小説 | ナノ






※虐待表現等あり




目が慣れるまで、自分の手の輪郭すら曖昧な暗闇の中。何をするでもなく座りこんだ少女が一人。少女が手に持っている時計が規則正しく立てる音以外、他に聞こえるものもない。


「あ…」


小さな声を上げると少女は何か期待したように顔を上げた。その直後扉が開き、眩い光が差し込む。暗闇に慣れた少女は眩しそうに目を細めながらも嬉しそうに笑っていた。


「リゾット!」


扉から入ってきた男の名を呼び嬉しそうに駆け寄る。リゾットと呼ばれた男は少女を軽々と抱き上げた。


「良い子にしていたか」


その問いかけに少女は何度も頷く。リゾットが来たのがそれほどまでに嬉しいのか、日に当たらぬ者独特の不健康な白さをした肌に赤みが差す。
リゾットはその様子に愛おしそうに微笑みかけながら、心がジクリと膿む様な感覚に苛まれる。



少女…名前はリゾットに依頼されたターゲットの娘だった。両親を殺害し、何も知らずに眠る名前に手を掛けようとした時、寝巻から覗く痛々しい傷跡が彼の目に入った。リゾットの背筋に嫌な予感が走る。起こさぬように寝巻をめくれば、そこには幼い柔肌には似合わぬ醜い傷跡が所構わず刻まれていた。
リゾットは思わず歯を食いしばった。彼も子供であろうと手を下すことは何度もあった。しかし、名前の背に走るソレらは、ただ悪戯に悪意のみでつけられたものだ。
思い返せば、ターゲットであるあの男達はこの娘に対して何も言っていなかった。ただただ自分たちの命を助けてくれと懇願していた様子がリゾットの脳裏に蘇る。

吐き気がする様な嫌な気分に叩き落とされてしまった。この少女には悪いが、さっさと終わらせて、一杯飲んで全て忘れてしまおう。そう思いながらリゾットがメタリカを発動しようとした瞬間。少女が身動ぎし、目を覚ました。

リゾットは思わずしまったと、舌打ちをした。余計な感傷に浸らずに殺しておくべきだったのだ。だが、まだ間に合う。辛い思いをしてきた上恐怖を与えるのは心苦しいが、騒がれる前に殺すべきだ。そう考え、彼がメタリカに指示を出そうとその時。床に転がる血に塗れた両親を見つけた彼女が口を開いた。


「…グラッチェ」


たどたどしい発音で少女は確かに、彼に礼を述べた。思わぬ言葉にリゾットの思考が止まった。何も出来ずに見詰めるリゾットを見上げた少女の頬には止めどなく涙が零れていた。しかし、その口元は確かに笑みを湛えていて。
それを見た瞬間、リゾットの口は自分ですら驚くような言葉を告げた。


「生きたいか」


その言葉を聞いた少女は涙を止め、目を見開いた。彼自身も何故こんなことを聞いたのかは分からなかった。ただ、自然と口が動いていたのだ。



「生きたいか」


二度目の質問に視線を彷徨わせていた少女が漸く喋りだす。


「…分かりません」


首を振りながら小さな声で呟く少女にリゾットは手を伸ばした。その行動に少女の体に力が入る。彼女にとって大人の手は自分を傷つけるだけのものだった。


「俺はお前を苦しまずに殺してやることが出来る。…死にたいか」


少女がが聞き取りやすいようにゆっくりと言葉を紡げば、また小さく首を振る。


「分かりません」


その言葉を聞いて、リゾットは少女の体を抱き上げた。抱き上げられた経験があまりないのだろう。少女はどうしたらいいのか分からずに手を彷徨わせていた。


「…お前が死にたくなったら俺が殺してやる。だから、それまでは生きろ」


その言葉は、組織に対する裏切りに等しかった。何の脅威もないとは言え、この少女もターゲットの一人には違いないのだ。しかし、リゾットにとってそんなことはどうでもよかった。ただ、少女の口から生きる、という言葉が聞きたかった。
それは、少女の瞳が何故か彼の死んだ従妹に似ていたからかもしれない。人種も年頃も全く異なっていて、どこも似てなどいない筈なのに。リゾットを真っ直ぐに映すその瞳が、彼の脳内で彼女と重なっていた。


「…はい」


漸く理解したのか、少女はコクリと頷いた。それを見て落とさないように抱え直すと、リゾットは立ち去ろうと踵を返す。一歩踏み出そうと足を動かしてふと気付く。


「名前を言っていなかったな。俺はリゾットだ。…お前は?」


本当は書類を見て名前は知っていた。しかし、心を開かせるためにもそれは黙っておくべきだろう、と彼は判断した。


「名前。名前です」




あの日から一年が経った。始めはどうしたらいいのか分からず、リゾットに近寄ることも怖がった名前も今ではリゾットに懐き、甘えている。しかし、リゾットは今もあの時の判断が正しかったのか分からなかった。
家に残された夥しい血の量から名前も死んだものとされ、彼女には戸籍もない。彼が匿っていることが組織に露見しないよう、夜遅く彼が帰るまで電気も付けずに一人暗闇に蹲っていることも多い。
特に今日の様に遅くなった時リゾットの頭には、あの時どこかの孤児院にでも置いてくれば良かったのではないか、いや、今からでも遅くはないのではないかという考えが過ぎる。


「リゾット!」


耳元で甲高い声で彼の名前が呼ばれる。


「もう、何ボーっとしてるの?」


抱き上げられたままの名前が不満そうに頬を膨らませていた。リゾットに話しかけていたものの、彼の反応の薄さに苛立ちが募っていたのだ。


「…すまない」

「別にいいけど!…疲れてるの?」


心配そうに触れられた小さな手がリゾットには酷く儚く感じられた。彼が少し腕に力を込めれば、なにが楽しいのか名前は声を上げて笑う。


「本当にどうしたの?今日のリゾット何か変だよ?」

「…いや、なんでもない」

「本当?」

「…なあ、名前」

「なあに?」

「お前は、生きたいか?」


一年前と同じ質問に名前はあの時と同じように目を見開いてから、ニコリと微笑んだ。


「ずーっとリゾットと一緒に居たいわ!」


それは、彼の質問に対して筋の通った答えではなかったけれど。彼が救われるには充分だった。



奇妙に歪んだ僕らの幸せ
いつか、あの日の事を後悔しても、この小さな手だけは離さない。

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