もういい、することはない。そう思ったものの、やはり心配だったので、眠らずに屯所内の様子を伺っていた。刀がぶつかり合う音を確認して、部屋を抜け出す。

「島田さん!」

 遠くから悲痛な叫びが聞こえた。あの場面だ。どうか、外へ出てくれますように。

「……」

 嫌な予感がして、思わず駆け出す。両目に飛び込んできたのは、大人しく天霧さんに攫われていく雪村千鶴だった。
 草履も履かず飛び出す。春とはいえ夜は冷える。湿った土は足裏を冷やし、悠の体温を奪っていった。
 がむしゃらに走って二人を追いかけるも、肺が軋んで酸素が取り込めない。あまりの苦しさに目を潤ませながら走り、途切れ途切れに叫んだ。

「千鶴……ちゃんっ……!」

 声が届いたのか、天霧さんは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。鋭い双方が僅かに見開かれる。

「貴方は……あの時の」

 恐れからか、ただ単に走ったために生じたものか、どちらか分からない汗がこめかみを伝う。殺されるだろうか。そういえばあの日も、私は彼らから雪村千鶴を逃がした。二度目が無いとしたら、私は間違いなくここで死んでしまう。
 足を引いて距離をとったが、この男相手では意味がない。
 だが、きっと誰かが助けにくるだろう。連れ去られているのは私でなく、千鶴ちゃんなのだから。

「悠!」

 ほらやっぱり。この声は、藤堂平助。

「一人で外出るなってあれほど……! 危ないから下がってろ!」
「いえ」

 気分は不思議と落ち着いていた。一枚薄い膜を通しているような感覚。静かに此方を見つめる鬼と、しっかり目線を合わせた。微かな叫びと金属音が鼓膜を震わせる。風間と斬りあっているのだろう。
 息が言葉になるまで随分とかかった。緩んだ合わせをきつく握り、吐き出す。

「千鶴ちゃんを放して下さい。私には未来が見えます。今彼女を逃がさなければ、あなた方にとって損になる」

 無論嘘である。ばれるかばれないか、信じるか否かは運次第だ。……早く撤収してくれ。早く、早く……!

「本気で言っているのですか」
「この状態で嘘をつく筈がないでしょう」

 まばたきも忘れ、返答を待つ。後ろで小さく名を呼ばれたが、応える余裕はない。
 彼には千鶴ちゃんを屯所まで送り届けてもらわなければならない。天霧に襲いかかろうものなら、死ぬ気で止める。私の未来がかかっているのだ。

 永遠にも思えた数秒、ため息の後で鬼はゆっくりと少女を降ろした。
 目は逸らさないまま、全身の力を抜く。走り寄る少女を抱きとめ小声で後のことを指示した。

「藤堂平助と一緒に屯所に戻ってください。あの人は私が説得します」
「え……?! でも」
「危険とわかっている場所に、どうして留まるんですか」
「だってそれじゃ高橋さんが」
「早く!」

 背中を押し、叫ぶ。平助が何か言いたそうにこちらを見たが、笑顔で「頼みます」と言えば、小さい手をとり駆け出した。

 涙は零れない。
 私にだって選択は出来る。この世は理不尽じゃない。
 歓迎されないのなら、逃げればいい。受け入れてくれる場所を探せばいい。

 偶然か、それとも運命か。薫に貰った黒い着物を纏い、殺気の渦巻く方へ振り返った。



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