あなたは、自分の最期を想像したことがある? 暖かい家族の温もりの中で息を止めるのか、それともナイフで自らの生命の流れを切りつけるのか。もしかしたら、不慮の事故でバラバラになってしまうかもしれない。恋人と心中するかもしれない。誰にもわからない。でも、私にはわかる。決めてあるの、最期は海に沈むって。
今日はその予行演習。わざわざ隣り町まで行って買ってきたワンピースはとても可愛くて、塩水につけてしまうのを躊躇ってしまう。でも、仕方ないわ。本番じゃもっと綺麗なものを着るんだし、これは使ってしまいましょう。
最期くらい完璧でいたいもの。20の誕生日までにお肌も整えて、それから、あまり太らないように。"死"に向けて努力する私は、彼から見たらとても可笑しな女。気がふれていると思っているかもしれない。
「ね、臨也。あなたいつまでそうしているの?」
「君が家に帰るまでかな」
ざばざばと波を蹴る私の横、服を着たまま青の中に仰向けで浮かんでいる青年。名前は、折原臨也。私がいうのもあれだけど、彼は少しおかしい人だ。全人類を愛しているらしい。……よく、わからない。
「そろそろ帰るわ。じゃあね」
水を含んで重くなった布をずるずる引きずりながら、私は彼に背を向ける。しかし、いつもなら何も言わず浮かび続ける青年が何故か質問を投げてきた。それも、直球の。
「君はいつ死ぬつもり?」
振り返ると、濡れた黒髪を鬱陶しそうにかき上げる臨也がいた。ひたりと艶めく絹糸のそれは私が長年求めていたもので、羨望がちらりと脳をよぎる。なんてうつくしい髪だろう。女の人みたいだ。
「聞いてる? それとも、狂った?」
「臨也、髪きれいね」
質問には答えない。代わりに海の中に立っている彼の元へ戻り、その濡れた髪を指に絡ませた。腕を伸ばすのは少し辛いので、背伸びをしながら。
彼の空気が僅かに堅くなったのを感じて、私は小さな声で彼の求める答えを呟いた。本当に小さな声だ。吹き抜ける海風で掻き消されるほどのもの。
「今月中に。……日は言わないよ、情報屋なんだからそのくらい当てて」
「へえ」
それでも彼は聞き取ったらしい。見惚れるくらい綺麗な笑みを浮かべて、相槌を打った。普段見せる意地悪なものとは程遠い表情だった。不意に彼がすべての人間を愛していることを思い出す。
『別に君が好きなわけじゃない。――俺は、人間を愛してるんだ』
自殺演習をし始めた頃。彼は、まだ普通の服で入水していた私を眺めていた。ある時何か用かと問うと、君みたいな人、好きなんだ、という彼。告白ですか? と返すと上記の言葉を返された。変な人だとは思ったけれど、あんまり綺麗な顔立ちをしていたので、何とも言えず曖昧な相槌を打つだけで終わった。今考えるとかなり奇妙だ。
彼があの折原臨也だと知ったのは、それからかなり後。
「じゃあまたね」
私が髪弄りを止めるまで待って、臨也は海から上がった。指先で砂を掘る私を置いていく。橙色の夕日が水平線に沈む。私は溜息をついて波を蹴った。もうすぐ夜だ。
家に戻って、シャワーを浴びる。慎ましい夕食を終え、古びたクローゼットを開けた。白いブラウス、柔らかなパニエ。それらを押しのけ、奥へ奥へと手を伸ばす。指先が目当てのものを掴んだので、私は指をゆっくり引き抜いた。
両親は死んだ。二人の間に何があったのかは知らない。このうつくしい広海で心中した。子供を置いて死ぬなんてろくでもない人間だと思うけれど、その親から生まれた私だってあの人達とあまり変わらないだろう。どれだけキレイに飾り付けたって、中身がぐちゃぐちゃじゃあどうしようもないわ。あの日から学校にも行かず、働く訳でもなく、ただ遺産を減らしていくだけの毎日。こんなんじゃ、だめ。綺麗に生きられないなら、いっそうつくしく死のう。18歳の誕生日にそう決めた。
揺れる世界の真ん中で、白いワンピースの少女がひとり。ガラスの靴は浜辺に置いてきた。髪飾りから花をむしり、水面に浮かべる。首から提げた懐中時計が8時を告げた。私がこの世に誕生した時刻。
「さよなら臨也さん」
調べておいた深みに足を入れる。飛沫を上げて沈みかけた私の身体は、強い力に引っ張られて再び浮上した。掴まれた腕が痛い。
「誕生日おめでとう」
意地悪な笑みを浮かべ、片手に大きな花束を持って。
折原臨也は、立っていた。
暗い碧海の中で、白いワンピースと黒いコートの男女が二人。水底の砂が巻き上がり足を覆う。
轟く波の音に、少女の嗚咽が溶けていく。
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花吐き様に提出
ありがとうございました。