計算し尽くされた光の一粒が目の前の敵の耳を掠った。来るな! と叫んでも歩みを止めないのは小説であれテレビ番組であれ当然のことだったが、前例に反してヴォルデモート卿は立ち止まった。白い頬には血の気がなく今にも壊れそうであり、その様子が彼の美を引き立てている。

「お前の嫌がることはしない。俺様のもとに来るなら、だが」
「絶対に、嫌よ」

 ギッと唇を噛んで細長い相棒を両手で包み、呪文を唱えようとしてから、はたと思い返した。
 いつか、彼が傍にいた気がする。

「……貴方、私の名前を知っているかしら」
「レイブンクローの謎かけか?」
「いいえ、そのままの意味」

 相手の左斜め後ろに激突した呪文の破片が氷雪へと変化し、不自然に中心が窪んだ。まだ気づいていないだろう。掌中のものを握り直し、細く息を吐く。戦慄く心臓をどうにか落ち着かせ、卿の返答を待った。

「俺様がお前の名を呼ぶのは、そこに  があるからだ。だから、云おう」
「  って」
「悠、俺様と共に行くのだ」

 私がついていかない未来なんて無いと云うように、闇の帝王は薄く嗤い、言葉を続けた。しかし、直前に言われた単語に聴覚を奪われ、今彼が話していることが頭に入らない。
 あの、ヴォルデモート卿が。例のあの人が。
 私がひとこと唱えれば、杖の先から迸る火花が、背後のくぼみに突き刺さり、爆発を起こすだろう。無傷じゃ済まない筈だ。煙を上げる役目もあるから、目が塞がっているうちに逃げることが出来る。のに。

「……私は貴方に屈しない。でも、傍にいるわ」

 一種の賭けだった。彼の口から出た  という言葉を信じて、もしかしたらまだ救えるのかもしれないと、そう、驕っていた。


***


「俺から離れるな」
「わかっています」
「絶対にだ。……裏切ったら、殺す」
「殺した後はどうするのです、卿?」
「俺も死のう」
「そうですか」

 では裏切らないことにしましょう、と言って小さく笑う女の肩を掴み、柔いたまごの膜のような瞼へ口づけた。
 遠い昔、彼女を見た気がする。だが、  した女の顔を覚えていないはずがない。気のせいだ。
 女の目にかかる髪をつまみ、そろそろ切ろうか、と若干問いかけを混ぜて呟く。彼女はすぐに反応して、肯定のしるしに微笑んだ。そういえば自分の髪も伸びてきた。切ってしまおう。
 もうすぐ戦争が始まる。その前に、綺麗に片付けておこう。中途半端なものは、律する。そしたら、

「アバダケダブラ!!」

 崩れ落ちる彼女の身体は己の手に渡ることなく、どさりと床へぶつかった。反射的に前を見据え、杖を構える。
 此方を睨む敵の名を思い出しつつ、彼女の行方を知った。自分が行けない、遠い場所へ旅立ってしまったのだ。嗚呼。

 緑の閃光に目を焼かれ、何もわからなくなった。


***


「君には無限の可能性がある。……ホグワーツへ、ようこそ」

 皺くちゃの手を握り、握手を交わす。別れの挨拶を述べたあと、ダンブルドア校長は悪戯っぽく囁いた。

「ホグワーツでは、悪戯はほどほどにして欲しいがのう?」

 あまりの恥ずかしさに頬が熱くなり、その赤さを誤魔化す様に言い返す。相手が偉い人だとか、そんなのは吹っ飛んでしまっていた。

「いつも人を何かに変えてるわけじゃないので、大丈夫です、校長先生」
「そうか、そうか」

 それではの、と云った老人を、いつか見たことがある気がした。いや、見たことある。絶対に。
 でも、それがいつかと問われると答えられない。でも見覚えはあるのだ。
 なんだったかと考え込む間に、ダンブルドア校長先生は微笑を湛えて、バシッという音と共に消えてしまった。




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