小説 | ナノ






私の隣の席の男の子はとても几帳面だ。神経質と言ってもいいかもしれない。忘れ物なんてしたことがないし、特徴的な髪形は一部の乱れもない。二つ下の弟君はとてもやんちゃで真逆だが、こんなお兄ちゃんが居たら全部任せてしまうのかもしれない。

虹村君と私は小学生の時からのクラスメートだ。何故だか分からないけどクラス替えがあってもいつも同じ教室のどこかに彼はいた。それは小学校を卒業して、中学生になっても変わらなかった。

「あ、虹村君おはよう」
「おお」

虹村君はどちらかというと無愛想でとっつきにくそうな雰囲気だが、挨拶をすればぶっきらぼうだけれど返してくれる。中学生になって、小学校の友達が居ないクラスに運悪く当たってしまった私にとって、見慣れた彼は心の癒しだった。しかも隣の席になって本当にホッとしたのだ。思わず声をかけた時は本当に驚いていたようだが、今はこうして返事もしてくれる。

「…あれ、虹村君それ」

虹村君のワイシャツの袖のボタンが取れかけていた。几帳面な虹村君にしては珍しい。何時も皺ひとつなくピシッとしているのに。
私の目線に気付いた虹村君が顔を顰めた。

「…換え時だな」
「え?」
「あ?」
「…買い換えるの?」
「ああ。ボタンが取れちまうからな」

…いやいや、付け直せばいいだけの話だろう。

「お母さんに、」

そこまで言って彼に母親が居ないことを思い出す。詳しくは知らないが、父と弟と三人で暮らしているらしい。何かフォローを、と思ったが私の少ない語彙ではどうしようもできず、結局小さくごめん、と謝るだけだった。

「別にいい」
「でも…」

きっと嫌な思いをさせたはずだ、と泣きたくなる。彼は私にとって唯一話ができる相手なのに。小学校時代の友人は新しいクラスメイトと親交を深めて、今は疎遠になっている。年を重ねるごとに人見知りが激しくなった私は、彼女たちの様には振る舞えずいつの間にか孤立していた。同じようにどちらかといえば一人で過ごすのを好む彼の側は、心地が良かった。しかし、今の失言でそれもできなくなってしまうのだろうか。
きっと泣きそうな顔になっているであろう私に虹村君はため息を吐いた。

「ボタン」
「え?」
「ボタン付けてくれりゃあ、それでいい」

四限は体育だから、昼休みにでも付けてくれ、という虹村君に何度も頷く。そんな私を見て虹村君は馬鹿かお前、と小さく笑った。

それから私は虹村家の御裁縫を頼まれるようになった。ボタン付けや体操着のゼッケンを縫い付けたり。細かいことが得意な割に裁縫はからっきしだと言う虹村君に今までどうしていたのか不思議に思う。彼の体操服にもゼッケンは付いていた筈だが。
そんな疑問を口にすれば、近所のおばさんがやってくれたのだという。流石にボタン付けまでは頼めず取れては買い換えていたようだが。…勿体ない。
とにかく、そんな関係は中学校を卒業して、高校生になっても続いた。まさか高校も同じだとは思っていなかったが、近所でそれなりに勉強ができる子は大概ここだったからよく考えればそんなに珍しい事でもない。結局高校二年生まで十一年間クラスメイトであり続けた確立に比べれば屁でもなかった。

「もうすぐ三年生だねえ」
「ああ」
「また同じクラスかな」

これでそうだったら笑っちゃうよね、という私を虹村君が呼んだ。それでも私は顔を上げずボタン付けに励む。
…何時からだっただろう。初めはお昼休みや放課後に学校で付けていたのが虹村君の家になった。初めはお礼だと美味しいコーヒーを淹れてくれる虹村君に甘えてマイカップを持ち込んだ。次にお気に入りのクッション。その次は確か弟の億康君と遊ぶのにゲーム機を持ってきた。よく白熱してうるさいと叱られたものだ。
ただのクラスメイトとして六年。友人となって五年。いつの間にか彼の部屋には私の私物が置かれていて、こうして放課後を過ごすのが当たり前だった。…大好きな彼と過ごせるこの時間が、大切だった。
段々と視界が滲んで行って。それでも私は針を動かす。一度だけ私の名を呼んだ虹村君も、また黙った。

「痛っ」

ぷつりと針が指に刺さる。ぷくっと血の球が浮かんだ。思ったより深く刺してしまったらしい。

「大丈夫か」
「うん。…ああ、やっぱり痛いや」

痛い、と繰り返しながら私は泣いた。傷のせいにしてボロボロと。

気付いてたんだ。少しずつ部屋の中の物が減ってることに。億康君が、荷物がまとまらないってぼやいてたのも聞こえてたよ。
もう、殆ど余計なもののない部屋の隅には、段ボールにきちんと仕舞われた私のお気に入りのクッションやカップが見える。ああ、わざわざ間に布とか入れて本当、几帳面だなあ。

「虹村君」
「…なんだ」
「行っちゃうの?」

私の手に絆創膏を付けようとした手が止まる。やっと顔をあげられた私の歪んだ視界に、何とも言えない苦い顔をした虹村君が映った。

「もう、お裁縫やってあげられないね」
「ああ」

目を背ける虹村君に泣きながら笑ってしまう。本当は、もうボタン付けだってなんだって出来るの知ってるよ。

「元気で、ね!」

虹村君はお前もな、と言ってほほ笑んだ。
ねえ、私は今ちゃんと笑えているかな。



去っていく男
きっと、両想いだった

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