「…茉莉香?」
暗闇の中瞼を開ける。闇をものともしない私の目は隣に居たはずの茉莉香が居ない映像を如実に映し出す。シーツは冷え切っていて彼女の痕跡を残してはいない。
「茉莉香!」
名を呼んでも答える声は無い。いつものように笑って振り向く彼女がいない。周りを見回しても動く影は無い。何処に行ったのか、彼女は隣に居たはずなのに。
居たはず。居たはずなのだ。急に背筋が震えだす。茉莉香は本当にいたのか?ここに、この世界に。息が上手くできずに荒くなった呼吸を歯を噛みしめて抑え込む。ふうふうと獣の様な呼吸音すら遠く聞こえた。
髪を掻き乱し頭を抱え込む。強く閉じた瞼の裏に茉莉香の姿が浮かぶ。笑って泣いて私を呼ぶ茉莉香の声が。何故だろう思い返せば思い返すほど彼女の姿は朧気になっていく。あいつはどんな顔で私を見ていた?どんな声で私を呼んだ?覚えて居る筈なのに、知っているはずなのに。指から砂が零れるかのように茉莉香の存在が消えていく。
じくりじくりと首の継ぎ目が鈍い痛みを発する。それは私を責めるようにこれが現実だと知らしめるように。
「茉莉香…」
震える声は掠れて。呼んだ彼女は側には居ない。煩わしい首の傷を掻き毟る。爪が隙間から流れる血で微かに濡れていくのが他人事の様で。
「茉莉香!」
何故、お前はここには居ないんだ。
「DIO!」
体を揺さぶられ、名を呼ばれて目が覚める。
「どうしたのDIO?随分と魘されていたけど」
私を窺うように体を被せる茉莉香の顔が逆光でよく見えない。けれど私を呼ぶ声は、触れる体温は茉莉香のもので。額を撫でる手を掴んで引き寄せる。倒れこんだ体を抱きしめれば小さく笑う声。
「悪夢でも見たの?」
「…ああ。胸糞の悪い夢だった」
「そう、でも私は君のせいで今も悪夢の中に居るよ」
笑いを含んでいるのに、氷のような冷たい声音。掴んでいた手を思わず離せば茉莉香は体を起こした。私を見る茉莉香の顔は黒のインクで塗りつぶしたようにぐちゃぐちゃで。僅かに見える唇は歪に笑みを模っている。
「ねえDIO。なんで君が生きてあの子が死んだの。なぜ私も生かしたの」
笑いながら笑いながら茉莉香は私を責めたてる。見えない目から零れた涙がきらりと光った。
「さよならDIO」
それを皮切りに静かに崩れていく茉莉香に私は手を伸ばすことも出来ずに――
「DIO!」
がくがくと体が揺れて目が覚める。目を開くとそこには心配そうに私を見る茉莉香がいた。
「ああ、やっと起きた…。魘されてるから起こそうとしたのに全然起きないし終いには暴れ出しそうになるからびっくりしたよ」
全くどんな夢を見てたの?苦笑しながら私の額に伸ばされた手を掴む。
「痛い!DIO痛い!力加減考え…」
文句を言おうとした茉莉香が口を噤んだのは私の手が震えていることに気付いたからか。もう片方の手が私の頬に触れた。
「DIO、大丈夫だよDIO」
幼子を宥めるような優しい口調で茉莉香が私の名を呼ぶ。背に回された手がゆるゆると撫ではじめる。
「君が何にそんな怯えているのか分からないけど大丈夫。君が怖い物なら全部私が消してあげる。逃げたいなら一緒に逃げてあげる。大丈夫、大丈夫だよ」
掴んだ手を離して小さな体に縋りついた。茉莉香は私の頭を抱え込むように抱きしめた。
「茉莉香…」
「うん」
「茉莉香…」
「ここに居るよ。大丈夫、私はここに居る」
何に恐れているのか分かっているかのように茉莉香はそう言う。細い指が髪を梳く感触にやっと息が出来る様な感覚になった。
「どこにも行くな」
「君が望むなら」
僅かに体を離した茉莉香が私に微笑みかける。その顔はいつもとなんら変わらないものだった。
悪夢柔らかく息づくその体に肩の力が抜けた
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