海の星と書いてヒトデ。この言葉を知った時上手いことをいうものだと思った。だけれどこの人と会ってからそんな思いは吹き飛んだ。
「これもヒトデ、なんですよね?」
肩越しに見えるページには、私が今までヒトデと認識していた形とは全く異なるグロテスクな形のものが記載されていた。
「ああ、これはオニヒトデと言う」
「へえ、トゲトゲですね」
「そうだな」
承太郎さんは後ろから声をかけても驚く様子はなかった。むしろ冷静に名前まで教えてもらえるとは。
カフェ・ドゥ・マゴに寄ってみようかと足を延ばせばここ最近知った彼を見つけた。幼馴染の年上の甥と言う不思議な立場の彼は酷く魅力的だった。冷静沈着で的確に行動出来る大人の男と言うのに私のような小娘は弱いのだ。(しかもこの人は素晴らしく格好良いというおまけつきだ!)
「ヒトデ好きなんですか?」
「ここらの海辺で面白いヒトデを見つけてな。論文でも書こうかと思っている」
「論文、ですか」
「ああ」
…会話が終わってしまった。これ以上話しかけても邪魔になるだけだろうと思い空いている席を探す。
少し離れた位置だが空いた席を見つけたので移動しようとすると声をかけられた。
「座らないのか」
後ろに立たれているのはやはり気が散るのだろう。当然のことだが何だか悲しくなりながら、あそこが空いているので…と一歩踏み出す。が、手を引かれてしまった。
「ここに座ればいいだろう」
「お、お邪魔じゃないですか?」
「いや、大丈夫だ」
「えっと、じゃあ失礼します」
おずおずと向かい合う様に座る。承太郎さんは開いていた図鑑を閉じるとコーヒーを啜った。…ど、どうすればいいんだろうか。
店員さんに注文を取ってもらってからでさえ、会話が思いつかない以前に目の前のこの人に真正面から目を向けることすら恐れ多く感じてしまう。きょろきょろと眼を泳がせていると、先ほど閉じられた図鑑が目に入った。表紙には見慣れた星型のヒトデ。
「…私ヒトデって皆星型だと思ってました」
「ん、ああ…。一般的にはそういうイメージだろうな」
「でもさっきのオニ、ヒトデですっけ?あんな形のヒトデも居るんですね」
「そうだな。もっと色々な形もあるぞ」
「他の形のヒトデがポピュラーだったら海の星でヒトデ、なんて読まなかったかもしれませんね」
「ああ」
また会話が途切れてしまう。自分の発想の貧困さが恨めしい。
持って来てもらったコーヒーに手を伸ばすこともできす、承太郎さんを見ることもできず。ジッと表紙のヒトデを見つめてしまう。綺麗な星型だこと。
「…あ」
「どうした」
「いえ、仗助の首筋にもあんな形の痣が有ったなと…」
「それなら俺にもあるぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。何故か一族全員に生まれつきあるようだな」
「そんなことってあるんですねー」
ぼんやりと幼馴染の痣を思い浮かべる。小さい頃は何故だかその痣を羨ましがってマジックで自分の肩にも書いてみたり色々したなあ。
「…そういえば、昔仗助の痣にお願い事をしたことが有るんです」
「ほう」
「星に願い事をすると叶うってお母さんに教えてもらって。じゃあ遠くの星にお願いするより、身近な所にある星の方が叶えてくれるんじゃないかなーって」
その言葉に珍しく承太郎さんが笑うものだからドキドキしてしまう。
「わ、笑わないで下さいよ!」
「すまない。…それで君は何を願ったんだ?」
「…好きな人のお嫁さんになれるように、だったと思います」
そう言えば今度こそ押し殺したような笑い声をあげる。…そんなに変な願いだろうか。確かにこの歳でなら笑えるだろうが、当時はまだ幼かったのだ。あの年頃の女の子なら、皆…。
「女ってのは皆同じようなことを願うんだな」
「え?」
「いや、この前娘に会った時娘も俺の痣を見てうんうん唸るもんだから、何してるか聞いたら君と同じようなことを言ってな」
そう言って微笑む承太郎さんを見て、胸に冷たい何かが詰まる。その表情はとても優しく、愛おしいものに向けられたもので。そして、それは私には決してむけられないもので。
ああ、何故私はこんな話題を振ってしまったのだろうか。
「…じゃあ今度会ったらちゃんと本物のお星様にお願いさせてあげて下さいね」
私の言葉に、向かい合って初めてしっかりと視線がぶつかる。
「とりあえず仗助の星では私のお願いは叶えられないみたいですから」
「まだまだ叶わないか分からないだろう」
「いえ、きっと叶いませんよ」
「何故そう言い切れる?」
「私の好きな人の隣にはもう入る隙間が無いみたいなんです」
「…これからもっと好きになれる人が出来るさ」
「…そう、ですね」
冷えてしまったコーヒーにやっと手を伸ばした。
そっと心で呟くあなた以上の人なんてきっと現れません。
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