神隠しの少女 | ナノ






薄暗い部屋の空気を胸いっぱいに吸い込む。嗅ぎ慣れた香りはいつも彼が纏っていたものだ。吐き出す息が僅かに震えているのに気づきながら、私はそっと目を開く。

「…茉莉香」

窓に寄りかかっているDIOが、薄く笑いながら私を呼んだ。その声に、きらりと光る赤い瞳に体が震える。静かに差し出された手に、誘われた様に手を重ねれば強く引き寄せられた。

「随分と、久しぶりな気がするな」
「…本当に、本当に長かったよ」

君に会えない日々は、本当に長かった。吸いつくような肌理の細かい肌に頬を寄せる。低い体温が、私の髪を梳くその指が、彼が夢でも幻でもなく本物だと伝えてきた。
…出来ることならば、このまま全て忘れてしまいたい。何もかも、辛いことを忘れて。彼の側でただ笑っていられたら。そんな強い誘惑に駆られる。
だけどそれは、無理なことなのだ。

「ねえ、DIO」
「なんだ?」
「…承太郎たちは、どうしたの?」

私を撫でていた彼の手が止まる。顔を上げて見上げれば、DIOは能面のような無表情だった。しかしそれも一瞬で、ゆるりと目を細めて笑う。

「彼らとは…とてもいい、"友人"になれたよ」

その言葉に、私の体が強張る。今にも途切れてしまうのではないかと自分で危惧するくらい、か細い息が零れた。

「そう、そう…」
「ああ」

また動き始めた指先が、髪を弄り始めるのを感じながら私は目を閉じた。…本当に、僅かな期待を抱いていた。彼が何もしないでいてくれるのではないかと、滑稽な希望を。そんな優しく愚かな男ではないと知っているくせに。

「ねえDIO」
「ん?」

小さく鼻歌を奏でながら撫でる手を取る。大好きな手だ。何時だって私を愛してくれて、助けてくれた。愛おしくて、愛おしく堪らない私の片割れ。

「承太郎を、返して貰うよ」
「…おかしなことを言う。彼らは五体無事だぞ?明日にでも故郷に帰れるくらいにな」

分かっていながらDIOはそうとぼける。しかし、その眼には確かに冷たいものが混じっていた。

「分かってるくせに」
「…賭けは私の勝ちだ。ジョースター達は負け、私が勝った。そうだろう?」
「いいや、違う、違うよDIO」

DIOから一歩離れる。今にも泣いてしまいそうな程、辛い。これからすることを考えれば、身が引き裂かれるようだ。
DIOの手を離し、ジッと見つめる。

「ジョースター一行はまだ残ってる。…私が」
「…私を裏切るのか」
「裏切るなんてまさか。…でもねDIO、君が言ったんだ」

大きく息を吸い込む。ここで言い淀めばきっともう私は何もできないから。いつも生意気だと君が笑う、不敵な笑みを浮かべろ私!

「どんな手を使ってでも、欲しいものを得るのが私だと…そう教えてくれたのは君だよ、DIO。…元の彼らを、返して貰おう。そして、君も。生かしてみせる」
「…くそ生意気なガキがよくもこの私の前でそれだけ吼えられたものだ」

いつの間にか後ろに回ったDIOのヒヤリと冷たい手が喉に掛かる。…ザ・ワールド!時を止める能力と分かっていても、胆が冷える。

「なあ茉莉香。私はお前を愛しているよ。この私が傷つけぬよう、悲しませぬよう気遣うなど後にも先にもお前だけだろう。だから…貴様を傷つけさせるようなことは、してくれるな」
「…そう言わないでよ」

頭上から降り注ぐ刃物にDIOが距離を取る。その隙に向かい合って私はニヤリと、笑って見せた。

「きっと最初で最後の大喧嘩だ。…やり合わなきゃあ、損だろう?」
「…全く貴様という奴は。少し躾が必要なようだなあ?」

同じくニヤリとDIOが笑い、私は勢いよく吹っ飛ぶ。脳みそがぐわんぐわんと揺れる感覚に吐き気がした。

「ふむ、少しばかり強く叩き過ぎたか?」

…今のがただの張り手とか。本当筋肉お化けの上に吸血鬼って最悪だろ。
頭の中で悪態を吐きながら、私も何とか応戦する。降り注ぐ刃物にも、いきなり現れる鋭利な氷柱にもDIOが慌てる様子はない。殆どワールドすら使わずに避ける余裕に歯噛みする。
大喧嘩、といっても私がDIOに勝てるはずもない。一矢報いることすら難しいだろう。だが、私がするべきことはただ一つ。彼から逃れることだ。
ただ移動するだけでは時を止めて阻止される。狙うのは一瞬。彼が時を止め、次に止められるようになるまでの一瞬のタイムラグ。
とはいえ彼が時を止められると分かっていてもそうは簡単にいかない。超常現象の名に恥じぬ状況に脳の処理が追いつかない。元々回転の鈍い脳みそなんだから手加減してくれよ!
暫くすると私の体はかなり酷い状況になっていた。致命傷どころか深い傷もないのは彼の優しさだろうが、それでもかなり打撲やら切り傷やら傷だらけだ。しかし、何とか慣れてきた。次こそ行けるかもしれない。

「強情な奴だ。…そろそろ日が昇る。これで終わりにするか」

その言葉と共にDIOが地を蹴る。握られた拳に喰らったら終わりだと直感した。刹那全身の神経が昂ぶるのが分かる。空気の流れも、何もかもが止まった世界の中DIOの拳が振り抜かれるのが――見えた。

「…なん、だと」
「…え?」

虚を突かれたようなDIO。しかし私も驚いていた。今、彼は時を止めたはずだ。その感覚が、私には…分かった?そしてこの移動。…まさか。

「まさか茉莉香!」

DIOがもう一度こちらに向かってくる。それが、分かる。拳がぶつかる瞬間、私はまた彼から離れた所に居て。驚愕に顔を歪めるDIOを見ながら私は――その場から消え失せた。

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