小説 | ナノ






「わざわざこんないい席取る必要あった?」
「仕方ないだろう、他の客に迷惑がかかる」
「え?」

隣に座る空条君が苦々しい顔をする。迷惑がかかる…?

「…あ、ああ。君大きいもんねえ!」

言葉の意味が分かった途端吹き出せば、凄い顔で睨まれてしまった。ごめんごめん、と軽く謝るが、未だに笑いは止まらない。
慣れてしまって忘れていたが、空条君はかなり身長が高い。そんな彼が一般の席に座っていたら確かに後ろに座るお客さんからしたらいい迷惑だろう。縮こまって観劇する空条君を想像して更にツボに入ってしまう。実際にそうなったら私は劇の間中笑いをこらえる羽目になっただろう。良かったボックス席で。

「そろそろ止めろ。始まるぞ」
「う、うん…」

顔面筋を総動員して笑いをせき止めつつ丸めていた背を伸ばす。これから始まる時間が待ち遠しいのか、劇場内はどこか熱のこもった空気が漂っていた。
慣れないな、と思いながら隣を見れば空条君は悠々とした雰囲気を纏っている。

「空条君はこういうところよく来るの?」
「まあ、嫌いではないな」

親や祖父母に付き合っていた、という言葉にこれがブルジョワジーというものか、と一人納得した。言葉に出すと怒られそうなので口にはしないが。
そうこうしている間に開幕の合図が鳴り響き、暗くなった場内とは対照にスポットライトが舞台を照らしだす。豪奢な衣装を身に纏った役者が所狭しと動き回るのを眺めながら、隣に声をかけた。

「…教授の息子さんどこにいるか分かる?」
「…多分あれじゃないか」

空条君が長い指で舞台を指差すが、何人もいる役者を見分けるのは私には不可能である。明日は適当に褒めちぎっておこう、と心を決めた。
そう決めた途端舞台への興味は失せて、舞台の光によってゆらゆらと不安定な影を作る空条君の高い鼻や長い睫をチラチラと覗き見つつ、どうしてこうなったのかぼんやりと思い返すことにする。



『君らオペラに興味はあるかね』
『は?…ええ、まあ嫌いではないですが』
『機会があれば見ます』
『そうかね!なら今度演るロミオとジュリエット、見たくはないかね?』
『はあ』
『実をいうとだね!私の息子が出演するのだよ!いやあ、親馬鹿かも知れんが……』



そこからの話は本当に親馬鹿丸出しの息子自慢だったので割愛しよう。ともかく、私と空条君の所属する研究室の教授は息子さんが誇らしくて仕方ないらしく、是非とも私たちに見てほしい、とのことだった。
因みに他の研究員達はもうこの洗礼に晒されていたのか、何とも言えない生暖かい目で見守っていてくれた。いつか仕返ししてやる。
とにかく、私たちは教授の熱のこもった説得に応じてこうして観劇する流れとなった訳だ。待ち合わせ時間に行けば、ボックス席を取り直したと言われたのには驚いたが。まあ、お蔭で私の腹筋と顔面筋が筋肉痛になる憂き目から逃れられたので感謝しよう。…後で半分出せ、とか言われたらちょっとお財布的に辛いが。

「…どうかしたのか」
「え?」
「さっきから舞台じゃなくこっちばかり見ているだろう」

覗き見ていたのがバレていた事に少し恥ずかしくなってしまう。曖昧に笑いつつ私は舞台に目を移した。何時の間に進んでいたのか、ロミオがジュリエットを訪れるシーンだった。

「あんまり好きじゃないんだよね、これ」
「そうなのか?」

こちらを見た空条君が目を瞬かせる。案外古風な考え方の彼としては、女性は皆こういったラブストーリーが好きだと思っていたのかもしれない。

「だってさ、皆悲劇だの大恋愛だの言うけど喜劇じゃないこれ」
「そうか?」
「そうだよ。お互いの身分考えれば引くべきだって分かるだろうに若気の至りで突っ走った挙句ロミオは勘違いで死んで、ジュリエットはそんな馬鹿な男を追って死ぬじゃない。そんなドタバタ劇を悲劇です!って言われてもねえ…」
「…まあ、要約すればそうなるな」
「要約してもしなくても変わんない気がするけどね」

熱烈な愛の告白シーンが舞台の上では行われている。家名も何もかも捨てて?新しく生まれ変わったも同然?馬鹿じゃないだろうか。
今まで築き上げてきたものが全て自分のものだとも思っているんだろうか彼らは。彼がロミオであるのも、彼女がジュリエットであるのも。言ってしまえばお互いが惚れ込んだ相手はその周りにある全てのものが築き上げてきたものだというのに。
例え全てを捨てたとして。だからといって幸せになるのは彼ら二人だけだ。周囲の全てを切り捨て、混乱や絶望の淵に叩き込んで。それでいいと思っているんだろうか。

「互いが我慢して、時が過ぎれば若い頃のいい思い出、でしかなかったろうに」

一時の感情で、彼らは心から愛した相手を死に至らしめるのだ。この愚かしさを笑わずにいられるのが不思議でしょうがない。

「抑えられないほどの想い、だったんだろう」
「理性は人間に備わった天賦のものだよ。感情だけで動いたら犬猫と変わらないと思うね」

彼らとて、もっと冷静になれば違う道も拓けただろう。諦めるなり、説得を試みるなり。駆け落ちだのなんだのは最終手段だろう普通。

「それとも、空条君は彼らに共感するところでもあるのかな?」
「…あるかも知れんな」

思わぬ言葉に空条君を見るが、彼の目は舞台に向けられていて感情を読み取ることは出来なかった。

「…ああ、学生結婚した奥さんとのこととか?」
「そうだと思うか?」
「違うの?」
「…さあな。で、そういう君はどうなんだ」
「大胆にはぐらかしたね…。そうだなあ、ないとは言い切れないってとこかな」

今度は空条君が私の方を見たようだったが、私は目を合わせなかった。きらきらと輝く舞台に目を細める。
共感しないわけではない。だが私はああはなれないだろう。感情を露わにして欲しいものを欲しいとは言えない。自分を含め誰かを傷つけるのは、怖いから。
目を閉じれば、瞼にちかちかと光が舞う。それに合わせるように空条君の横顔が浮かんでは、消えた。



理性という言い訳
この想いもいつかいい思い出に、なるのだ


→こちらの素敵企画に提出させて頂きました!

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