神隠しの少女 | ナノ






「…言いすぎました。すみません」

震えそうな声をなんとか抑える。そのまま踵を返して私は屋上から立ち去る。握りしめた拳から何かが伝って、漸く爪で掌を傷つけていたことに気付いた。流れる血を眺めながら、今しがたの出来事に後悔ばかりが募った。
…今のは、ただの八つ当たりだ。
少しの間動けずにいると、名前を呼ばれた。顔を上げると寝ているはずの典明君が居る。彼は微笑んでいたが、私の傷を見て慌てて近寄ってきた。

「その傷、どうしたんだい?」
「…大丈夫」

一瞬それより上にいるポルナレフの事を伝えようかとも思ったが、それは典明君に尻拭いをさせることになってしまう。彼だって困ってしまうだろう。
俯いて動かなくなった私の肩を、典明君が掴む。

「とりあえず、部屋に戻ろう。話はそれからだ」

押されるままに、私は歩を進めた。


「何が、あったんだい」
「…何も」

さっきまで彼が寝ていたであろうベッドに腰を掛けながら、消毒される手をぼんやりと見つつ首を振る。
一瞬全てぶちまけてしまおうかとも思った。でも、それはダメだとなけなしの理性がせき止める。しかし、典明君はそんな私の頬を強かに打った。
思わぬ衝撃に目を丸くしながら典明君を見上げれば、彼は酷くつらそうな顔をしていた。

「茉莉香、僕はね。君が何を抱えているのかなんて何も知らないよ。知ってるのは君が僕らとDIOの間に板挟みになって苦しんでることくらいだ」
「…うん」
「でもね、僕は、君の力になりたいんだ」

君は、僕の初めての友達だから。そう言う典明君は今にも泣きだしそうな顔で。握りしめた拳は私と同じように傷を作ってしまいそうだった。その手をそっと掴む。揺れた典明君の肩を見つめて、一つ深呼吸をする。

「ねえ、典明君。楽しくも何もない話だけど、聞いてくれるかなあ」
「…うん」

隣に腰掛けた典明君の腕に頭をもたれ掛らせる。何から話せばいいんだろう、と少し考えてから口を開いた。

「私ね、人を殺したことがあるんだ」

固くなった彼の体を頬に感じながら話を進める。

「初めは、おばあちゃんを殺した男だった。次は、君たちを狙っていたあの偽物の船長。あと、家を襲ったスタンド使い」

指を折りつつ数えた。ついでに言えば見殺しにしたDIOの餌の女性を入れれば両手の指でも足りないだろう。

「自分の手に掛けただけで三人。三人殺したんだ」
「…うん」
「一応さ、理由はあるよ。皆私の大切な人を殺したり、殺そうとした」
「うん」
「だから、私は悪いことをしただなんて思ってないんだ」

私は、私の大切なものを守ろうとしただけだから。そう言えば、それでもしてはいけないという人も、それならば仕方ないという人もいるだろう。道徳と感情の問題、とでもいった所か。
きっとどちらも間違いではない。道徳と感情とが矛盾していることなんて他にもたくさんあるから。ただ。

「悪いことをしたって、思えないんだあ」

ポルナレフの様に、仇であっても殺したことに罪悪感なんて芽生えなかった。ただ、失った悲しみに、失わずに済んだ喜びしか感じなかった。

おかしいよなあ、と思う。昔、こちらに来る前に両親が亡くなった時。あの時の私は、命は尊いと、信じていた。
そう、私は普通の人だったはずだ。人が死んだら可哀そうだとも思ったし、復讐で人を殺す人間にどうして他の手段を選べなかったんだろう、とお花畑の様な考えを持っていた。
人を殺すのはいけないことで、誰であれ命が失われるのは悲しい事なんだと、そう考えていた。
なのに、それが今では分からない。いや、分からないというのは違う。理解はできるが共感が、出来ない。"普通"ならば、そう考えるんだろうな、と理解はできる。だけれど、それは何か膜が張ったようにぼやけて、曖昧だ。
どこから変わったのかなんてもう分からない。こちらの両親が死んだときか。DIOを受け入れると決めた時か。それともあの男を殺した時か。分からないけれど、薄々気づいていた。私はもう、戻れないのだ。普通には、戻れない。
ポルナレフが羨ましかった、妬ましかった。人を殺した罪悪感に揺れるあの瞳は、私にはもうないものだから。手に入れたくとも、届かない。私は、普通で、ありたかったんだ。
分かっていた。自分の大切なものの為に誰を傷つけることを躊躇わないことを。でも、それはどこかで誰だって当たり前にすることだと思ってた。それが少々過激な形なだけで。でも、ポルナレフの姿を見て、ああ、やっぱり違うんだと気付いてしまった。

視界が微かに歪んでいく。承太郎と初めて会ったあの時感じた絶対的な隔たりはこれだったのだ。私はいつか彼を羨むと、妬むと気付いていたんだ。
静かに頬を涙が伝っていく。

「茉莉香」

典明君が私の肩を掴む。温かい掌にほんの少し肩の力が抜けた。

「僕もきっと同じことをするよ」
「え?」
「君や承太郎や…大切な仲間を守るためなら手段なんて選ばないさ」
「…うん」
「大切なものを守ろうとするのは当然で、悪い事なんかじゃない。そうだろう」
「…そう、だね」

ああ、前もこんな会話をしたなと思い出す。あの時はディアボロだった。典明君と同じように、私は悪くないと、自分も同じ選択をすると、そう言ってくれた。
彼に比べれば典明君は、多分無理をしている。実際に自分の手を汚したことのない奴の言葉じゃないかと冷酷に吐き捨てる自分もいた。でも、そんな声よりも、こうして受け入れてくれる典明君が、嬉しくて。

「ありがとう」

ありがとう、と私は何度も同じ言葉を繰り返した。

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