科学班というものは中々大変な仕事だと思う。研究のためにものを食べ、データ解析のために睡眠をとる。働くために生きているような集団だ。そんなところへ私がいるのは、とても可笑しな話である。ただの掃除係だったのに、いつからか計算の速さを買われ、自分専用の机を貰い、黙々と作業をするようになってしまった。おかしい。だがその不自然さに突っ込みを入れる者は只一人としておらず、今日まで仕事を手伝ってきた。ちょっとは報われても良いんじゃないかと、私的には思うんだけど? なんて複雑怪奇な数列を眺めながら呟いたのは、かの少年アレン・ウォーカー君が、此処黒の教団にやってきたその日その時であった。

「科学班じゃないんでしょう?」
「勿論。私は教団内の掃除係。なのに……」

 なんでこんな気持ち悪い表を解き続けなければいけないんだろうね。何故でしょう。僕コムイさんに訊いてきましょうか? 多分はぐらかされるからいいよ、ありがとう。そうですか……。申し訳なさそうに眉を下げる十五歳は、とてもじゃないが子供には見えなかった。髪の色と整った顔立ちが相まって大人びた印象を受ける。表情が憂いを帯びたなら、それは尚更助長した。

「それじゃあ、頑張ってくださいね」
「うん、アレン君も」

 にこやかに去っていく少年を顔だけ上げて見送りながら、先程話題に出たコムイ室長について考えた。何度問い質しても返ってくるのは生返事。仕方が無いと諦めて、一通りの計算を終えたら本業の掃除をやることにした計算業二ヶ月目。仕事を切り上げることが出来るのは大体真夜中なので、それから掃除をするとなると二十四時間全力稼動である。正直きつい。でも、戦場にいるエクソシストはもっときつい。その場その場で命のやり取りをしているのだから、当然だ。申し訳ないけれど、少しだけ……適合者じゃなくて良かったと思っている。先程別れた十五歳の少年はあれきり帰ってこないかもしれないと考えると、どうにもこの戦争は虚しい気がする、してしまう。私はこの仕事に向いていないだろう。

「無事でいてくれたらいいなあ」

 声を出して願ったら、叶うように思えた。





「おかえりなさい」
「あ……えっと、ただいま、です」

 照れたように笑うその顔のかすり傷を憎らしく思った。戦争の落し物。手を動かすのも忘れ、ふうっとため息をつく。心配そうに「大丈夫ですか」と問われたので、小さく笑って応えた。

「無事でよかったと思って。……本当に、よかった」

 柔らかい睫毛とグレイの瞳が、ふるりと揺れた。いつもはしゃんとしている背骨がすこしだけ曲がり、顔が近くなる。もしかしてこの少年は泣きそうなんじゃないかと思って、美しい水晶の表面を見つめたけれど、意外にもそれは乾いていた。

「星を見ませんか。今夜とか」
「ほ、し?」
「はい。少しお話したいなって思ったんですが」

 都合が悪いならまた違う日に、と薄く笑みを浮かべ返答を待つアレン君は、やっぱり、年下には見えなかった。星を見ませんか、なんてどこの紳士だ。その台詞がかっちりと合ってしまうのがまた困る。

「大丈夫だよ」

 掃除は、日ごろの苦労を考慮して、今日だけは無しにしよう。最近は心も体も余裕がなかったから、夜空を見上げながらお喋りもいいかもしれない。
 久しぶりにわくわくしてきた。今までの憂鬱はどこかへ吹き飛び、終始にこにこしながら待ち合わせ場所と時間を決めた。アレン君もふわふわ笑っていたので、きっと楽しみなんだろう。彼がエクソシストだという事実が薄れた気がして、気分が良かった。

「それじゃあ」
「はい、また今夜」

 顔を上げて、手も振った。返される手の平に"こうふく"を感じて、ますます彼との星見が楽しみになった。





 階段を上り、平たい屋根へ腰を下ろした。満天の星は透き通って見えて、感嘆の息が漏れる。綺羅々々瞬く輝きに見蕩れていると、後ろからのコツコツという音が、待ち人の来訪を告げた。

「すみません、遅れました」
「ううん、私が早く来すぎただけだよ」

 女性を寒空の下待たせてしまうなんて、と憤慨する少年を無理矢理座らせ、星すごいねと簡単な感想を言った。彼は他人に対して(特に女性)丁寧すぎるから、なあなあにして今夜の目的に入ったほうが良い。

「……本当だ。綺麗、ですね」

 私が彼の扱いを知っているのは、付き合いが長いからではなく、もちろん彼と親しいわけでもなく。アレン・ウォーカーがその歳相応に分かりやすい性格をしているからである。そしてそれが、すこし嬉しい。

「なにか、悩んでいることがありますか?」

 いつのまにか伏せていた顔を、勢い良く上げた。清廉な瞳に自分が映っている。暫く呆けていると、「やっぱりあるんですね」と彼は笑った。なんだかすごく恥ずかしい。

「情けない話なんだけど……聞いてくれます?」

 了承されるとわかっていて問う自分がきたなく思えて仕方ない。でも、聞いてほしい。
 誰かが彼を偽善者だといった。そんなことはないと思う。現に、彼のする善のおかげで私はしっかり助かって、彼の目には優しさしかないのだから。
 小さな頷きを目の端で確認してから、おもむろに話し出す。

「こうして誰かと話して、別れる。その人が向かうのが戦場だと知っていて、送り出す。もしかしたらもう帰ってこない可能性だってある。それでもじっと待たなきゃいけない。誰かが戦っている夜、……今も、だね。部屋でひとりその人の無事を祈るのが、たまらなく」

 たまらなく……なんだろう。辛い? 苦しい? 悲しい? どれも違う。口篭った私を見て、アレン君はくしゃりと表情を崩した。今まで見た中で一番の笑顔。混じりけの無いそれに、罪悪感が胸を喰う。

「ごめんね、」一緒に戦えなくて。

 涙が出そうになって、あわてて宙の星を見上げた。

「……嬉しいですよ。自分の無事を祈ってくれる人がいるというのは、とてもしあわせです」

 優しげな語り口と変わらない表情に安心し、紡がれた言葉に驚いた。あまり接点のない私でも、願うことは彼の為に、エクソシストの為になるんだろうか。

「……そうなの?」
「はい。……怖いのなら、星を見てください」

 ふ、と顎を上げたアレン君に習い、星の散らばる空を見た。小さな煌めきは、遥か昔から愛されている。いつの時代も星の輝きは此処に届くのだ。取り留めの無いことを考えながら、ひとつふたつと星を数えていた。……もちろん、数え切れないのは知っている。

「夜、僕らは大抵宿で休んでいます。緊張や恐れをなくすために、僕はいつも窓から星を眺めるんです。戦っている最中でも、敵がどこへ行ったのかを知るために星を確認したりします。星に祈れば、僕らに届きます。――だから」

 無理はしないでくださいね。
 ほっそりとした指が目の下をなぞり、笑いを含んだ声が、隈、と呟いた。





 次の日、朝早くからアレン君は任務で出てしまった。星を見るために貴重な睡眠時間を減らしてしまったと思うと、かなり申し訳ない。どうか無事でいてください。不思議な計算式を作り出しながら、今は太陽に祈った。夜になったら星に祈ろう。

「悠ちゃん、ちょっといいかな」

 振り返ると、壁があった。いや、コムイ室長だ。近すぎですよと言いながら、ゆっくり立ち上がる。長身の男はコーヒー片手に部屋の隅に移動し、こそこそ声で話し始めた。

「すこし言い難いんだけど……今日から、正式に科学班に入ってほしい。どうかな?」

 一瞬だけ息が詰まった。昨夜の純粋な笑顔が脳裏に浮かび上がり、気づいたときには肯定の返事をしていた。――掃除係より、役に立てるんだ。じわ、と喜びが滲んで、涙も滲んだ。最近の私は泣き虫である。以前だったら絶対に引き受けなかっただろうなあ、と思いながら、室長と握手を交わした。





 科学班員になって、戦争の現状を知って、アレン君たちは大変な任務に出たのだと知った。ペンを動かし計算を解く。これが彼らの――私達の勝利に繋がるのなら、と。
 涙が枯れるまで星に祈って、押し潰されたような声で切実に願う。しなない方がおかしい戦いで、それでもどうか生き残ってくれますように。できれば、此処に戻ってきて、ただいまとおかえりを言い合えるように。

「無事で、いてくれたら……いい、なあ」

 毎晩星に祈り続けて、私は激しく後悔する。無事で無事でと繰り返す苦しみ、痛み、悲しみが目の下を青く染めた。もっとなにか、元気付けられるようなことを言えばよかった。あの夜が、最後のチャンスだったのかもしれない。でも、もう遅い。










真夜中に星を数える癖





***
花吐き様に提出
ありがとうございました

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -