「旦那さん」
「うん?」
「旦那さんは、本当につよくなった。僕は少し驚いています」
「そうかな」
「はい。でも、当たり前のことです。旦那さんは相応の努力をしているのだから」
「そっか……そうかあ……」

 普段なかなか言えないことを、思い切って言葉にする。結果旦那さんの顔には締まりがなくなり、甘く蕩けてしまった。嬉しい反面、自分以外にもこの顔を見せるのか、少しばかり不安になる。またあの男のような奴が旦那さんに言い寄ってくる可能性を考え、重くにゃあと鳴いた つもりが、声帯からは憂いを帯びた男のため息しか出なかった。

「本当に悠なんだねー」
「え?」
「時々、やれやれって感じで鳴くじゃない? 今のため息、それにそっくりだった」

 ケラケラと笑う旦那さんを眺めながら、ふとこの人の名前は何だったかと考え込む。僕には「悠」という名前がある。この人の名は何だろう。

「旦那さん」

 持ち物の整理をし始めた主人をそっと呼ぶ。遠くから何人かの足音が近づいている。おそらく、カウントダウンの始まりだ。

「旦那さんの名前、教えてください」
「私の?」
「はい」

 ジンオウガを倒したあの日、村に戻ると、顔を合わせた全員に仰天された。あのモンスターを倒したのがただのオトモアイルー、しかも何故か人間の形になっているのだ。無理もない。仕方がない。実験体にされてもおかしくないのだ、僕は。

「私の名前は高橋。よろしくね」

 煤けていないし泥だらけでもない。疲れていない、瑞々しい笑顔でいつかの言葉を再び聞いた。付属されたのは、特別な光を感じる主人の名。胸の内で試しに呟き、心を落ち着けてから喉を震わせた。長くなった腕を彼女へと伸ばす。

「高橋」

 腕の中で旦那さんが身を竦ませる。落ち着かせるために背中を二、三回軽く叩いた。誰にも聞こえないよう、耳元で空気に溶けそうなほど薄い声を出す。

「もうすぐ何人かの男が此処に来て、僕を連れていきます。絶対に反抗しないで下さい。僕は大丈夫です。……僕がいなくても村を守れるか、少し心配です」

 返事は無い。そういえば、旦那さんは耳が良い方ではなかった気がする。念のため、もう少し顔を耳に近づけ、再度囁いた。

「僕は必ず戻ってきます。何があっても、僕は旦那さんのオトモです」

 ようやく彼女は(弱々しくだが)頷いた。草食竜相手に苦戦していた旦那さんはもういない。この人は一人でも大丈夫だ。

 ……一人で、戦ってくれるだろうか。
 主人は、もう一匹アイルーを雇うことが出来る。僕の代わりが来るかもしれない。……考えて、思考を止めた。気づいてはいけない核に迫っているような気がした。

「ね、……悠、」
「? なんですか」
「なるべく早く、戻ってきて」

 扉を叩く音が僕の返答を遮る。旦那さんに被害が無いうちに出なければ。
 腕をそっと下げ、彼女を解放する。

「行ってきます、旦那さん」

 一回だけと思い振り返る。主人は俯いていて、表情は見えなかった。


 あ、薬草が切れかかっているのを教えておけば良かった。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -