8月32日 | 課題は終わっていない。勉強はしていない。友達とも遊ばなかった。自由研究? 知るか。 夏休みが始まって、一番最初に平助と遊んだ。デートってやつだ。まあ、いつものようにゲーセン行って、それから街をブラブラして、最後に二人でアイスを食べて別れた。力いっぱい手を振る姿は今でもはっきりと思い出せる。 どうして私を置いていったんだ。そりゃ、素っ気無いことばっか言ったけど、捻くれてただけだし。もっと好きとか大好きとか好きとか、いっぱいいっぱい言っておけば良かった。 トラックって、なんてベタな。ばかじゃないのか。明日登校したって笑顔の平助はいない。それなら行く意味なんてない。いらない、全部。涙が枯れるなんて嘘だ。唇がしょっばくて、また悲しくなる。 九月なんて来なければいい。 「悠、そろそろ起きなさい」 「……やだ。学校行かない」 「は? 何言ってんのあんた。まだ8月よ」 「……え?」 携帯を開く。画面には『8月32日』と表示されていた。 「はっ……はぁ? 何これ!」 一ヶ月って最高31日までだった筈だ。おかしい。おかしいってもんじゃない。明らかに、異常だ。 「あんた今日平助くんと勉強じゃないのー?」 「平助? え? だって平助って……は?」 「ほら、早くご飯食べて平助くん家行きなさい」 「え……え? う、うん」 意味が分からない。母の勢いに負け性急に朝食を済ませ、平助の家まで全力疾走した。汗を流しながら『32日』について考える。夏休みを恋しがる学生が現実逃避して作り出す日にちであることは確かだ。しかし現実には成り得ない、のに。 そうこうしている間に藤堂平助宅へ到着。恐る恐るインターホンを押すと、なんと平助本人が出てきた。 「へっ! 平助!」 「? 早かったな。つか汗すごいぞ。エアコン入れてやるから入れよ」 「え、あ……うん」 見慣れた部屋へ通される。冷房が程よく効いていて心地良い。生活感溢れる平助の部屋は、実に一ヶ月ぶりくらいだ。……家へ直接お線香をあげにいった時は、居間にいた。 「課題あとどれくらい?」 「あ、全然……かな」 「まじで?! 悠の写そうと思ってたのに!」 「ごめんごめん」 しばらく世間話をしつつ、課題を進めた。平助は私が本当になにもやってないのを見て吃驚していた。仕方ない、私は優等生に部類される方だったから。 途中居間へジュースを一緒に取りにいった。あの日の濃い悲しみは欠片もない。普通の雰囲気だった。 本当にどういうことだろう。 「……なぁ、悠」 「う、ん?」 名前を呼ばれ、振り向く。平助は顔を伏せていた。 「今日何日かわかるか?」 空気が凍った。凍らせてるのは私だ。 「はちがつ……」 「32日」 最後まで言う前に遮られた。自然と目線が落ちていく。 「……俺、心配になってさ」 ジュースの入ったグラスをお盆に乗せ、片手でそれを持つ。平助が私の横を通り過ぎ、私は黙ってそれに続いた。いつの間にか傾いていた日が私達を照らす。――平助の影が、無い。 「ちょっと様子見ようと思ったら、案の定この通り。あの悠が宿題なんにもやってないんだもんなあ」 「だって……」 「嬉しかった。俺って愛されてたんだなって思えた。……でも、これじゃ駄目だ」 グラスの氷がパキリと割れ、思わず肩を震わせた。平助は歩みを止めない。零れそうな涙を必死に堪え、唇を噛んだ。 「課題ちゃんとやって、学校も行って、すげーたくさん友達と遊べよ。ゲームも自分で出来るようになって、全国ランク一位とか目指して。にんじん食えるようになって、好き嫌いなくして、そんで」 平助が振り返る。お盆からグラスを取り、笑った。 「彼氏作って、一緒に勉強したり、ゲーセン行ったり、楽しんでくれ」 「……そんな」 「急に言われたって無理だから、その為の今日だ。……悠」 涙が溢れた。濡れた唇に薄いそれが触れて、もうなにも言えなかった。 「しっかり準備して、新学期に備えろよ」 準備ってなんだ。先生みたいなこと言うなよ。平助の馬鹿。ばかやろう。 泣いて、泣いて、最後に笑った。 「大好きだよ平助。ばか」 「……ばかってなんだよ」 8月32日 次の日。目が覚めて、慌てて携帯を開いた。 『9月1日』 もう大丈夫。ありがとう、平助。 |