小説 | ナノ






彼を一言で表すなら、エスプレッソの様な人。それも特別濃くて、どれだけ砂糖を入れて甘くしても、苦さが消える事はない。そんな人。
もう半分ほど無くなったカップの中を眺めながら、そんな事を考えていた。

これを飲み干したら諦めて帰ろう。そう心に決めて口をつけようとした瞬間、後ろから目隠しをされた。
いきなりの事に体が硬直するが、嗅ぎ慣れた香水の香りに力が抜ける。

「待たせたなシニョリーナ」
「それは良いけど…。この手は何のつもりかしら?プロシュート」

手を外せば、指を絡ませながら苦い笑いを浮かべたプロシュートは、本当に、綺麗だ。

「驚かせたかったんだが…失敗したな」
「大丈夫。ちゃんと驚かされたわ。…それにしてもすれ違わなくて良かった、これを飲んだら帰ろうと思ってたから」

残り少ないカップを持ち上げて見せれば、バツの悪そうな顔をする。当然だろう。もう待ち合わせの時間からは1時間以上過ぎている。
でも慣れたものだ。一体何の仕事をしているか知らないが、連絡の一つもなくデートがキャンセルされる事は良くあることなのだから。

「待たせちまってすまねえな」
「いいのよ。…お仕事だったんでしょう?」

慣れてるわ、なんて皮肉っぽい言葉を告げる気はない。そんな言葉を口にした途端、きっとこの人は私の元から去っていくだろうから。
…こんな私をプロシュートはどう思っているのかしら?文句ひとつ言わない良い女、だったらいいんだけれど。でも実際には良い女の前に都合の、と付くんだろう。

「…お前には本当にすまないと思ってる。この前も連絡もせずにほっぽいたんだからな」
「それも仕事のせいでしょう?仕方がないじゃない」

にこり、と音が付きそうな笑顔を向ける。きっとプロシュートには本心に見えるだろう。
本当は問いただしてやりたい。なんで会えないの、なんで連絡の一つも出来ないの?なんで。なんで。なんで。
そんな言葉をエスプレッソと共に無理やり飲み込んだ。

「そう言ってくれるとありがたい。…あー、で、だな」

この歯切れの悪い話し方をする時は、急な仕事が入った時のプロシュートの癖だ。
又一つ、なんで、という言葉が浮かんだのを力任せに沈める。

「これから仕事なのね?」
「…ああ。もう行かなきゃならねぇ」
「そう…忙しいのに来てくれてありがとう。お仕事頑張ってね、プロシュート」
「ありがとよ。お前が俺の女であることを誇りに思うよ…Caro mio ben」

私の頬に触れるだけのキスをするプロシュートの髪を一撫でして。また連絡すると言って立ち去る後ろ姿を眺めながら、一口残ったそれを飲み干す。
砂糖の甘さに紛れても尚存在を主張する苦さはやはり彼の様だと、滲む視界の中ぼんやりと考えた。


甘くて苦い男
本当は、行かないでと縋りたかった

※Caro mio ben=私の愛しい人


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