「久しぶりだねぇ」
ベトリと纏わりつくような声音でニヤニヤと男が笑う。私と男の間に倒れるおばあちゃんはピクリとも動かない。雨が降り出したのか、激しい雨音と私の心臓の音が耳を支配する。
「君、どうやって俺より先に辿り着いたんだい。君の足じゃあどんなに急いだって俺より早くあそこからは帰れないだろう」
おばあちゃんを跨いでこちらに足を進める男が何かを言っているが、意味のある言葉として捉えられない。呼吸が乱れて、胸が苦しい。
ずいっと伸ばされた手から逃げようと踵を返すが、髪の毛を引っ張られて引きずり倒される。
「逃げるなよ」
覗きこんできた男の眼はどろりと濁っていて。そこには愉悦の色が宿っていた。
「逃げる獲物追うのも好きだけどさー、今は時間ないんだよ」
こちらのことなどお構いなしに好き勝手に喋る男は私の洋服に手を掛け――勢いよく破り捨てる。
「見回りから帰ってくるまでに終わらせなきゃいけないんだよなぁ」
びりびり、と布の引き裂かれる音だけが響く。
「でも、雨が降ってくれてよかったよ。…叫んでも誰も気付かないもんなぁ」
おばあちゃんから広がる血が、破り捨てられた服に沁み込んでいく。
「お前のばあちゃんさあ、俺が『変な奴が回りうろついてたから一緒に見てくれないか』って言ったら簡単にドア開けちゃってさあ」
「お、ばあちゃん」
「そ、おばあちゃん。馬鹿だよなあ。ありがとございますなんて礼まで言うんだからよ」
その言葉に頭を殴られたかのような衝撃が襲う。こいつは、こいつは。
「そういや、あの餓鬼も馬鹿だったな。お母さんが怪我したって言ったらのこのこ付いて来てよ」
こいつが、おばあちゃんも、あの子も殺したんだ。
「こ、ろしてやる」
私の言葉にキョトンと手を止めて、男は哄笑した。
「君が?俺を?どうやって殺すっつーんだよこの糞餓鬼!」
激昂した男が私の首に手を掛ける。気道が容赦なく締め上げられる中、私はそっと手を触れた。
スピリッツ・アウェイ。この男に、おばあちゃんとあの子が感じた恐怖を。痛みを。苦しみを。全部全部返してやって。
お前なんか、苦しんで苦しんで、―――生まれた事さえ後悔して死んでしまえばいい!!!
男が掻き消えた後、そこには私と、もう動いてはくれないおばあちゃんだけが存在していた。
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