静かな佇まいの平屋の前に立ち一度深呼吸をする。門に設置されたボタンを押せば来客を告げるベルの音がした。
『はい』
「どうも」
『…カギは開いてる。入りなさい』
相も変わらず素っ気ない口調だが、許可は得たし玄関へと向かう。
扉を開けば、従兄殿が立っていた。
「お久しぶりです兄さん」
「ああ…今日はどうしたんだ」
「偶然近くまで寄ったもので」
「そうか」
それだけ言うとさっさとダイニングへと戻ってしまう。靴を脱いで私もそれに続いた。
…あまり機嫌がよろしくないようだ。"彼女"との逢瀬の邪魔でもしてしまったのだろうか。
一歩足を踏み入れるとふわりと紅茶の香りがした。兄さんの方を見れば"彼女"が紅茶を淹れているのを見守っていた。
視線を逸らして椅子に座る。周りを見れば昔と変わらず几帳面な性格の様で、整理整頓が行き届いていた。
「ほら、紅茶だ」
差し出されたカップを一礼して受け取る。一口含めば口内にいい香りが広がった。
「…いい恋人を捕まえましたね」
ぽつりと呟けば、ちらりとこちらに視線を寄こす。彼女が淹れてくれた紅茶美味しいですよ、と続ければ分かりやすく機嫌が直る。
「彼女が淹れたのだから当たり前だろう」
優しい手つきで"彼女"を撫でながら微笑む。…身内の惚気る姿と言うのはあまり目にいいものではないな、と思った。
「少々シャイでね。名前の言葉に照れてしまっているようだ」
「おや、女性はそれくらい奥床しい方が素敵じゃあないですか」
「もちろん。名前も見習いなさい」
「はあ。今更変われるとも思いませんが貴重なご意見として伺っておきます」
適当に返せば全く、と嘆息されるが全力でスルーする。この人に"女性としてあるべき姿"を語らせると長ったらしいのだ。
「それで…最近どうなんだ」
「どう、とは」
「学生のお前に訊ねるとしたら学業のことくらいだろう」
「それならまあ、昔の兄さんと同じようなものですよ」
上位に居ることは居るが目立つほどでもなく。まあ狙ってその位置だったのか、狙わずしてその位置なのかの差はあるのだけれど。
「そうか、それならいい」
「目立つことはよろしくない…ですもんね」
「ああ、人は静かで平穏なことが一番幸せなんだ」
今の様にね。と、うっとりとした表情で"彼女"を見詰める兄さんはまあ、幸せなのだろう。
「どれだけ平穏なものだとしても、誰かの幸せの基には誰かの不幸がある…という縮図でしょうかねえ」
「…なんのことだ」
「いいえ。独り言ですよ」
鋭い視線から逃れるようにゆるゆると頭を振ればまたため息をつかれる。
「例え私やお前の幸せの為に誰かが不幸になろうとも、それでも幸せを求めるのが人間だろう」
「そう、ですね」
嗚呼、この人は自分の静かで平穏な幸せとやらが、誰かにとって最悪の不幸だということを分かっているのだろうか。
…分かっているんだろうなあ。
「名前も幸せになる努力を惜しんではいけないよ」
「…まあ、頑張りますよ」
私の幸せは、この人に"彼女"のように愛おしく思ってもらうことだと言ったらどうするのだろうか。
まあ、絶対に届くことのない"幸せ"なのだろうけど。
手首から先だけの"彼女"に頬ずりをする兄さんを眺めながら今度は私が大きく息を吐いた。
交わらぬ幸福論いっそこの手を切り落としたら二人とも幸せなんじゃないだろうか。
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