神隠しの少女 | ナノ






あの激しい雨は、俺とマリカの罪をすべて覆い隠した。


あの日、マリカの家に入った時。血に沈む老婆の傍にへたり込むマリカを見て心臓が止まるかと思った。
マリカの洋服は破かれ、明らかに何物からか襲われた形跡があったからだ。俺の存在に緩慢ながらも反応したことから意識に問題はなさそうだったが、ぼろぼろと零れている涙に胸を締め付けられたような感覚に陥った。

何が有ったのかと問いかけるとマリカはぼんやりと俺を見詰め、次の瞬間顔を顰めた。そしていつの間にか、俺とマリカの間には歪な状態の死体が転がっていた。
余りに唐突な出来事に驚きの声を上げた俺から目を逸らし、その死体を指差して、マリカは静かに『私がそいつを、殺したの』と、告げた――。


聞きたいことは、山の様にあった。けれど、あの時はそんなことに構っては居られなかった。
守らなければ。マリカを守らなければいけない。ただ、そのことだけを考えていた。

死体の状況から、他殺を疑われることはない。そう冷静な部分が俺に囁く。
誰がこの男自身に目を抉らせ舌を噛み切らせることが出来るのか。自殺、と言い切るにも不可解な面はあるが、この男が自分から行ったことは間違いないのだ。
ならば、やるべきは一つ。少しでもマリカの不利にならないように、この男をどこかに捨ててこなければ。

少々酷かとも思ったが、マリカに見回りに行っている男衆を呼んでくるように言いつけた。俺が追っていると思わせるにも、伝わるまでに時間が空き過ぎていたら何か疑問を持たれるかもしれない。些細なことかもしれないが、ほんの僅かでも不安の芽は刈り取っておきたかった。


そして、男を背負い郊外の雑木林の奥まった所へと向かった。幸い誰に見られることなく辿りつけたようだ。
男を投げ捨て見下ろす。恐怖に歪みきったその男は何を見たのだろうか。抉られた目をつけ直し、舌を生やし、生き返らせて問い詰めてやりたかった。
そしてもう一度、同じように苦しめて恐怖を与えて殺してやりたかった。


マリカは俺にとって、唯一大切だと思える他者だった。赤子だった俺を引き取り、ここまで育てたあの神父には感謝している。しかし、それだけで尊いとも大切だとも感じてはいなかった。いつかは切り捨てる存在。何故かは分からないが、幼い頃から周りに対してそう考えていた。

だが、5年前にマリカと初めて会った時。あの幼い少女は俺の手を取って幸せそうに笑った。その小さな手の柔らかな感触と子供らしい体温に、庇護欲が湧き上がった。
当初はただの気の迷いだと、すぐに消え去る感情だと思っていた。しかし、俺のどこが気に入ったのか酷く懐いてくるマリカに対して守るべき存在なのだという信念、とも言える確固としたものが根付いていった。

マリカに会う前の自分や、もしも彼女に出会わずに生きている俺というものが存在しているとしたら、きっと嘲笑っただろう。
守りたい存在なんて弱みともいえるものを抱えるなんて愚かだと。それでも。一度手に入れた暖かさを捨て去ることは俺には出来なかった。

知らず知らずの間に握りしめていた手から血が滴り落ちる。強く握りしめていたせいで爪が肉を抉っていた。一度舌打ちをしてから呼吸を整える。
男が握りしめていた拳銃を自分の腕に向ける。逃げられた言い訳を、作らなくては。

幸い一発だけ残っていた弾丸が、銃声と共に腕を切り裂いた。
歯を食いしばって痛みに耐えながら薬莢を拾う。どこか途中で捨てて、それで全てが終わる。
横たわる汚らわしい男の顔面を蹴り上げたいのを我慢して踵を返した。


歩く度に腕の傷が痛みを脳に伝える。だが、その痛みよりもマリカの泣き顔だけが思考を支配していた。
守り切れなかった。俺があの日あそこに連れて行かなければ。見回りに行かずにずっと側に居たのなら。もう取り返しのつかないことばかりが頭の中をぐるぐると廻る。
人が聞けば、未来の事など誰にも分からないのだから仕様のないことだ、と慰めの言葉を吐くかもしれない。だが、そうとは思えない自分自身が居るのだ。

マリカは、俺が守るのだ。

もう二度とこんな後悔はしたくない。他の誰にも俺も、あいつも傷つけさせはしない。どんな障害をも俺が打ち砕いてやる。
激しかった雨が嘘のように止み、切れ間から覗く太陽を睨みつけた。

「俺があいつを守るんだ」


そして一年後。俺はキング・クリムゾンを手に入れた―――。

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