2013ホワイトデー | ナノ
それから、少しの間お互い何を喋るでもなく無言の時間が続く。それを苦に思わないのはプロシュートの雰囲気が穏やかなものだからだろうか。


「…なあ」

「なあに」

「約束、覚えてるか?」


その言葉に顔を向ければ、真っ直ぐにこちらを見るプロシュートの瞳があった。
約束。彼と、私の約束?
初めて会ったあの日から、私たちはこっそりと店の裏手で何度か話をしたことがあった。店に来てから初めて見た同年代の存在に私は癒し、とも言える思いを覚えて。確か私から暇なときに来てくれとせがんだのだった。それもほんの僅かな期間だったと思うが。その間に私たちは何か約束を交わしただろうか。


「…その顔は覚えてねえな」

「…ええ、ごめんなさい」


ため息をつくプロシュートに目を泳がせる。今なら客や関係者との約束を忘れるなんてありえないが、あの頃はまだそんなプロ意識なんて持っていなかった、というのは言い訳になるだろうか。


「上、空いてるか」

「…空いてると思うけど」

「なら行くぞ」


ジャケットを手にさっさと二階へ続く扉に向かうプロシュートに続く。
部屋に入りジャケットを皺にならないようかけてやる。二階は個室になっていて、客と女が二人で過ごせるようにと用意されているものだ。まあ所謂男女の営み、とやらに使われる部屋で今までプロシュートと入ったことは無かった。
部屋の真ん中に置かれたベッドに腰掛けたプロシュートがこちらをジッと見つめてくる。それに居心地の悪いものを感じながら口を開いた。


「何か飲む?」

「いや、それよりこっちに来い」


隣を叩かれる。そこに腰を掛ければマットが沈んで自然プロシュートの方へと体が傾いた。今までにないほど近い距離に少し顔が熱くなる。初心な生娘でもあるまいにと自分に笑ってしまう。


「さっきの話だがな。…本当に覚えてないのか」

「ええ」


誤魔化すこともできないし素直に頷けば、プロシュートは苦虫を噛み潰したような顔になった。


「迎えに来るって、言っただろ」

「…え?」

「…本気で覚えてなかったのかよ」


脱力した様にため息をつくプロシュートを余所に、私は混乱の渦に叩き込まれていた。
あの日、プロシュートがもう来れないといったあの日。それを聞いた私は馬鹿みたいに取り乱して、泣き喚いた。馬鹿みたいだが、あの時は本当に絶望したのだ。プロシュートは私にとって唯一外と繋がっているようで、彼が居なくなったらもう戻れないのだと確信してしまう気がして。怖い世界に一人取り残されてしまうと、そう思っていた。
そんな私にプロシュートは困ったような顔をして言ったのだ。迎えに来る、と。私はその言葉に何度も頷いて待っていると繰り返した。いつか、迎えに来てと。

今思えば無茶な話である。こういった店から抜けるのは大変な労力がいるし、金もかかった。そんなことが出来るのは幹部でも一握りだし体裁とやらもある。そして、そんな現実はあれから少しして嫌と言うほど理解した。
しかし、それでもその約束は私にとって希望ともいえるものだったし、この生活が苦にならなくなってからは大切な思い出になった。まだ純粋で愚かで、でも真剣に信じた幼い約束。忘れる筈もなかった。しかし…。


「プロシュートも覚えてたのね」

「ああ?」

「忘れてると思ったわ」


あんな、短い間の付き合いで、泣く私へ仕方なく言った慰めの言葉だと思ってたのに。


「…馬鹿だなお前」

「いきなり酷いわね」

「忘れるわけねーだろ。…真剣だったんだ」


顔を背けたプロシュートの耳は赤く染まっていた。それを見た私の顔にも熱が戻ってくる。何とも言えない空気が部屋に広がった。

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