神隠しの少女 | ナノ






「ただいまー」

ドアを開けると暗い廊下が口を開ける。それに小さくため息を吐きながら手探りで灯りを点けた。しゃがみ込んでブーツの紐をほどきながら思わず舌打ちが零れる。デザインが気に入って思わず買ってしまったが、重たいし何より脱ぐにも履くにも時間がかかる。漸く脱げるところにまでなったので力任せに引き抜いてため息をもう一つ。明日こそは違う靴を履いて出ようと心に決めて室内履きに足を通した。
ガサガサと音を立てる買い物袋がずしりと重い。…ああ、疲れているのだなと他人事のように感じる。
こちらに来てもう半年以上が経った。いつの間にか外は肌寒くなって、イタリアでの生活も大分勘を取り戻している、と思う。とはいえ、やはり日本で培った生活習慣と言うのもなかなか抜けない。例えば家に戻れば外で履いていた靴をそのまま使うのは気が引けたし、といって新築でもないアパートで素足で居るのも気持ちが悪い。そうなればやっぱりこうして手間だと思いながら一々靴を履きかえることになる。店なんかにしても日本に比べてなんと自由な事か。少し遅くなれば食材を買うのすら一苦労だ。
そんな小さな不満がそろそろ表に出てくる頃なんだろう。これを超えればなんとはなしに日々の不満や違和感に慣れていく。そんな希望的観測を頼りに気合を入れ直し、傾いでいた体を立て直した。
リビングに通じる扉を開けて、かちりと軽い音と共に電気を付ける。白く浮き上がった部屋の中をぐるりと見回して、フッと笑いが零れた。
 
「ただいま」

声を掛けられた二人は特に大きな反応を示すでもなく、大きな目でこちらを見上げてくるだけだ。部屋の隅っこで体を寄せ合って縮こまる姿は警戒心の強い子猫にも似ていた。

「何か変わったことは有った?」

ふるふると小さく首を振るのを確認して、袋の中からまだ温かいパニーニを取り出して差し出す。
一瞬戸惑ったように顔を見合わせてから色の白い少年が素早く手から掻っ攫った。その態度に苦笑しつつ牛乳を注いで床に置いておくと、それも慌てた様に手に取った。
誰も取ったりしないのにと思うが、彼らにとってみれば当たり前の行動なのだろう。出来れば椅子に座って食べてほしいが…それもまだ望むまい。
頬を一杯に膨らませて咀嚼する姿がハムスターに似ていて思わず吹き出せば訝しげな顔をされた。気にしなくていいと言う風に手を振ればまた食事に戻る。

「これも食べていいよ」

残っていたもう一つを差し出すと、先程よりは少しゆっくり(それでも十分手早く)取ると半分にしてもう片方の色黒の子に手渡した。早速齧り付く色白の子とは対象に彼は少し困ったような顔をしてこちらを見上げてくる。それに首を傾げて返すと少年は小さく口を開いた。

「…あなたの、分じゃないの?」
「ん?ああ、そんなにお腹減ってないから気にしなくていいよ。お腹いっぱい食べなさい」

にこりと笑いかけながらドキッと跳ねた心臓をなんとか抑えようとこっそり深呼吸を一つ。…彼らを連れてきて三日、初めてこちらに声をかけてくれた。
少年同士で話してる声を漏れ聞いているだけだっただけに少し驚いてしまった。
私たちの会話を聞いて色白の少年も食べるのを止めてこちらを見ている。と思ったらまた二人で顔を突き合わせてこそこそと話し出した。もぞもぞと動いているのを何とはなしに眺めていると、色白の子が何か叱られ始める。
喧嘩にならないといいな、と思いながら見ていると二人して駆け寄ってきた。これまた初めての事に少し身構えてしまう。

「…これ」
「半分こ、な!」

ズイッと差し出された小さな手にはさらに半分に割られたパニーニが乗っている。色白の子の方が少し小さいのは齧ったところをなんとか千切ったからだろうか。
小さい子供なりの優しさに頬が緩むのが分かる。…疲れが少し癒えた気がするのは勘違いではないだろう。

「…ありがとう」

受け取れば手持無沙汰になったのか顔を見合わせる二人に、椅子を叩く。

「良かったら一緒に座って食べない?」

先程まだ無理だろうと考えていたし無視されてもいいや、という心構えでそう聞くと二人はおずおずと椅子に座った。…なんだか帰ってきてから驚かされっぱなしな気もする。
怖がらせない様に笑みを作りながらゆっくりとした口調を心がける。

「よかったら二人の名前聞かせてくれる?」
「…スクアーロ」
「ティッツァーノ、です」

小さく呟くように告げられたそれに、息を漏らす。…そうではないかと思っていたが、やはりそうだったのか。
固まった私を不安そうに見上げる二人に良い名前だね、と笑えば気恥ずかしげに笑い返してくる。漸く縮まった距離にホッとする反面、内心で頭を抱える羽目になってしまった。

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