『たくさんの人が死にました。たくさんの人が悲しみました。たくさんの人が人を恨み、たくさんの人が人を恐れました。もうこんなことが起こらないように、わたしたちは祈ることしかできないのでしょうか?』

 出来た作文を先生に提出しに行ったら、「"死にました"というのは少しきつい表現だから、"亡くなりました"に変えようか」と言われた。
 人がたくさん死んだんだ。死ななくとも、心に深い傷を負った人だっている。言い換えて事実をぼかしたくなかった。直球で想いを表現したかったのに、大人はこの対応だ。これだからあんな事件が起こるんだ。
 私は廊下側にある一つの空席を見つめ、それから窓際の二つの空席へ視線を移した。そのうち一つには、瑞々しい花が置かれていた。

 桃果ちゃんが死んだ。私のクラスはそれだけだったけれど、他のクラスはもっといた。
 あの事件が起きてから、空気が焦げ臭くなったような気がする。死人の数に比例して、大気は淀んで穢れていくに違いない。だって今も夥しい数の死体が焼かれて、火葬場には煙が絶えず上がっているんだ。何も無いほうがおかしい。

 多蕗くんは事件から一週間後に登校し始めた。時籠さんはその三日後。桃果ちゃんと二人はとても仲が良かったから、正直に言うと、もう学校に来れないんじゃないかと思っていた。
 二人は、前よりずっと強くなっている。ひとりぼっちじゃなくなったから? 桃果ちゃんの存在が彼らを逞しくさせた? いつからか、傷だらけだった時籠さんは花の咲くような笑顔で話すようになったし、音楽室でピアノを弾かなくなった多蕗くんは、よく柔らかい表情を浮かべていた。その中心には桃果ちゃんがいたから、やっぱり彼女のおかげなんだろう。
 今にも泣き出しそうな時籠さんと、無表情の多蕗くん。桃果ちゃんがいない今、二人はばらばらだった。

 職員室で手渡された紙の束を、椅子に座ってぼうっとしている彼へ渡しにいく。

「多蕗くん」
「……なに?」
「プリント。休んでた時の分。重要なのは先生が届けてたよね?」
「……う、ん」
「……あのさ」

 表情らしい表情のない多蕗くんは、死体と同じ空気を発している。私は急にそれが嫌になって、思わず声を荒げた。

「辛いのは時籠さんも一緒でしょ? だったら二人でいなよ。なんで悲しいときにひとりでいるの? 三人は仲良かったんでしょ、桃果ちゃんだって多蕗くんが一人になることを良く思ってなんか」
「桃果を語るな!」

 教室が水を打ったように静かになった。初めて聞く多蕗くんの怒鳴り声。私は驚きと戸惑いで床に座り込む。先生が走ってくるのが視界の隅に映った。

「何も知らないくせに……!」

 消しゴムのかすが散らばっている床に、ぽたりと水滴が落ちる。見上げた先にはどこまでも透明でうつくしい感情があった。



 女優の時籠ゆりが一般人と結婚。街中で偶然見かけた二人は、楽しそうに笑い合っていた。二人は一緒だった。

 桃果ちゃんとは、一緒に多蕗くんの演奏を聴きに行く仲だった。扉の影から整った旋律を盗み聞く。
 不意に彼女から零れた声は、私の知らない色を持っていた。

「二人はね、愛されないといけないの」
「え?」
「だから、私が愛すんだよ」

 独り言みたいなその言葉は、もうずっと私の腹の中にある。引き上げることはないけれど、仕舞っておきたいと思うのだ。


 沢山の人が死んだ。沢山の人が悲しみ、沢山の人が恨み、恐れた。火葬場は今日も働いているだろう。世界は相変わらず汚れている。あの時からちっとも変わっちゃいない。事件はきっと再び起きる。それでも。


揺れる世界の真ん中で



「あ、恋愛の方じゃないよ」

 桃果ちゃんは笑っていた。確かに多蕗くんかっこいいもんね、と呟くその顔があんまり優しかったから、私は赤面することも忘れて、自然と笑顔になった。

 彼はちゃんと愛されている。そして愛している。愛するから失ったときは苦しいし、愛されるから生きることが楽しくなるけど、でも、それだけあれば、きっと大丈夫。
 生きていける。


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生戦様に提出
ありがとうございました。