小説 | ナノ







墜ちてもいいと思ったのは気の迷いだと言い聞かせる疲れて重たくなった体を引き摺るようにして家路に着く。
バチバチと地面を叩く大粒の雨がみるみる内に全身を濡らしていった。
時たま暗い空を切り裂くように稲妻が走る。一拍置いて身体を揺らすような音が鼓膜に響く。
それに急かされる様に歩調を早くした。

漸くたどり着いた我が家は想像と違い暗闇に包まれていた。
部屋に居る筈の彼女はどうしたのだろう。出先というのはこの時間では考えられない。日付が変わる時分まで出かけるのならば連絡の一つでも入っている筈だ。
首を傾げつつぽたぽたと滴を垂らしながら家の中を捜す。後で怒られるかもしれない。
寝室から引き返そうとした時、ざあざあと音が聞こえた。始めは外の雨音が聞こえているのかと考えた。しかし、その音はどうも家の中から聞こえてくる。
ざあざあ、ざあざあ。その音に導かれる様にして浴室へとたどり着いた。
がちゃり。靄が這い出て、幾分か開けた視界に彼女の後ろ姿が見えた。服を着たまま隅っこに座り込んでいる彼女は自分と同じくずぶ濡れだ。しかし、彼女が被っているのは温水でよかったとホッとする。
耳を塞いで縮こまっている彼女はおれにも気付いていないのか顔を上げずに震えていた。
近づこうとした刹那、一段と大きい雷鳴と共に稲光で浴室内が照らされる。音は堰き止められても光は遮断しきれなかったのか、肩を跳ねさせた彼女が反射的に顔を上げた。
その瞳には今にも零れそうな程涙が溜まっている。そしてそれは彼女がおれを確認したと同時にぽろり、と頬を伝ったのだった。

「プロ、シュート…」

か細い声で彼女はおれを呼ぶ。それに誘われる様に近づいた。
濡れていたスーツが更に水を吸う。ずしりと重たいそれが彼女を探している間忘れていた疲れを思い出させた。むしろ無事に見つかった安堵感も相まって増長されているかもしれない。
何も言わずに床に膝をついて小さな体に抱きつく。震えていた肩が少しずつ平静さを取り戻して行った。

「どこ行ったのかと思ったぜ…」
「ご、ごめんね」

申し訳なさそうな声で謝りながら彼女もおずおずとおれの背に手を回す。額にキスの一つでも落とそうとした時、また雷が落ちた。小さな悲鳴と共にギュッとスーツが掴まれる。

「雷が怖いのか」
「…うん」

恐怖からか羞恥心からか。小さな声で返事をした。

「ここなら、シャワー出してたら音は聞こえないかな、って」

おれを窺うように区切りつつ離す腕の中の愛すべき存在に何と言うか悩んだ。せめて服くらい脱げよ、だろうか。…いいや。

「そういう時は連絡しろ」
「え?」
「直ぐに駆けつけてやるから」
「で、もお仕事は?」
「なことお前は気にしなくていい」

でも…と言い募る彼女の血の気の引いた唇を無理矢理奪う。こんなお湯の中に何分もいたのに冷えているそれに、雷が自然現象だと分かっていても腹立たしくなる。

「それともなんだ?おれじゃ力不足か」
「…そんなことない」

ふるふると首を振る彼女と見つめあって数秒。また光った空に肩をびくつかせた。雷鳴が響く前に深い深いキスをする。苦しくなったのか胸を叩かれた。口を離せば先程とは違う理由で涙を湛えた目に欲望が駆られる。

「なあ」

雷なんて気にならないくらい熱中させてやるよ。暖かい雨の降る暗い浴室の中、重たいスーツを脱ぎ捨てた。


やきもち焼きな男
お前の視界に映るのはオレだけでいい

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