神隠しの少女 | ナノ






1986年―7月

空条、と呼ばれるようになって数カ月。漸く自分のことを指しているのだということに戸惑いが無くなってきた。そうしていつの間にか季節が移り変わり、外に出れば緑の香りが漂い、汗が滴る。…夏が、やって来た。

…最近どうにも調子が悪い。原因はハッキリとしていた。夢見が、悪いのだ。毎夜のように繰り返される悪夢。パックリと切り裂かれた少女の首筋と中身を曝け出した祖母の額。一面血に塗れたその空間の中心には、まだ髪の長かった頃の私が俯きがちに立っていて。―その表情は奇妙に歪んでいる。笑って、いるのだ。私が見ていることに気付いたのか、"私"は顔を上げ、更に口角を引き上げる。

『守れるなんて、思ってるの?』

その言葉が何を指しているかを分からないほど馬鹿ではない。フラッシュバックの様にDIOやホリィママ、ヴァニラ…様々な人の顔が思い浮かび。そして、その度に彼らの亡骸が、目の前に現れた。後退りしたいのに、目を閉じてしまいたいのに。私はピクリとも動けずに増えていくそれらを見つめる事が出来ない。
いつしかその中に、承太郎やジョセフおじいちゃんの姿が見えて。ヒュウ、ッと喉が鳴るのと同時に"私"は哄笑した。大きく開かれた口の中には血の様に赤い舌が覗いていて。

『ねえ、誰が彼らを殺したの』

その言葉に引きずられるように目が動いて。私の手には、真っ赤に濡れた、ナイフが。その瞬間動くようになった身体で、"私"を突き刺す。"私"は刺されながら、裂けるのではないかと思うほどにぃッと笑い――。

『      』

そこで、いつも目が覚めた。
跳ね起きた私は、いつも急いで手を確認する。血に、汚れてはいないかと。そしてやっと安堵の息を吐き出した。
季節的なものもあるのだろう。だけれど、あの夢の中に出る"私"は。心に巣くっている不安や恐れと言ったものの、具現化した姿に違いない。私は知っているのに、何もできないのではないか。そしてそれは、私が殺したと言っても相違ないのではないか。影の様に離れることなく、ひしひしと忍び寄る恐怖。避けようにも避けれない未来が、近付いてきているのだ。

ちらりと机の上に置かれた手紙を見る。差出人はソリッド・ナーゾ。…ディアボロからの手紙だ。始めは一体誰だろうと考えてしまった。流石に彼の偽名までは覚えていなかったから。戸惑いながら開いた手紙には、驚くべきことが記されていた。
彼が島を出た事。どうしてそうする事になったのか、何故偽名を使っているのか。彼自身語るのを躊躇ったであろうことが赤裸々に語られていて。知っていたこととはいえ、神父様のことには少し心が痛んだ。またその反面隠しておいてもいい事もこうして言ってくれる彼にどこか喜びも感じていた。しかし、その先に書かれていたことに、そんな感傷染みた思いも吹き飛んだ。

『不思議な矢によってスタンドを手にいれた』

それは、物語の幕が確かに開いた事を告げる、言葉だった。
手紙の消印はイタリア。ディアボロが矢を手に入れたのはエジプトと書いてある。…つまり、彼が矢を発掘してから最低でも数週間は経っているのではないか。だとすれば、既にDIOの元に辿りついていても何ら不思議ではない。三週間ほど前にDIOの所に行った時はまだ何も言ってなかったが…。
そしてこの手紙が着いてから一週間。何度もDIOの所に行こうと考えては、止めるを繰り返していた。決定的な事実を知るのが、怖い。DIOがスタンドを目覚めさせたのなら、カウントダウンは始まってしまう。二年後の冬、彼らの戦いの火蓋は切って落とされるのだ。
カタカタと震える肩を強く抱く。呼吸がし辛い。ヒューヒューと胸から乾いた音がする。ぜんそく持ってないのになぁ、なんて笑って自分を誤魔化した。

時計の針は四時少し前を示している。流石にまだ暗い部屋の中、小さく小さく縮こまる。エジプトは二十一時。きっと館の人間も活動している事だろう。今行けば、DIOも起きている。行かなくては。逃げていても仕方ないのだから。そう思うのに、唇は彼女の名前を呼ぼうとはしない。
自分はなんて弱いのか。夢の中の私の頃とどう変わったのか。一歩進んでは立ち止まり、時には下がる。そんなことを繰り返していて一体何が出来ると言うのか。"私"の笑った顔を思い出す。こんな私を嘲るように愉快そうに笑っていて。ああ、自分自身のことながら腹が立つ。だが、そんな風に笑われても文句の言えない体たらくだ。
…私はそれでいいのか。弱い自分に負けっぱなしで。そんなのは嫌だ。大体私は元来負けず嫌いじゃないか。ここで奮起しなくてどうすると言うんだ。
自分でも空元気だと解る。でも、そうしなくちゃ、いけないんだ。


布団から這い出て服を着替える。折しも今日から夏休みだ。ホリィママも承太郎も今日は遅くまで寝ると宣言していたし丁度いい。
今日行かなければならない理由をいくつも頭に思い浮かべて。

「…行こう、スピリッツ・アウェイ」

震える足を叱咤しながら、私はそう呟いた。
肩を掴んだ彼女の力が、普段より強く感じられたのは私の錯覚だったのだろうか。

[ 1/3 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]