ふとした瞬間に、視線が合わなくなったのは何時からだっただろうか。
「空条」
じとりと湿った空気を私の声が震わせる。ああ、夏が、近い。
「空条」
振り向かない彼にもう一度声をかければようやく振り返った。あの頃と同じ涼やかな風貌には汗一つ滲んでいない。暑っ苦しいコートを着ているというのに。
だけれど、あの頃咥えられていた煙草は影も形もない。コートと帽子の色は正反対の純白で。あの共に過ごした日々からの時間を、嫌と言うほど思い知らされる。
「どうした」
揺るぐことのない通りのいい声に私は何を言おうとしたか忘れてしまう。ああ、馬鹿みたいだ。
「なんでも、ない」
「…そうか」
一瞬怪訝そうにした空条はまた前を向いて歩き出す。また、置いて行かれてしまう。
無意識のうちに伸ばした手が空条のコートを掴んだ。振り返った空条の瞳に無様に顔を歪めた私が映る。
「空、条…!」
「なんだ」
言いたいことが、伝えたいことが、多すぎて。結局音にはならずに私はただ口を開閉させるだけだ。
こっちを見てよ、置いて行かないでよ。…なんで、私じゃダメだったの。
胸に渦巻く言葉はどれもこれも汚くて、醜い。伝えるには遅すぎて、意味のない戯言。そう思うのに、見下ろす彼の瞳の中にあの頃と同じ温かな色が、あるから。
「空条…」
気付いてよ、と私は我儘な思いを乗せて彼を呼ぶ。
「名前」
久方ぶりに呼ばれた名前に顔を上げる。空条の顔には、どこか諦めにも似た色が浮かんでいた。
「もう、遅い」
何が、なんて聞かなくても理解している。あの日々から時は過ぎて。私たちはお互いに後戻りできない所まで歩を進めてしまった。そんなことは分かり切っていて。
あの時どちらかがほんの少し素直になれたら。勇気が出せたのなら。こんなことにはならなかった?
「嫌だよ」
零れた声は掠れて弱弱しくて。それでも、彼には伝わって。
「空条」
名前を呼んだ唇は、彼の大きな手によって塞がれる。その手からは昔の様な煙草の香りはしない。
「それ以上言うな」
嫌だよ、嫌だよ。だって、私は今だって。
「君のことが、好きなんだ」
空条が、顔を歪める。彼の瞳の中に居る私と同じように。
大きな手が、私の背中に回って抱きしめられた。いつの間にか頬を伝っていた涙が彼のコートに浸み込んでいく。
「馬鹿野郎…」
ねえ、それはどっちに向けての言葉なの。
合わない視線は互いの気持ちに気付かないようにだった
[ 1/1 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]