ぐしゃ、

くしゃ、ぐしゃっ


「……お前なぁ」
「ん?」
「わからないからって、何も丸めるこたぁねーだろ」
「いいじゃん、別に」

疲労の滲むため息をついて、眼鏡をぐいっと押し上げる。黙ってればそれなりなのに、なんて考えながら見ていれば、バッチリ目が合った。

「なに、俺かっこよかった?」
「この問題教えてくれたらかっこいいよ」
「……まったく」

面倒くさそうにペンをたぐり寄せる。緑色の髪をぐしゃぐしゃ掻き回してから、ぽつりぽつりと説明し出した。
今の時期は部活で疲れてるはずなのに、それでも勉強に付き合ってくれる彼は優しい。
今度しっかりお礼を言おう。かわされそうだけど。

「で、この間レポート出たろ?それの答えと資料を照らし合わせて…」

犬飼くんの声と蝉の大合唱が、いい具合に混ざって絶妙なハーモニー。窓から見える青空を眺めた。かなり大きい入道雲が浮かんでいる。
…一雨来そうだな。

「聞けよ、バカ」
「あでっ」

ぱかっと硬質な音が響いた。

「角で殴るとか、殺人未遂です犬飼くん」
「聞いてないお前が悪い」
「仮にも女子です」
「女だったのか?」
「失礼な」

ケラケラ笑う緑頭を指で弾いた。

「いってえ!」
「ざまあみろ」

自分の口から飛び出す汚い言葉は、まったくもって女子ではない。
普段はこんなじゃないんだ。……たぶん、おとなしい。
犬飼くんの前でだけ、乱暴になる。だって仕方ないよ。サバサバしてないと彼が困った顔するんだから。

「もう教えねーぞ」
「ごめんって」

何気なくペンを取ると、犬飼くんは目を丸くした。

「え、勉強すんの?」
「そのために君が来たんでしょうが」
「…そうだけどさ」

あれ、静かになった。なんだこいつ。
……そういえば、白鳥くんと小熊くんはどうしたんだろう。
いつもなら、犬飼くんと一緒に付き合ってくれるのに。

「ねえ、二人は?」

軽い調子で聞いたのに、彼の体はびくっと震えた。え、なに?なんかあったの?

「……先に帰るってよ」
「へえ」

心なしか、空気が重くなってる。指一本動かすのも躊躇うほどの緊張感。
こっそり顔を盗み見た。表情が硬い。こめかみから一滴の汗が流れ、顎をなぞる。

なにこの空気。

「なあ、お前俺以外に勉強教えてもらってるか?」
「?ううん」
「、そか」

おかしい。犬飼くんにこんなシリアスな雰囲気は似合わない。
悩み事でもあるのだろうか。

「犬飼くん、……悩み事とかあったら聞くよ。いつも助けてもらってるし、…」
「ほんとにな。居眠りしてるお前をたたき起こしてやったり」
「…あのときはどうも。」

にっと笑った彼の顔は、やっぱり違和感がある。
堅い空気は苦手だけど、犬飼くんには自然な笑顔でいてほしい。

「私に出来ることならなんでもしてやろう。どうだ!」
「まじで?じゃあアイス奢ってくれ!」
「金銭が絡んでくるもの以外で」
「なんでもって言ったじゃねーか」
「高橋内閣の財政はキツキツなんです」
「なんだそれ」

犬飼君はやっと声を上げて笑った。
でも、ほんの少しの緊張感が漂っている。
私の手に負えないことなのか、な。

「…それ以外なら、本当になんでもする。犬飼くんにシリアスは似合わない」
「……ははっ、ほんと失礼な奴」

ふと、窓の外をみた。入道雲が近づいてきている。
なんとなく、暗くなってきたような。

「本当になんでもしてくれんのかー?」
「もちろん」

苦笑の混じった問いに思わず振り返ると、プリントに何か書き込む犬飼くんがいた。
最後の一文字を書き終え、ずいっと差し出す。

「答え書いて、明日俺に提出。じゃ」

内容を見ようとしている間に、犬飼くんは教室を出て行ってしまった。

「…なんなんだ」

ため息をついてから出された問題を見て、



『俺と付き合ってくれ』




意味を理解した瞬間
雷鳴が轟いた。



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