桃の花弁が舞い落ちる。少々癖のある髪にふわりと乗ったそれ。思わず笑うと、鳶色の髪の主は神妙な面持ちでもごもごと口を動かした。頬は、花弁と揃いの柔い薄紅。可愛いと云ったら怒るかしら。

 ふと、野の向こうの集落が目に入る。手前には見るだけで甘やかな香りを感じる花畑。

「幸村、行こう」
「それはなりませぬ、姫様」
「どうして? あちらの花のほうがきれいよ」
「なりませぬ。行ってはいけないのです」

 彼が私のすることに意義を唱えたのは初めてだった。それほど重要だった彼の言葉を、幼い私は聞かなかったことにした。なんて愚かな行動だったのか、当時の私は知らない。あの時素直に彼の背を追っていたならと、今でも思う。

 それからはよく覚えていない。幸村の叫び声が遠くに聞こえて、とても苦しかった。脳にあるのはそれだけだ。

 私の愚行の責を全て背負い、涙を流しながら謝罪する幸村。その髪には花弁が数枚乗っていた。矢張り、よく似合っている。頬を焼く痛みに顔をしかめながらそう思った。

 あれから、十年経つ。

 幸村は未だに正室をとっていない。それが私のせいならば、一度話し合わなければならないだろう。そう思って呼び出そうとした矢先、幸村その人が私の生活の場であるこの場所を訪ねてきた。

「姫様、話がありまする」
「久しぶりですね、幸村。丁度私も貴方に用がありました」

 薄く微笑む私はあの頃と正反対だ。張り詰めた面持ちの幸村も、然り。

「婚約、断ったそうですね」
「……」
「真田幸村、己が主の顔に泥を塗りますか」
「某は」
「単なる負い目からの行動であるなら、今すぐ戻って相手方に謝罪なさい」
「姫様、聞いて下され」

 青年の訴えを見ぬふり聞かぬふりでやり過ごす。最善の未来を、彼の目前に据えたかった。

「争いの最中にある村の傍へ誘った某が、……否、某は」

 私の反論を見越した幸村は、謝罪を意見に切り替える。罪があるのは私だと何年間も彼に言い続けたからだろう。頬を滑る淡風に痕が疼く。これは、私の責。

「幸村、いきなさい。傷女に構う暇があるのなら、早く天下を統べて頂戴」

 厭らしい笑みを貼り付け瞳を覗いた。薄い膜が揺らいだのを見てから、拒絶を込めてゆっくり目を閉じる。

「十、数えるうちに戻りなさい」

 返事はない。一、二と数え始めると、声を掻き消すかのように突風が吹いた。

「五、六、七」

 不意に、手の甲に柔らかな何かが落ちる。

 嗚呼――桃の花弁だ。見ずとも分かる。薄紅の、彼の頬と揃いの花。庭に植えた唯一つのそれ、舞い込んだ一枚。
 未だに吹き続ける風に飛ばされぬよう、一方の手で包もうとする。が、その前に自分のものではない掌が己のそれと花弁を押さえた。

「悠、」

 瞼を上げる間はない。鳶色の髪が額を撫でる。

 私は何も出来なかった。
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