じっとりと額にはりつく一本一本を気にする風もなく、涼やかな面持ちで床の刀を取った。観衆の称賛にも無表情で応え、ふと息を吐いた喉が私の名を呼ぶ。

「集中力が欠けている」
「すみません」
「謝る前に直せ」
「はい」



 しづかな瞳が、たまらなく好きだった。

 彼に負け尻餅をついたそのままの格好で、しばらくぼうっとしていた。静謐の人はもういない。数人が心配顔で此方を見ているので、薄く笑みを貼って応えた。あの人は厳しいことで有名なのだ。でも、私はなんとも思わない。平気だった。
 彼の言葉は雪原の沈黙に似ている。何か大きい意味を含みながら、音ひとつしない。そこから上手に汲み取ることが、私たちのするべき行だ。
 しかし、今回ばかりは彼の思い通りには出来なそうだ。彼との鍛練はどうも本来の力が出せない。原因はわかっている。

「……誰か、相手をしてもらえないか」

 呟けば、一人前に進み出た。若き剣客、他より抜き出た才能。薄茶の髪が風に揺れ、仄かに香りを振り撒く。

「僕とやろう」

 竹刀を受け取り此方へ来る青年を、ため息と共に迎えた。

「沖田さん、実力差と適性をわかっておいでですか」
「もちろん」

 口角を上げて此方を見据える沖田総司に、非難の目を向ける。だか、もう引くことは出来ないだろう。私が言い出したのだから。

 数分後、再び床で腰を打った私はとうとう包帯でぐるぐる巻きにされた。腕にヒビが入ったとのことだ。沖田さんは手加減をしなすぎる。
 自室でため息をついた。当分剣は握れない。まったく、本当に加減を知らない。ひどいひと。
 壁に背を預け意識を漂わせていると、外が俄かに騒がしくなった。遠くで金属音が鳴っている。

「何があった」

 障子を開き、丁度通りすがった隊士に尋ねる。額に汗を浮かべたそいつは、僅かに眉を下げた後に「屯所の傍で浪士が騒いでいたらしい。今斎藤組長も向かっている」と言い残し駆けて行った。
 身体中の血がざあっと引いていくような感覚が数秒続き、呼吸は上手く行えず、手は戦慄いた。三番組ではなく、斎藤組長。まさか一人で行ったのか。馬鹿な。

「行かなきゃ」

 きりきりと痛む腕に力を込め、愛刀を取った。使ったことはまだ数回しかないが、鍛錬は重ねてきた。大丈夫、学んだことを全て出せば――。

「怖いものなんて、ない」

 沖田さんには悪いが、私の居場所は生と死の境にしかない。怪我をさせて戦場から遠ざけたって、私の意志は崩れない。敬愛、そして思慕するあの人の元で剣を振るえるなら、それだけで、










 なんて、思っているはずが無いだろう。甘味処とか、普通に散歩したり、話したりしたかった。汗にまみれて必死に生きるなんていやだった。男言葉で話して、人一倍努力したって、それは信頼には繋がるものの、恋情を抱かせるには程遠い。普通に綺麗な着物を着て、可愛い簪探しとかしたかったのに。どうして斎藤さんを好きになったのかな。いやだ、嫌、死にたくない。死にたくない。裂かれた腕が痛い。汗ばかりが吹き出る。身体から温度が無くなっていく。頬に冷たい粒がぱらぱらと落ちてきて、それは次第に強く連続的なものとなった。
 ……雨だ。

「し、っ…たく、ない」

 血がどろどろと流れて、涙も頬を伝った。雨と混ざって顔も身体も汚い。
 一人で飛び出していくなんて、私のほうが馬鹿だ。斎藤さんは物凄く強いってわかってるのに。不完全な状態で慣れもしない戦いに首を突っ込んだ。自業自得。傲慢。大馬鹿者。

「しにたくないっ……」

 涙の所為か雨の所為か、それとも死にかけているのか、視界はぼんやりと霞んでいた。五感が徐々に消えていく。
 遠くに光が見えた気がして、斬られていない方の手を必死に伸ばした。もう少しで届く。あと少し。指が震える。もう何もわからない。

「……何を、している」

 腕の力が抜けるその瞬間、大きな掌が私の手を掴んだ。既に視覚は失っていたけれど、それだ誰なのかはわかった。

「何をやっているんだ……お前は怪我をしていただろう。何故この場に来た。愚か者のすることだと理解しているだろう。どうして……お前は……」

 雨の音、終わりに近づく鼓動、誰かの足音、それら全てが世界から消え失せた。指に触れる固い皮膚が僅かな温もりを含んでいて、再び目から塩水が零れた。

「ご、めん……なさ……っ」

 訳が分からぬまま、謝罪を繰り返す。声が、喉が続くまで、謝り続けた。

「……普通に、生きたいって……もっと、普通っ、女の子に……って……思って……わたし、ごめんなさい……死にたく……ない……」

 渾身の力で手を握り返した。気を抜けばもう二度と目は覚めないだろう。

「……意識が戻ったら、恨むも憎むも好きにしてくれ」

 沁みるような声音が心に響いて、次に口元へ何かが触れた。口内に何かが流れていく。もう舌は機能していなくて、口唇に宛がわれた温度だけがはっきりしている。

 血色の劇薬は、優しく私を包んで、人から化け物へ作り変えていった。





普通を求めてごめんなさい
困らせてごめんなさい
人じゃなくなってごめんなさい
ごめんなさい
好きです









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ありがとうございました。