神隠しの少女 | ナノ






一人部屋に居ると、ほんの少し違和感を感じた。その正体を探ればすぐに辿りつく。声が聞こえないのだ。

茉莉香という少女が我が家にやってきてから数日、いつも母さんと茉莉香の声が聞こえていた。母さんは日頃から姦しい人だがここ最近更に拍車がかかっている。それは茉莉香を早くこの家に馴染ませてやろうという心積もりなのだろうが…正直待望の娘が出来てやや暴走気味になっているように思える。まあ、茉莉香も戸惑ってはいるが受け入れているようなので口出しはしないが。
しかし、今日はその二人の声がどちらもしない。冬独特のシンっとした静けさが漂っている。買い物にでも行ったのだろうか。それにしてもこうした空気は久方ぶりだ。茉莉香が来る前はこうした雰囲気が当たり前だったのだが、なんとなく気にかかる様になったのは大きな変化かもしれない。

コーヒーでも飲もうかと部屋を出て下に向かう。そう言えば母さんと茉莉香が庭の手入れをしていたと言っていたから、少し見ていこうかと縁側に面する障子を開くと茉莉香が倒れていた。
名前を呼ぶと返事が返ってきたことに胸を撫で下ろす。障子が開いたことになにも反応しないから意識がないのかと懸念していたが。しかし、会話を続けていくうちに普段よりも反応が鈍く呂律が回っていないことに気付いた。注意して見てみると、頬は赤く瞳が潤んでいる。こんな寒い縁側に居たら頬から赤みは引いているはずだし、なにより長時間居られるはずもない。

額に手を乗せれば案の定熱が有った。部屋まで連れて行ってやろうと手を伸ばしたが、それより先に自分で立ち上がる。しかし、揺れる体に思わず手を引けば何の抵抗もなく倒れ掛かってくる。思っていた以上に弱っているのかもしれない。一人で階段を上らせるのは危険だと思い抱きあげれば弱弱しくも抵抗した。しかし気に掛けずに歩き出せば、ようやっと大人しくなった。


「あの、ご迷惑おかけします。すみません…」


こいつは何を言ってるのか。ぺこりと頭を下げる茉莉香がもう少し元気だったら一発ひっぱたいたかもしれない。
一言罵れば、間抜け面になった。一体何故アホ呼ばわりされたか分かっていないらしい。仕方なしにもう少し気兼ねせずに頼れという事を言えば顔を伏せる。強く言いすぎたかと思うがフォローも浮かばずに沈黙が落ちる。どうすべきか頭を回転させていると裾を掴まれた。
なにかと思えば、側に居ろというものだから驚いた。しかし、おれ以上に茉莉香は複雑な思いなのか恥ずかしげと言うか弱ったと言うか微妙な笑みを浮かべている。こんな顔をされたら断るものも断れないだろう。

大人しく横になった茉莉香の頭を一度二度撫でてやれば寝息が聞こえてきて。おれが思っていた以上にきつかったのだろうか。

その寝顔を見つめていると腹の虫が騒ぎ出した。…冷蔵庫に昼飯が入ってるって言ってたな。立ちあがろうとしたが、服が茉莉香に掴まれていることに気付いた。どうするべきか。少し考えた後そっと指を解かせる。身じろぎをした茉莉香にギクリとしたがどうやら起こしたわけではないらしい。…昼飯はここで食うか。

食事を立った後部屋から持ってきた本を読みながら、時たま茉莉香の汗を拭きとる。そんな事を繰り返している内に、自分の幼かったころを思い出す。幼い頃はあまり身体が強くなく、よく熱を出しては母さんに同じように看病されたものだ。…三歳の頃両親を亡くしたという茉莉香にはそういった思い出はないのだろうか。穏やかな寝顔を見ながら少し胸が痛んだ。

初めて茉莉香にあった時、何とも言えない気持ちになった。もちろん急に家族が増えるということに納得できていないという事もあったが、何よりも茉莉香の表情が気にかかった。ほんの僅かだったが泣いているような笑っているような歪んだ顔でおれを見て。
逸らされた視線がもう一度かち合ったのはおれが言葉を発した後だった。大きな目を更に見開いたかと思えば、ふにゃりと力が抜ける様な笑顔を見せた。
その顔にこちらも肩の力が抜けた。聞こえは悪いが、警戒していた小動物がすり寄ってきた様な気分だった。
茉莉香も何故かはわからないが母さんよりはおれに懐いていて。…いや、母さんに対してだけ妙に距離を置いていると言う方が正しいのかもしれない。
それでもこの数日で大分お互いに馴染めてきたと思ったのだが。先程のやり取りを鑑みるにまだまだということなのだろう。まあ、まだこちらに来て数日なのだからこれから慣れていけばいい。兄として、妹として。
そんな事を考えている内に茉莉香は目を覚まし、結局本は遅々として進まなかった。



「母さん、茉莉香が熱出したみてぇだぞ」

「な、なんですってぇ!」


もう落ち着いたみてぇだがな、そう言おうとしたおれを押しのけて階段を駆け上る母さんのの後姿を眺めながら、やれやれだぜ…と小さく呟いた。

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