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私は、自分を好きか嫌いかで聞かれたら、何と答えるだろうか。

「ねえフーゴ」
「なんですか」

少し離れた所で書類を捲っていたフーゴがこちらを振り向く。最近忙しかったからか顔色がよくない。今の仕事が一段落したら纏まった休みをあげよう。
声をかけたのに何も言わない私にフーゴが怪訝な顔をした。

「お疲れですか?」
「どっちかって言うと君の方が疲れてそうだねえ」
「そんなことはありませんよ」

苦笑しながらまた書類に目を戻すフーゴを何とはなしに眺める。初めてあった頃よりも身長が伸びた。顔だちも少年らしさが薄れて、もう大人に近いのだと思い至る。

「幾つになったんだっけ」
「18です」
「初めて会った時から三年かあ…。時が流れるのは早いねえ」
「何言ってるんですか。そんな年じゃないでしょう」
「でも私はもう四捨五入したら30になっちゃうもん」
「見えないから大丈夫ですよ」
「そうかねえ」

まあ、日本人の血が濃いからこちらの人からすれば幼く見えるのだろう。どちらかと言えば日本人の中でも童顔の方らしいし。

「フーゴは大人びてるよねえ」
「そうですか?」
「うん。まあ、それは昔からか」

本来ならばまだ学生で、自由を謳歌している年にこちらの世界に入って、それなりに修羅場もくぐってきたのだから当たり前なのかもしれないが。それでもナランチャやミスタは年相応の無邪気さがあった気がする。…頭がいいと言うのも考え物なのかもしれない。
物を知りすぎると、見えなくていいものまで見えてしまう。賢いフーゴは、賢かったが故に、周りとの齟齬に悩み道を踏み外した。あの時もその優秀さの為に、重たい罪の意識を背負った。そしてそれは今も、変わらないのだろう。

「ねえフーゴ、君は自分の事好きかい?」

先程聞かなかった質問をぶつける。穏やかに微笑んでいたフーゴの表情が、一瞬固まった。

「…何故そんなことを聞くんですか?」
「ただの好奇心だよ。答えたくなければ答えなくても構わない」

目を伏せたフーゴが、唇を噛むのが見える。…ああ、酷い事を聞いてしまったな。悪いことをしたという気持ちと、満足感の様な矛盾した気持ちが湧き上がってくる。

「マリカさんは、どうなんですか」

震える唇から、細やかな反抗の意を込めた言葉が紡がれた。書類を握りしめるフーゴの指先が、白い。

「そうだな…好きでも嫌いでもないよ」

好きとは言えない。私は自分の勝手で色々な人の運命を捻じ曲げてきた。時には人の命に手をかけたことだってある。私が居なければ死ななかった人だって、多分いるのだ。なのに手放しで好きと言ってしまうのは如何なものか。
しかし、今までやってきたことに後悔があるかと言われればNOと答える。私は私なりに頑張って、その時に最善だと思えることを選んできた。例えそれが、誰かにとって最悪の選択だとしても。嫌いと言ってしまえば、それはあまりに悲しかろう。ただ。

「ただ、人から手放しに好きだと言われると、何とも言えない気分になるね」

フーゴが目を丸くする。それにゆるりと笑い返した。

「勿論嬉しさもあるけれど…それだけではないかなあ」

私がしてきたことを、頑張ったねと褒めてくれる人もいる。複雑ながら受け止めてくれた人もいる。でも。そんな簡単に受け止められて、褒められて、愛されていいのだろうかと、どこかで誰かが囁く。
結局私のしてきたことは全て私のエゴで。誰かの為ではなく、私の為で。それはきっと突き詰めれば生きている人間すべてそうなのだろうけれど。私の行動は余りにも、自分勝手すぎたのではないだろうか。
誰もが先の見えない中で努力する。もがき、苦しみながらそれでも幸せになろうとする。しかし、私は全て知っていて本来の筋書きを捻じ曲げた。神でもないのに。それを、こんなに簡単に受け入れられていいのかと、不安になる。

「だって、私は結構酷い事をしてきたからね」

家族も、親友も選べなくて。どちらにも自分の我儘を押し付け通した。死ぬはずの人を生かして、生きるべき人が死んだ。例え誰が知らずとも私はそれを知っているから。

「それをこんな簡単に受け入れられていいのかなあ、って思うよ」
「それは、」

僕も同じですよと、悲しげに彼が笑った。

「僕はブチャラティ達を裏切った。でも、彼らはそんな僕を受け入れてくれた」

あの時、僕は彼らを見捨てたのに。震える声でフーゴが呟く。それはまるで、何かの懺悔の様だ。

「本当は、殺されていたっておかしくないんですよ。なのに彼らは僕に笑いかけるんです」
「うん」
「それが嬉しくて、心苦しい」

俯くフーゴに、じわじわと愛おしさが湧いてくる。それは、儚く揺れる彼の姿に母性が湧いたからか。それとも、歪な親近感か。

「フーゴ」
「はい」

目を向けた彼の瞳が、美しい。その瞳に微笑む私が映りこんでいる。
近づいて、彼の頬に触れる。血の気が引いて、冷たくなった肌に少しばかり罪悪感の様なものが疼いた。

「嫌われたい訳じゃないけどさ、いっそ罵ってほしいね」

罵って、憎んで。それでも受け止めて貰えたら。

「そうしたら、こんな不安じゃないのにねえ」

いつか、気づくんじゃないかと。私が、私たちがしたことの罪の重さに。そうしたら、彼らは私たちを憎むかもしれない。…そんな、疑心暗鬼しなくてすむのに。
フーゴの瞳からはらりと、一粒涙が落ちる。それを拭いながら、醜い満足感が心を満たす。
私だけじゃない。自分を愛せなくて、嫌われるんじゃないかと怯えて。自分が好きになれないのも、彼らを心から信じられないのも。

「君だけじゃない」

私だけじゃ、ない。

「マリカさん…」

縋り付いて私の名前を呼びながら泣きじゃくるフーゴの頭を撫でてやる。

「ねえフーゴ」

やっと顔を上げたフーゴの頬に口付ける。驚いたせいか、涙が止まったフーゴに笑いかけて。

「私は君が大好きだよ」

だって、こんなにも似ているから。

「だから君も私を好きでいてよ」

君が私を好きでいたら、自分も自分を好きで入れるような気がするから。

「は、い」

頷いたフーゴの頬にもう一度口付ける。
仄暗い喜びが、胸を満たした。




頬へのキスは親愛
私に似た君が、酷く愛しい


ねえ、これが呪いだって君は分かっているのかな