神隠しの少女 | ナノ






「承太郎」

声をかけると、承太郎が勢いよく振り返った。それに笑い返しつつ周りを見る。ここは、空条家の居間だ。とにかく安全な所を想像して作ったのはこの空間だったわけだ。改めてこの家が、家族と過ごしたここが私の安心できる場所なんだなあ、なんて思いもよらないところで知らしめられた気分である。自分もこちらに入ってきたお陰で幾分軽くなった頭痛に小さく息を吐いて、承太郎を見つめる。

「ここは」
「私のスタンドが作り出した空間だよ。…ごめん、長々と説明してる暇はないんだ」

当たり前だがまだ何か聞きたげな承太郎を制して、私は靴下ごと靴を脱ぎ捨てる。血で重くなった靴下と、ぽかりと空いた穴に承太郎が目を見張った。

「…どう、したんだ」
「エンヤ婆…さっきのおばあさんのスタンドの仕業だよ」
「やっぱり敵だったのか」
「うん」
「なんで言わなかった」
「言う前に先手を打たれて…今はもうほぼ塞がってるけど口の中も切ってたから」
「どういう意味だ?」

…ああ、そうかそこから説明しなくちゃいけないのか。舌打ちしたいのを堪えて承太郎に質問は受け付けない、と前置きをする。

「エンヤ婆のスタンドは霧で、傷口があるとそこからスタンドを侵入させて思うがままに操るんだ。私が言えなかったのは舌を怪我してて自由に喋れなかったから。更にそのスタンドは円状に傷を広げることができるの。最初に見つけた男の死体や私の足の傷はそれで作られた。…ここまではいいかな?」
「ああ」

早口の説明だったが理解して貰えたようで良かった。しかし、承太郎の顔色は優れない。…エンヤ婆に斬りつけられ破れた学ランの位置は、胸に近い。やはり、見間違いではなかった。

「…承太郎。エンヤ婆に傷をつけられたって言ってたよね?それって、どこ」
「…ここ、だ」

盛大に顔を顰めた承太郎が学ランを捲る。脇の辺りから、左胸にかけて破けたシャツの下から薄っすらと血が滲んでいた。予想していたことではあったが、血の気が引いた。薄れていた頭痛がまた痛みをぶり返す。
その痛みに後押しされるかのように涙が浮かんできそうで頭を振った。…一体私は何をやっているんだろう。私が、居なければ。私が居なければ承太郎は怪我を負うものの命の危険はなかった。ポルナレフだって、ホルホースさんだって、あんな状況には追い込まれなかった筈。しかも典明君たちだって巻き込んで―――。自分がしたことの全てが裏目に出ているこの状況に泣き出してしまいたい、そんな情けない思いが浮かぶ。そんな私の頭上に、大きな手が乗った。

「泣くな」
「…ごめん、そんな場合じゃないよね」
「ああ。…泣き言なら後でいくらでも聞いてやる」
「…ありがと」

不器用な優しさに少しだけ元気が出た。頭痛も和らいだ気がする。

「…茉莉香」
「なに?」
「此処から出せ。…全部終わらせてきてやる」

力強く言い切ったその言葉に、全て任せてしまいたくなる。しかし、外は霧が充満していて、そこに怪我を負った承太郎が出たら…想像しただけでゾッとした。エンヤ婆のスタンドを知ったからには頭の早い承太郎の事だ、きっと原作のように打開策を見つけている。だが、私のせいで負ってはいけない場所に怪我をしたのも事実。外に出すわけには、いかない。

「ううん。…私が全部終わらせるからさ、承太郎はここで待っててよ」

あえてそう、明るく言い切る。出来れば、エンヤ婆を自分の手で殺したくは、ない。甘っちょろい考えだと思う。でも、お母さんが助かったのも元々はエンヤ婆のもたらした情報で、そして館で会っていた時の彼女は、優しくて。…でも、彼女は敵だ。私の大切な人たちを奪おうとする、敵。そう考えると震えの止まった拳を握りしめる。そうだ、彼女は敵なのだから…殺してしまわなきゃ。

「茉莉香」
「…なあに承太郎?」

強くなっていく頭痛を隠す様に笑いかければ…ゴツン、と拳骨を食らった。外的要因によってさらに増した痛みに思わず頭を抱えて蹲る。

「な、なにするの…」
「馬鹿かお前」
「はあ?」

凄い決心をした妹に対する言葉かそれ。いや、決心は知らないかもしれないけど、格好つけた人間にすることでもいう事でもないというのは確かだろう。

「んな顔した奴に行かせられるか」
「…だって!承太郎死んじゃうかもしれないじゃん!」

仁王立ちで見下ろしてくる承太郎の胸に、血が滲んでいて。私のせいで、そんな言葉がまた浮かんで。思わず声を荒げれば、抑え込んでいた涙が滲む。そんな私の名を承太郎が呼んだ。

「…なに」
「何とかするから出せ」
「何とかって…何とかならなかったらどうすんの」
「どうにか何とかする」
「…なに、子供みたいなこと言ってんのかなあ」

承太郎らしからぬ言い分に思わず笑ってしまった。何とかするってなんだよ。このまま私が行ったら承太郎怒るんだろうなあ。もしかしたら付いてくるなって言われるかも。無理矢理にだって付いていくけど、そう言われるのは嫌だなあ…なんて場に似つかわしくない事ばかり浮かんでくる。熱でも出たのだろうか。ああ、そう言えばなんか思考がふわふわしてきたなあ…痛みも、もうあまり感じない。

「兄貴として格好くらいつけさせろ」
「承太郎の怪我がなかったら幾らでも付けさせてあげるけどさあ…」

本当、怪我さえなければ。クレイジーダイヤモンドみたいに怪我を治せるスタンドを持っていたら。
…あれ、今私は何を考えていた?クレイジーダイヤモンドみたいな、スタンド?

「…ここは、私の世界だ」
「茉莉香?」

突拍子もないことを呟いた私の名を承太郎が不安そうに呼んだ。でもそれも熱に浮かされはじめた私の耳には届かない。ここは、私の世界。私が作り上げた、私の思い通りになる、箱庭。ここならなんだって出来る、時間も物も環境も。なんだって作れるんだ。
いつの間にか横に居たスピリッツアウェイを見上げる。仮面越しだが、何故か彼女が心配そうな、だけれどどこか諦めた様な顔をしている気がした。そんな彼女にそっと笑いかける。

「クレイジーダイヤモンド…承太郎の怪我を、治して」

彼女の姿が歪む様に、形を変える。それと同時に遠くに行っていた痛みが、鮮烈になって帰ってきた。意識さえ奪いかねないその痛みに、吐く息が震える。それでも、なんとか崖っぷちで私の意識は耐えていた。そして思い描いていた姿に変わった彼女…いや、彼が承太郎の胸を殴る。
姿を変えた彼に意識を取られていた承太郎は諸に喰らい、目を丸くする。

「なにしやが…」

体勢を整えた承太郎が何かに気付いて止まる。承太郎の怪我は、切り裂かれた衣服共々元に戻っていた。

「茉莉香!お前なにを!」

慌てふためく承太郎に説明するだけの元気は、もうない。あったとしても説明できるだけの自信は、なかった。薄れ行く意識の中でなんとか承太郎に笑いかける。

「格好、つけてきてよ、承太郎」

いつの間にか姿を戻していた彼女が、承太郎に触れると同時に承太郎は消え失せた。そしてぐにゃりと世界が歪んで、初めて来たときの様な闇が広がる。あの時の様な恐怖はもうなかった。むしろどこか安心するような、そんな心地よさを覚える。目の前に佇む彼女の白い仮面だけが、闇に浮かぶ。どこか悲しげな、それでいて喜んでいるような…。

「少し、休むよ」

目を閉じて、漸く私は意識を手放せた。

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