンの孫がこちらに向かっているそうじゃないか」

名前の言葉に漸くDIOは本を閉じ顔を上げる。頬杖を突き目の前で不敵に笑う名前に同じく唇を歪めた。

「相変わらず耳聡いなお前は」
「そりゃあね。大事な幼馴染の子孫だもの。陰からしっかり見守ってたから」
「ストーキングしてたの間違いじゃないか?」
「おや、手厳しいなあ」

暗闇の中二人顔を突き合わせくつくつと笑い合う。名前はDIOの前に置かれていたグラスを取って中のワインを一息に飲みほした。血のように赤い液体が名前の唇を通り、嚥下する様をDIOの目が追う。

「君は昔から本当に詰めが甘いな。だからいつも仕損じるんだ」
「何時私が仕損じた?」
「ジョースター卿の暗殺も、ジョナサンを殺すことも。そして私を殺さなかったことも。全て仕損じたと言って過言は無いと思うけれど」
「相変わらず口が減らないな。今ここで殺してやってもいいんだぞ?」
「やれるものならやってみなよ」

笑みを纏ったまま剣呑な光を宿すDIOに名前も艶然と微笑んで答える。部屋の温度が下がり始めたがそれも唐突に終わった。

「お前は昔から性質の悪いやつだったよ」
「そりゃお互い様だね。いつも喧嘩ばかりしてたじゃないか」
「その度ジョジョのアホが飛んできてな」
「そうそう。ジョナサンったら怪力のくせに私まで殴るんだからたまったもんじゃなかった。全く紳士が聞いて呆れるよ」
「女として扱われるような玉じゃなかったからなお前は」
「こんな美人に対して失礼だな」
「ほう?どこに美人が居るんだ?是非とも紹介して欲しいな」
「目の前目の前」
「…小憎たらしい顔しか見えんな」
「老眼じゃない?ジジイめ」
「それを言ったらお前は婆だな」
「誰かさんのせいでね。ああ、婆と言えばエリナはそういう歳になっても綺麗だったよ」
「エリナ・ジョースター…あれもお前と同じく癇に障る女だった」
「ファーストキス送って殴られちゃあそうも言いたくなるかい?」
「あれは俺が奪ったんであって俺は初めてじゃあなかった」
「はいはい。泥水で口を灌がれた空しい青春ご愁傷様」
「殴るぞ」
「止めてよ修復に時間がかかる」

日頃のDIOを知っている人物がこの場に居たとしたら目を丸くしただろう。眉を顰め小さく舌打ちをするその姿は普段の威圧感は無く、親しい友人と軽口を叩き合う青年のように見えた。

「でも、思い返せばあの頃が一番楽しかったな。ディオが居てジョナサンが居て…下らないことばかりしてた」
「思い出したくもない下らんことばかりだ」
「その下らなさがいいんじゃないか」

名前は目の前のグラスを指で弾く。キンッと高い音を立てたそれにDIOはワインを注いで飲み干した。そのままもう一杯注ぐと名前に差し出す。名前もそれを受け取って口に含んだ。

「百年だ。百年ジョナサンの子供たちを見守ってきた」
「いきなりなんだ」
「いや。…もし君があの時、私を吸血鬼にしなければ。きっと私はとっくに死んでただろうね」
「人間は儚いものだからな」
「そうだね。…ジョナサンが死んでジョージも若くして亡くなった。エリナも、スピードワゴンもリサリサも。幼馴染が、親しかった友人が、生まれた時から見守ってきた子供たちが。皆私を置いて死んでいった。その気持ちが君に分かるかい?」
「分かると思うか?…なんだ、恨み言でも言いたくなったか」
「こんなの恨み言の範疇に入るもんか。本気で言おうと思えばそれこそ百年かかる」
「勘弁してくれ」
「私だってそんな疲れることはしたくないよ。私ね、一度エリナに会いに行ったんだ」

DIOが名前を見る。しかし、名前の目はグラスに向けられて彼の視線とぶつかることはなかった。

「吸血鬼になったと伝えて。彼女は驚いて、悲しんだ。でも、私が見守りたいと言ったら頷いてくれたよ。…強いよねえ」
「馬鹿なんだろう」
「馬鹿か…そうだね。あの夫婦は二人して馬鹿なくらいお人好しだった」

しみじみと懐かしむように名前は長いため息を吐いた。

「ねえディオ。なんで私を吸血鬼にしたんだ?」
「…ただの気まぐれだ」
「ただの気まぐれ。ただの気まぐれで私は百年もの間一人漂うように生きてきたわけか」
「俺を恨んでいるか?」
「別に。長い付き合いだよディオ。君の気まぐれにも我儘にも慣れてたさ」
「ほう?じゃあ何が言いたいんだ」
「…この百年の間、死んでしまおうかと何度も思ったよ。それでも尚、なんで生きてると思う?」
「…何故だ?」
「君に逢いたかったからさ」

名前の言葉にDIOの目が僅かに見開かれる。それを見て名前は至極楽しそうに笑った。

「誰が死んで、私が死にたくなっても。ただ君に逢いたかった」
「…熱でもあるのか?」
「はぐらかさないでよディオ。私は百年前からずっと君の事が好きだった」
「寒い冗談だな」
「…そうだね。冗談かもしれないし冗談じゃないかもしれない」

真っ直ぐ二人の視線がぶつかり合う。DIOは苦々しく顔を顰め名前は目を細めて笑って。

「百年続いた因縁を、君の妄執を。彼らは断ち切ることが出来るのかな」
「断ち切るのは俺だ」
「それはどうだろう。ジョースター家の底力は君が一番身に染みて分かってるだろう?」

名前の指がDIOの頬に伸びる。触れ合った互いの体温は低く熱を伝い合うことはない。

「でも安心するといい。君が死んだら私も後を追ってあげるよ。また一人ぼっちになんかさせないから」
「不吉なことを言うな」
「いいじゃないか。君を百年待った…長い長い間ずっと一人で。死ぬ時くらい置いてかないでよ」
「ふん…ならばあと数百年は生きる気でいることだな」
「…そりゃまた随分と長いなあ」

DIOが名前の手を取る。どちらも言葉を発するでもなく自然と指を絡めた。

「君がいない百年は退屈で仕方なかったよ」
「それはこっちのセリフだ」




死が二人を分かつまで
それが明日でも数百年後でもいいと思える
(だから最後くらい共に)

→あとがき